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第二十六話 昔話と彼女の思い

 昔々あるところにそれはそれは何をやっても器用にこなせない一人の少女がおりました。

 かけっこをしてはつまずいて転んで笑われ、テストを受けてはバツ印が大半を占め叱咤を受け、料理をしては指を切り流血沙汰で大ごとに。そんな何一つとして人並み以上にこなせない少女は人の顔色を伺いながら苦痛で泣き叫びたくなるような毎日を送っていました。

 

 時には拷問にも似た毎日から逃げ出すためにこの世を去ろうと考えたこともあったでしょう。

 ですが少女はそれをしませんでした。彼女をこの世界に留めていた唯一のものそれが


「音楽……か」


 そう、音楽。特別好きなアイドルがいたわけでもお気に入りの曲があったわけでもないけれど、イヤホンを通して耳にメロディーが聴こえてくる間だけその少女は嫌な世界から解き放たれていたのです。

 ところが中学一年に上がってすぐの事。少女の人生に転機となるような出会いが訪れます。


「中学一年生。デビューする一年前……」


 少女は友達に誘われてとある中学校で行われていた文化祭へと赴くのです。

 他校ということもありましたが、人生で初めての学生生活でも華の文化祭という異色の世界に心躍らせていた少女。賑やかな喧騒に紛れその耳にとある音が流れ込んだのです。


 グラウンドの中心に用意されていた、たぶん別のイベントで使うはずだった特設ステージ。そこに在校生であろう学生バンドがゲリラ的に現れました。

 今思えば大したことないバンドだったなぁ。緊張してるのか皆最初はガチガチだったし。


 甘めに点数つけて、ギターまぁまぁ、ドラムそこそこ、ベース下手くそ、ボーカルコメントすらなし。

 中学生のバンドだからたかが知れてるのは当たり前。だから随分と辛口コメントかもしれない。

 けれどわたしの胸には響いたんだ。恋心を覚えたみたいに胸が熱くなって高鳴った。


 その出会いが、わたしの人生の価値観を変えた。

 世界がわたしを否定するのなら、わたしが世界を作ればいい。そう考えるようになった。

 だからわたしは詩を作って曲を作って感情のまま歌った。嫌いな過去を吐き出すように、理想の未来を掴み取るように。


「そこから先は知っての通り」


 デビュー曲以降ヒット曲がなく低空飛行を続け、引退も囁かれていた活動休止後に奇跡的な歌を引っ提げて復活したシンガー。

 ようやく見つけたやりたいこと、ようやく見つけた自分の生きられる道だった。けど知っての通り世界は甘くない。

 鬼や怪物が蔓延ってるんだよ、織原は苦虫を噛み潰したような顔で呟いた。


「デビュー曲に込めたのはわたしの感情全てだった。だから人の心にもある程度響いたんだと思う。でも次の曲は? たかだか十四の何も経験を積んでいない小娘が全てをその一回で吐き出したら後に何が残るんだろう?」


 僕は何も答えられない。何も持っていない、何も残すことが出来ていない僕に答えられるわけがなかった。

 けれど正解は初めから一つ。簡単だ。


――何も残らない。


「身に染みて思うよ、噂っていうのはほとんど真実に近いものなんだなって。実際事務所からは戦力外通告を受ける寸前だった」


 首の皮一枚というのはまさにこのこと。

 だが事務所は彼女の可能性を最後まで信じ、そして賭けに勝ったということか。

 言葉で表すのは簡単だが、首切りを察知した織原のプレッシャーは相当の物だったはず。


「そこでわたしは初めて自分の才能に気がついた。物心ついた時からずっと人の顔を伺って来たから出来たことかもしれないし、初めから与えられていた特性だったのかもしれない」


 窮鼠猫を噛む、というやつか。

 崖に追い詰められ、その背中を押される寸前に奇跡を起こした。

 テレビでよく観る一発逆転ストーリー。まさかこんな身近で起こっていたとは思いもしなかった。


「どちらにせよ先輩が飛ばした紙飛行機を拾った時にその才能が開花したのは間違いないと思う」

「あんな走り書きで才能開花させるほうが凄いよ」


「その走り書きが僅かだったらもっと凄かったかもね」

「ああ、そういえばそうだったかな……」


 僕はとても遠い記憶を呼び起こすように思い出す。

 飛ばした紙飛行機は六機。

 その全てに共通しているのは曲のタイトルが付けられていたこと。そしてルーズリーフの両面にビッシリと断片的なアイディアが書き詰め込まれていたことを。


 そこまでアイディアを書き込んでいたにも関わらず形にできなかったのが僕で、最低な方法であったにせよそれを完成品として生み出せたのが織原。

 そこが僕らの境界線。


「こんなこと言うのは筋違いじゃないってことはわかってるけど言わせて欲しい」


 織原の瞳が潤み、夕陽を受けて大きく揺らめいた。


「わたしを二度も救ってくれてありがとう」

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