第十三話 不意打ち連鎖
ネームレスの動画がアップされてから一週間が経った。
今まで投稿されていた作品の視聴回数は全てお世辞にも多いとは言えない。平均で二百再生程。多くても四百に届くか届かないかくらいの微々たるもの。
だが今現在その視聴回数は異様な数字へと変化していた。
最も再生数が多いのは当然先日の新曲。ものの一週間で八十九万再生を叩き出していた。初期に上げていたものでも五十万再生を軽く超える異常事態。
正直この伸びが早いのかどうなのか判別がつかないが、一週間前の再生数から何千倍も世界中の見ず知らずの人に聞かれたことになる。
さすがは今をときめく有名人の力。あの後織原のSNSを追ってみると自分でもよく知っている芸能人やらモデルやらが織原の投稿を拡散していた。それがここまで一気に動画再生数が伸びた要因と言えるだろう。
だが所詮は一時の注目に過ぎないことは明白だ。
よくテレビで芸能人が好きと言ったスイーツ店に客が群がるが、すぐに皆飽きて次の興味に引かれていく。
ネームレスのメンバーがこの跳ね上がった数字を見てどれだけ心躍らせているのか、一躍人気者の仲間入りに足を踏み入れて怯えているのかは知らないが、結局は有名人の力なのだからこんなことで一喜一憂してもまるで無意味だ。
運も実力の内なんてよく言われるけれど、僕はつまらない他力本願だなと思う。
両太ももに肘を立て、手で三角を作り口元を隠す姿勢で僕はベンチに鎮座し目の前にある噴水を睨みつけながら反抗的な思考を繰り返す。
学校の中庭に一つだけぽつんとあるベンチは昼休みや休憩時間の激戦区だが、授業中の今では独占し放題だった。
この中庭には学校設立時からそびえ立っている大木があり、その木々のおかげで廊下の窓からでは中庭の様子は窺えない。一階や二階からもベンチが校舎に近すぎて角度的に見え辛い。そのため今こうして堂々とサボっていても教師たちには見つからないのだ。直接中庭に来られた場合は……諦めるしかないが。
ふと、噴水から視線を足元に落とした時だった。一瞬視界の左側の影が揺らめき、ベンチが僅かに振動する。
「そんな怖い顔してどうしたナッツ」
「…………げ」
思わず漏れた一言に、背後の人物から髪の毛をわしゃわしゃとかき回された。念入りにセットしていたわけではないが、ここまで無造作に乱されるとさすがにいい気はしない。
僕は頭の上で無遠慮に動く手を右手で弾き飛ばし左後ろに顔を向ける。
「藤丸部長……」
僕の視線の先には名前を呼ばれ嬉しそうに笑う男子生徒がそこに立っていた。
藤丸知也。軽音楽部部長で三年生。男子生徒であるにも関わらずほぼ金色セミロングの長髪に右耳の三連ピアス、青いカラーコンタクトにサボりの常習犯と校則違反のオンパレード。だが成績は学年五位以内を譲らず生徒教師問わず人望も厚いと、なんか異様に盛っている男子高生だ。
なのにどうして僕は怪訝な表情を浮かべているかというと、
「今日は部活来るか? 来るよな? 久しぶりに歌でも歌っていけや。それかまたギター教えてやろうか?」
「遠慮し――」
「そうかそうか、目立ちたくないか。なら一緒に音楽雑談でもするか? あー、でもナッツとはジャンルが違うから一人喋りになるか。じゃあ後何人か集めるか。男三人女三人で向かい合って喋る……コレ合コンだな! あっはっは!」
全く人の話を聞かない。というか会話にならない。この人と相対すると感覚的に八割会話のキャッチボールが成り立たっていないような気がする。
「部長が元気だってことが確認出来て何よりでした。では僕はこれで――」
「待てよナッツ」
立ち上がろうと中腰になった途端、藤丸部長に肩を下に押され再びベンチに戻される。
「久しぶりに会ったんだからもっと喋ろうぜ」
「……久しぶりって三日前も廊下ですれ違いましたが?」
「三日も経ってたのか! どうりで俺の心の隙間が埋まらないわけだ……」
「そういうのは女子に言え女子に!」
「それはそうとナッツに聞きたいことがあったんだ」
「会話のキャッチボールをしろよマジで!」
この流れがこの人と喋りたくない要因の一つ。人間の最たるコミュニケーションツールを使用するだけで疲れる。
「この間の部内コンペなんだけどな。烏丸宮原コンビの歌詞ナッツが手直しした?」
「……僕じゃないっすね。確かに救いの手を求めに僕んちに駆け込んできましたけど」
「おっかしいなぁ。ナッツの雰囲気がどことなく滲み出てた個所があったんだけど気のせいだったか?」
「部長の勘も当てになんないっすね。で、あいつらの評価はどうだったんですか?」
いつもと完全に趣向を変えてあんだけドロドロの昼ドラみたいな歌詞の評価は少なからず気になる。それに織原が多少なりとも関わった作品がどれほどの物だったのか。
「ああ評価な。いやもう部内でも割れに割れたわ」
「というと?」
「歌詞はぶっちぎりで特徴的だったが如何せんハンパなく暗い。しかもそれを烏丸が力任せに歌うから恨み節が強すぎてバラードっつーか呪いの歌みたいな? その特色を良しとするかそもそもこれは曲としてどうするかって意見が荒れに荒れてなぁ。結局今回は点数無しってことになった」
どんだけ気持ち込めて歌ったんだ烏丸は……。ちょっと聞いてみたかったような聞いてみたくなかったような。
しかし点数無しか。必死に曲作りに取り組んでた姿を見ていたから少し可哀想な気もする。
ちなみにこの部内コンペの順位によって学園祭や不定期開催の校内ライブの待遇が変わってくる。点数無しは事実状の最下位。つまり次行われる催し事に関しては色々な意味で期待できない。裏方で終わる可能性も高い。
「で、話は戻るんだけど。ナッツが手直ししたんじゃないって言うんなら誰がやったんだ?」
「……さあ、誰ですかね? 僕の真似でもしたんじゃないですか?」
「なるほど。ナッツの家に行ったなら書きかけの歌詞も大量にあるだろうしな。それを盗み見たってことか」
「それはないですね。僕は出来損ないを手元に置いておく趣味はないですし、書き溜めてた書きかけの自信作は……前に全て捨てましたから」
僕は視線を先輩から噴水へと移す。循環し噴き出し続けるその水の上を、ところどころに文字が書かれた白い紙飛行機が次々に飛んでいく幻影を一瞬垣間見た。
「ふーん。まぁ仮にナッツのをパクッたところで制作方法は自由だ。それよりも今聞いたナッツの自信作が全部無くなってることについての方が俺にとっては残念だな」
「そうですか。なら来世に期待してください」
「おいおい、今世はもうねえのかよ」
「残念ながらないっすね。僕は凡人以下なんで。僕なんかより織原香苗の曲聞いた方がよっぽどためになると思いますよ」
「なぁ夏代斗真よ」
「なんですか急に……」
いきなりあだ名からフルネームを呼ばれたことに違和感を覚えた。だがどうせこの人のことだからロクな話じゃ――。
「お前何を怖がってんだ?」
「……は?」
その予想斜め上の質問に――息を飲んだ。
額に汗が浮かび、体中の筋肉が強張っていくのが分かる。
この人は何を言っているんだ? 僕が何を怖がってるって? ただ作詞をやめただけなのにどうしてこんな質問が飛んでくる? どうせいつものくだらない会話の一つだ気にするな。本質なんてまるで理解していないはずだ。他愛もない後輩いびりだ。烏丸や宮原にもよくやっているような先輩からの愛みたいなものだ。あーあ、またいつものどうして歌詞を書かないのか、勿体ないだの、まだ頑張れるだのが続くんだろう。そうだろう。
なら僕はいつも通りこう答えよう。「意味がないことに時間を費やす必要はない」と。
「もう一度聞く。お前は何を怖がってるんだ?」
その不意打ちに僕は喉に言葉を詰まらせ、唇を小さく震わせていた。




