第二十五話 対峙
学校では逆パターンだったな、などと思いにふけりながら僕はその扉を開けた。
そよぐ風が僕の顔を撫でる。
眩しい夕日に目が眩みながらも、その涼やかに笑う姿は僕の瞳に映り込んだ。
「やぁ鬼畜先輩久しぶり」
屋上の手すりに背を預け、軽く手を挙げる織原香苗がそこにいた。
「僕のどこが鬼畜だ。っていうか過呼吸でどんだけ入院してんだお前」
「まんまと罠に嵌められたお陰でわたしはこうやってゆっり休めているわけなのですが?」
「それに関してはミトコンドリアのサイズほど申し訳ないとと思ってる」
「ミトコンドリアって何? 例えが分かりづらいなぁ」
理科の授業でミジンコとかミトコンドリアを顕微鏡で見る実験とかしなかったか……?僕は結構あれ好きだったんだけど。
「そんな理科の実験はどうでもいいや」
「お前知ってんじゃねえか!」
「だからそんなことどうでもいいんだよ」
ゾクっと背筋に悪寒が走る。
織原の声のトーンが少し下がったからだけではない。
さっきまでの笑顔が消え、視線が僕を貫くように鋭いものへと変わった。
「もうちょっと近づいてくれない? わたし今声出し辛くてさ」
織原の声のままに僕は一歩二歩三歩と彼女へと近づいていく。そしてお互いが手を伸ばせば指先が触れられる距離まで近づいた。
たった一週間と少し会っていないだけだったが、織原の顔が少しやつれているように見える。そこまで疲労が溜まっていたのだろうか。
「それで何しに来たの?」
「何しにって、病院に来てるんだから見舞い――」
「まどろっこしいのはいいんだよ。わたしが知ってる先輩……いや、わたしに人生の一ページを壊された夏代斗真なら絶対お見舞いなんかに来ない。だから、何をしに来たの?」
今まで幾度となく交わしてきた視線だったが、この時初めて本当の意味で視線が交わされた気がした。
さて、どう切り出そうか。
重苦しい雰囲気になるとは思っていたが、ここまで早い段階で真剣な対峙をするとは予想していなかった。
とりあえず適当な会話の中から自分の理想に繋がる糸口を見つけ――ようとするから今の今まで言いたいことも言わなくなるんだろうが。
僕はイメージで自分の顔を殴りつけ、覚悟を決める。そして口を開こうとした時だった。
「やっぱり先輩のターンは後回しにしよう。わたしもずっと聞きたかったことがあるんだ。わたしは全部答えてあげる。だから先輩も答えないはなしだよ」
そうやって織原から先制攻撃が繰り出される。
「先輩は盗作された歌詞で作られた曲が大ヒットしてどう思った?」
呼吸が止まる。
は? 何だこの質問。質問なのかこれ……?
鈍器か何かで頭をぶん殴られた感覚を覚える。
痛い。
痛い痛い痛い痛い痛い。
他の誰かから言われてもここまでの衝撃はなかっただろう。本人の口から突き付けられるだけでここまで心臓を抉られたような痛みが走るのか。
「どう思ったって……、それは……」
「前半部だけでも、一章節だけでも、あれは自分の歌詞だ。それが世に認められている。だから嬉しいって思った? 違うよね。あれは自分の歌詞だ。本来自分が完成させて世に出していたはずのものだ。どうしてあんなぽっと出のやつが自分の詩を使って認められているんだ。ってハラワタが煮え繰り返るくらい悔しかったよね?」
「お前はさっきから何を言って――」
「答えろ夏代斗真」
視線が先ほどよりも鋭く僕の体を貫いた。
感じたことのないプレッシャーでようやく吐き出せた息が再び詰まる。
これが本物の織原香苗。
若干十代で音楽界のトップグループに食らい付いている歌手。
落ち着け呑まれるな。僕はここに何をしに来たんだ。
プライドなんてここに来るまでに捨ててきた。覚悟はもう決めてきた。
心臓の鼓動が鼓膜を大きく叩く。
息を、言葉を、想いを、吐き出せと。
分かってるよ、と僕は薄く笑いながら握りしめた右手で胸を強く叩いた。
この奇行にはさすがの織原も驚いたらしく少し体が跳ねる。
そして息を吸い込み、一気に吐き出す。
「ああ悔しかったさ、悪いか」
言い訳し諦め誤魔化し続けてきた感情の蓋をついに引きはがした瞬間、堰を切ったかのように口から流れ始めた。
「どうして僕の書いた詩が世に出てるのか意味が分からなかった。完成を諦めて屋上から捨てたはずだぞ。しかも完成させたのがあの織原香苗だって? なんだそれ! 余計に意味分からん! どうしてお前に完成させられて僕には出来ないんだよ! 人生経験の積み重ねか? 生まれ持った才能の違いなのか? お前に出来て僕に出来ないことがムカつく! あー、思い出すだけで腹立ってきた。っていうか、ここまで実力あんなら人の詩パクってんじゃねえよ!」
息が荒くなり織原を睨みつけたまま深呼吸を繰り返す。酸素が不足したのか目がチカチカした。
「……恨んでるんじゃないの?」
「は? 僕がお前を恨む? 何で?」
「いやいや、だってわたしは先輩の詩を流用したんだよ?」
「……烏丸たちにも言われたけどあれは僕が捨てた詩だ。拾った誰かがアイディアの足しにしたところで僕に口を出す権利はないよ」
織原は罵声を浴びせられるとでも思っていたらしく、信じられないものを見るような目で僕を見つめながら半開きの口をわなわなさせていた。
「じ、じゃあどうしてわたしをいつも蔑ろにしてたわけ?」
「何回も言わすな。お前が嫌いだからだ!」
「え、理由それだけ……? ドS通り越して虐め楽しむ変態じゃん……引くわー」
「言い方っ!」
大真面目に女子を虐めて楽しむような趣味はない。
確かに織原のことは嫌いだし、とんでもないことをされたから仕返しはしたが楽しんだ記憶は一切ない。
「でもとある人からの話によると先輩わたしの大ファンだったって聞いたけど?」
「……あながち間違ってはない」
「じゃあやっぱりわたしのこと――」
「それは初期のお前のことだ。今のお前には興味はない」
「ホントにヒドイ言い方だなぁ。泣いちゃうよわたし」
「お前がそんなことくらいで泣かないのは知ってるよ」
僕は肩を竦める。
織原は長い息を吐きながら背中を壁に預けた。
「織原香苗は凄い人だったかもしれない。でもわたしからしたら、ただのか弱い女の子だったんだよ。皆が知ってるのは単なる理想が押し付けられた存在――」
「血が滲むような努力と意思で作り上げた存在をお前自身が否定するな。お前が自分をどんな風に考えてようが、織原香苗は僕たちの憧れに変わりはない」
織原は僅かに目を大きく開くと、すぐに下を向いて笑い出す。その声はどこか震えているようにも聞こえた。
「先輩はやっぱりヒドイやつだなぁ……。そんなこと言われたら織原香苗を簡単に降りられないじゃん」
「降りるつもりなのかよ」
「どうだろ……ね。ゲホゲホゲホ」
織原が口を手で押さえて激しく咳き込みだす。
「おい、大丈夫かよ」
「大丈夫大丈夫。数日ぶりにこんな喋ったから喉が疲れただけ」
そう言って織原は顔を上げると楽しそうに笑う。
「せっかくだし簡単な昔話をしようか」
「なんだよいきなり。そんな話聞きに来たわけじゃ……」
「まぁまぁこんな機会滅多にないよ。今は天才と呼ばれる少女のくだらない昔話」
もちろん聞いてくれるよね? と織原は薄い笑みを僕に向けて浮かべる。その瞳はどこか切なげで、僕ではなくどこか遠くを見ているようだった。




