第十四話 凡人への試練
「……ふふっ」
だが不意に詰まらせた喉の奥から空気が漏れ笑い声へと変わった。
漏れ出た空気は止まることを知らず、僕は下を向いて笑い続ける。
「ふっ……あははははは! 何言ってるんすか部長。たかだか素人の作詞ですよ? 趣味に何を怖がるってんですか。意味が分からないです」
「そうか。お前が言うならそうなんだろうな」
「そうですよ。僕ごときが悩むなんておこがましいにも程がある」
「がはははは! 僕ごときがおこがましいか! 相変わらず面白いなナッツ」
一体どこがツボに入ったのか分からないが、部長は爆笑しながら僕の背中を強く叩く。
すると無遠慮に部長は僕の首に腕を回し顔を近づける。
「お前いつも偉っそうだよなぁ」
「僕のどこが偉そうだって……?」
「まぁ聞けや」
首に回された腕の力が少し強くなる。
「お前はいつも自分のことを低評価で話すよな。僕では無理だ、僕には出来ない、二言目には僕は僕は僕はって否定をする。お前そんなに自分のこと隅々まで知ってんの?」
「そりゃ自分のことなんだから自分が一番よく知ってるはずでしょ」
「本当かそれ? じゃあお前今バク転してみろって言われて百パーセント失敗すんのか?」
「……はぁ? 当たり前でしょう。一回もやったことないんだから失敗するに決まって――」
「一回もやったことないのにどうして失敗するって言い切れんの? そういうところが偉そうだって言ってんだよ。自分を第三者目線で見られるのはいいところだ。だけどなお前の場合それは客観じゃないただの放棄だ」
その言葉に思考が固まった。
すると頭の片隅から中心へと次々に矢継ぎ早に言葉が走りこんでくる。
放棄の何がいけない? お前には関係ないだろう。じゃあ解決してくれるのか? 解決策があるのか? あの状態からどうすれば好機を見出せるって? 過去を変えられるとでも? 大切なのは過去じゃなく未来とでも言いたげな顔だなぁ、おい。
止めどなくせり上がってくる悪態に口の端が歪んでいく。
「何か言いたいことがあんなら言ってみろよ。議論するのに年齢も性別も国籍も関係ねえだろ。ほら、悩みなんて溜め込んでねえで吐き出しちまえよ」
「……年齢はともかく、性別と国籍は同じなんで引き合いに出す必要ないでしょ」
本当に胃の中が逆流していたのか、唾を飲み込むたび焼けるように喉が痛んだ。
荒く呼吸を整えようとする僕がこれ以上何か吐き出しそうにないと悟ったのか、部長は僕の首に絡ませた腕を解き立ち上がった。
「そんなんだから女子にモテねーんだよナッツは」
「余計なお世話です」
「後輩の悩みを聞いてあげる頼りになる先輩という絶好のシチュエーションだったのになぁ」
「完全に強要だっただろうが」
僕のタメ口ツッコミに部長はがはははと大口で笑う。
「んじゃレアな真面目モードは終わりだ。たまに部活にも顔出せよ。みんな喜ぶ」
「……考えておきます」
「気分害した詫びに一本やろうか?」
部長は自分の膨らんだポケットを軽く叩く。
この模範的不良生徒が。
僕は結構です、と首を振ってその誘いをことわる。
最後に部長は別れの挨拶の代わりに僕の肩を強く叩き、そのままどこかへと足を進めていく。
だが何かを思い出したかのようにふと歩みを止めこちらを振り向いた。
「そうそうお前ネームレスって知ってるか?」
「何の縁だか異常なほど耳にする言葉ですね。それはもうウンザリするくらい」
「なんだそれ。まぁそれはともかく正体不明だったらいしメンバーが顔出しで自分たちがネームレスだ、ってネットで公表したらしいぜ」
「どうしてそれを僕に?」
「がははは! 織原香苗のことを好きなやつなら絶対興味ある話題だろ?」
「誰が誰を好きだって?」
「隠すな隠すな。ま、興味あったら動画投稿サイト観てみろよ。メールで送っておいてやる」
その言葉と同時に僕のポケットに入っていたスマホが振動する。それを手に取り部長から送られてきたメールを開くとどこぞのリンクが貼られていた。
一瞬視線を上げるとすでに部長はポケットの中をゴソゴソと探りながら再び歩き出している。
お返しに大声で教師を呼びつけてやろうかとも考えたが、それでは僕も授業をサボっていることがバレてしまう。仕方なく諦め仕返しはまた次の機会に。
彼は悩みを吐き出せと言った。
僕に吐き出すような悩みはない。いやそもそも悩みなんて抱えてはいない。抱えているのは秘密。それも一個人で抱えるには大きすぎる秘密。
けれど僕はこれを抱えて生きていかなければならない。数年あるいは数十年。
それはまるで世界が僕という凡人に与えた試練のようなものだった。




