第二十一話 心の扉
「思い出せないのか。それなら思い出させてやるよ。お前が僕に言ったのは――」
「俺が言いたいのはそういうことじゃない!」
「会話が噛み合ってないだろ。僕の質問に答えろよ!」
「だから俺はお前にもっと自分のことを――がふっ!」
急に烏丸が僕の視界から消えた。
「おまっ、なんでいつもそんな暴力的なんだ!」
「黙って。男同士のそんな泥臭い青春劇はいらないの」
腕を組んで憤慨中の宮原が烏丸を蹴落としたらしい。
ビンタも止められていたから余計に腹立たしかったのだろう。しかしよく手が出る奴だ。
相手が烏丸じゃなければ耐えられないことだろう。
などと頭の端でどうでもいい考えが見え隠れしていると、宮原は僕の胸倉を掴み上げる。
「夏代が何を考えてるのかは知らないけど、あれはただ事じゃなかったでしょ」
「それについては説明しただろ。ただの過呼吸だ。それがあいつにあの時起きたってだけのことだ」
「過呼吸って、不安によるストレスとか過度な興奮状態とかからなるもんなんだけど? あの場所でその状態になるっていうのは変な話じゃない?」
「そうなのか? 僕は過呼吸に詳しくないから分からないな」
中々鋭いところを突いて来る。
確かにあの時、織原は僕に敵意をむき出しにするほど声を荒げていたことから興奮状態にあったのだろう。だから過呼吸になったというのは納得できる。
しかしここまで宮原が粘着質に事の顛末を聞いて来るとは予想していなかった。
恐らくこのまま否定し続けても僕が口を割るまで引き下がらないだろう。一体どうするか……。
「分かったわ」
宮原が掴んでいた僕の胸倉を突然突き飛ばす様に離し、蔑むような目で僕を見下ろす。
「私がいくら聞いたところで夏代は答えないんでしょ。ならもう聞かない」
「そうかい。それは何よりだ」
「私はもう降りるわ」
「は? ……何からだ?」
また唐突な宣言。
こいつらは会話をする気があるのだろうか。こんなに脈絡のない言葉を投げられてもすぐには理解が出来ない。
「私はあんた達の怪しい企みに正体を知らないままついていくなんてもう無理よ。一抜けされてもらうわ」
「おい、待てよ宮原! ここでお前に抜けられたら……」
烏丸が慌てて立ち上がり宮原の肩を掴む。
だが、その手も宮原は振り払い、他に言うことはある? と僕らに鋭い視線を送る。
「宮原に色々黙ってたことは謝る。けどそんな大したもんじゃない。宮原の言う通り青春劇みたいなもんで……」
「烏丸はそうでも夏代はそんなんじゃないでしょ。青春劇じゃないちゃんとした何かを企んでる」
「……そんなことないだろ」
声が、震え始めた。
「そう? 織原さんが現れてからちょっとずつだけど地が出てたわよ。極めつけは織原さんが倒れた時ね。夏代……あんたの顔、倒れた織原さんの様子窺いながらもずっと薄くだけど笑ってたわ」
「……気のせいだろ。病人見ながら笑うやつがいるかよ」
「気のせいなわけないでしょ。あんなにゾッとしたのは久しぶりよ」
だから何だ。倒れた織原を見て笑って何が悪い。悪いのはあいつだろう。
「だいたい、作詞はやめたとか言いながら書いてるじゃない。明らかに織原さんに触発されてよね。結局あんたは自分で言いだしたことも守れない、やろうとしてることも隠しきれてない。何もかもが中途半端なのよ」
ああ、うるさい。頭がガンガンしてきた。
いつの間にか俯いていた僕の腹の中から何かが昇り上がり、喉を伝って空気として吐き出される。
吐き気は起きないが、喉の奥が熱い。
また腹から何かが昇り上がり、今度は咳とともに空気が吐き出される。
「何か言いたいことがあるならどうぞ? ああ、だんまりを続けるんだったわね。これ以上話しても無駄なようだし私は帰るわ。じゃあねマゾヒスト」
宮原が踵を返し、一歩踏み出したその時だった。
「お前に、僕の気持ちなんて、分かるわけないだろ……」
僕の口から掠れた声が、漏れ出した。
「そうね、分からないわ」
帰路につきかけた宮原はしゃがみ込み僕の顔を覗き込んだ。
「私には分からないわ、夏代が何を企んでいるのか、どうして自分の意志を捻じ曲げてまで嫌な事に関わったのか、そしてどうして織原さんをそこまで憎んでいるのか。私には夏代のことはこれっぽっちも、分からないのよ」
「……言ったところでどうなるってんだ」
「それは聞いてみなきゃ分からないわ。でも一つだけ言えることはある」
なぜかは分からない。不意に俯いていた僕は顔を上げた。
「私達はあんたの味方よ」
そこには笑顔を浮かべる僕の顔を見つめている宮原と、心配そうに僕らを見守る烏丸の姿。さっきからそこにいた二人の姿だが、どうしてだか少し鮮明に見えた。
答えにはなっていないが、それはそんな言葉よりも僕の中に深く深く溶けて行く。
「はは……、何だよそれ、全く答えになってないな……」
ここで僕の心の内を吐き出して何になるというのか。この二人には全く関係のないことだ。これは僕が勝手に傷つき、思い込み、企み、そして意味もなく行っている単なる八つ当たりに過ぎない。
軽蔑されるかもしれない、呆れられるかもしれない、激怒されるかもしれない。
でも、この二人はどんな形であれ僕を受け入れてくれる。いつもそうだった。
僕の意志とは関係なく心はすでに言葉を発している。あとはそれを声という形にするだけ。
「聞いてくれるか? 僕と織原のくだらない物語を……」
「もちろん!」
「当たり前だ」
僕は鉛のように重たかった口を開き話し始めた。
それは去年の冬のこと。




