第十二話 静かに針は回り出す
一体今から何が始まるというのか。十二時からだとお昼の情報番組の時間だけれども。もしかして織原のニュースでもやるのだろうか。そういえば街で助けたとき新曲がどうたらこうたら言っていたような気もしなくもない。そのことだろうか。
織原に引っ張られながらものの数秒でリビングへと戻り椅子に座らされる。
烏丸から当然のようにパソコンは? と聞かれたが悲しみを込めて諦めろと一言だけ返した。
ガキ大将にはいつの時代も逆らえないのだ。直前に殴られてもいい過ちを犯しているのならば尚更。
というかスマホ使え。
「どうしたの織原さん? そんな意気揚々と」
「んふふふふ。先輩方に素晴らしい動画を紹介しようと思いまして」
いつの間にか復活してコーヒーを飲んでいた宮原の問いかけに織原は得意げな笑みを浮かべ、テーブルの中央に自分のスマホをそっと置いた。
画面には世界中のネットユーザーが使用している動画投稿サイト。
一体今から何の動画を流すのかと僕が画面を覗いていると、
「先輩前言いましたよね。名無しなんかに興味ないって。そんな名無し風情が作る曲なんかにさらさら興味湧かないな、って! 今ここであのセリフ返上させてあげます」
いや、名無し風情とか僕そこまで言った記憶ない……。
検索ワードは――ネームレス。
そこから織原が数回スマホの画面をタッチしていく。
スマホ左上に表示されている時刻が昼の十二時を回るとネームレスのチャンネルに新曲がアップロードされた。
織原が再生ボタンをタッチすると数秒の読み込みの後画面が切り替わる。表示画面にはこれといった画像はなく、『水たまり模様』と曲のタイトルが表示されているだけ。
物寂しいピアノの音が流れ出し、続いてドラム、アコースティックギターがゆっくりと音楽を紡ぎ始めた。
数秒イントロが流れ、ボーカルが息を浅く吸い込むとソプラノの音域で歌の物語が始まる。
『きっと君との出会いが僕を動かした。そっと肩を寄せる。まるで恋人のように…』
僕らはそれぞれの思いを胸に秘め、静かにその曲に耳を澄ましていた。
「どうですどうですめっちゃよかったでしょ!」
「落ち着け……。そんでもってリピートする前に言え」
織原は曲が終わるなり誰の返事を待つことなくリピート再生させ、この曲を五回聞いてから満足げな表情で自信満々にそう言い放った。
「歌詞もさながらボーカルも凄いよね! 透き通るソプラノボイスにハミングのようなビブラート、無駄のない高音!同じシンガーとしても嫉妬しちゃう……ってどうしました宮原さん?」
うんうんと頷いている烏丸とは違い宮原は頭を抱えながら額をテーブルに押し当て小刻みに震えている。
「ほっといてやれ。曲に感動したんだろうさ」
「やっぱり!? 私も今回まさかのバラードに心踊ったんだ! いつもはロック調のアップテンポな曲が多いんだけど、ここに来てバラード! しかも等身大の高校生の恋愛模様とか私のツボにドンピシャかよ! なるほどたまらん!」
「居酒屋で飲んでる親父みたいなコメントだな……」
「ピアノ伴奏が途切れた瞬間息吸い込みましたよね、気づきました?! あれ絶対わざとだと思うんですよ! やっぱり歌詞とリンクして告白前のため息っていうか覚悟っていうか――」
興奮冷めやらぬ織原の饒舌は止まらない。
好きなものを盛大に語りそれを布教することはとても素晴らしいことだと思う。でもだんだん僕の顔が引きつっていきしどろもどろな返答になっていることに気がついて欲しい。
さすがにここまで圧が強いと正直ドン引く。
そんでもって顔近いめっちゃ近い。
測ってないから正確には分からないけれどたぶん十センチくらいしかないんじゃ?
そんなことお構いなしに近づいてくる織原から逃げるように体を逸らし続けるが、いい加減椅子から落ちそうだった。
「あーこの感動を誰かに伝えたい! リアクションのうっすい先輩だけじゃなくて他の皆にも伝えたい。そしてリアクションして欲しい!」
「悪かったなリアクション薄くて」
「はっ……そうだ。高校生になった今や私は文明人……。その手があったか! こうしてはいられない!」
ぽんっと手を叩き何か思いついたのか、今度は忙しなく右手に握りしめたスマホを巧みな指さばきで操作し始めた。
スマホ……? 皆に伝える……?
頭の中を通り抜けたワードに不穏感を感じた。本来ならば即座に理解できることだったが、織原の気迫と鬱陶しさを極力感じないように思考を止めていたことで理解が遅れてしまった。
「織原ちょっと待――-」
「よしっ、投稿完了! 届けこの想い……え? 先輩何か言いました?」
キョトンと小首を傾げる織原の右手に乗せられたスマホの画面には「投稿を完了しました」との文字が表示されていた。
織原の呟きが投稿された。
僕や烏丸、宮原みたいなただの一般人ではなく、シンガーソングライター『織原香苗』の投稿が完了したことの重大さに本人はまるで気が付いていない。
僕は子供のように満面の笑みを浮かべる織原の顔を睨みつけ、ただただ歯を食いしばっていた。
その日を境にネームレスはただの名無しではなくなり世界の目に触れることとなる。
そして僕らの日常も大きく変化してくことになった。
今はそのことをまだ誰も知らない。




