第十一話 男子が気になる注目点
「ほら、コーヒーでも飲んで頭切り替えろ」
香ばしく芳しい湯気立ち上るカップを三人の前に置いていく。
素晴らしいアドバイスをもらったのか烏丸はテーブルに突っ伏し、宮原は天井を仰いでいた。
「久しぶりに語ってしまったぜ……」
当の織原は満更でもない様子でさらっさらな額をわざとらしく右手で拭う。
心なしか肌がツヤツヤになっているような気もする。
「お前ちょっとは手加減してやれよ……」
「手加減なんてそんな失礼な! 芋羊羹のお礼に全力出したよ!」
「本当にお礼なのか……」
放心している二人を見ているとお礼の意味合いが違って見える。
やはりこの二人にはさっきの雑な褒め方で留めていたほう方がモチベーションアップに繋がっていたようだ。何を言っても今さらなのだが。
「でもこの詩結構クオリティ高いんですよねぇ。主人公のヒロインとの関係を死ぬ気で繋ぎとめようとしてる必死さや、他の女との関係がバレないように自分の気持ちを押し殺している感情とか上手く書かれてるんですよね」
「本当に歌詞なのかそれ……?」
「小説にしたら主人公死んじゃいますけどっ――ゲホゲホッ……」
大口で笑う織原が突如口を押えて激しく咳き込みだした。
笑い過ぎて気管に唾でも入ったか?
「笑い過ぎだろ……ったく。ほら水持って来てやるから」
「お、お構いなく。それより先輩。お手洗いはどこにありますか?」
口を押えて申し訳なさそうに笑う織原に、調子に乗るからそうなると僕は肩を竦める。
恐らく咳をした時に鼻水でも出たんだろう。僕もクシャミをしたときによくそうなる。
さすがに異性の前で鼻を盛大にかむわけにもいかないし、そもそも手で口を押えたのだから水で洗いたいはずだ。
「トイレなら廊下出て右に行って一番奥の扉。手前に洗面所の扉があるけど間違うなよ」
「あ、ありがとうございます」
もごもごと恥ずかしそうに口を動かす織原は足早にトイレへと向かった。
全く慌ただしいやつだ。
僕は椅子に座りコーヒーカップへ用意していたスティックシュガーの中身を次々と投入していく。
こんな苦いもの砂糖の甘さで中和しなければ飲めない。そう僕はコーヒーが苦手だ。
普段母親しか飲まないコーヒーを自分にも用意してみたのは単純に見栄を張ったに過ぎない。四人の中で自分だけ他のものを用意するなんてコーヒーダメなやつアピールしているようなもの。
勝手に思ってる事だがコーヒーを飲める人はカッコいい。他人の前では僕もその枠に入りたかっただけである。
砂糖で甘ったるくなったコーヒーを今まさに口へと運ぼうとカップを持ち上げた刹那。
「今こそだ!」
「びっくりした!」
烏丸が突如覚醒し勢いよく顔を持ち上げたことに驚き、僕は危うくコーヒーカップを落としかけた。
「今この絶望感を歌詞に組み込めばより深みが出るはずだ! だから早くノーパソを持ってきてくれ!」
「自分のタブレット使えよ……」
「そんな勉強に必要ないもの学校に持って行くわけないだろ!」
「なんでそんなとこだけ優等生なんだよ!?」
「早く……早く夏代! 絶望感が薄れて行く!」
そんな絶望感という言葉を連呼するほど散々なアドバイスだったのかと思うと若干可哀想に見えてくる。それなら感情を殺して少しくらい耳をそばだてても良かったのかもしれない。
「分かった分かった。持ってきてやるから……」
僕は面倒くさいなぁとボヤきながら重たい腰を上げてリビングから廊下へ向かう。
タブレットじゃなくてもスマホを持ってるはずなのだからそれで十分なんじゃなかろうか。
確かに画面は小さくてキーボードも付いていないがメモを取るには最適なアイテムだと思う。
どの道具が作業効率を一番捗らせるかは人それぞれだが。
ここで一つ問題がある。二階にある自室へ向かうためには当然階段を上らなければならない。
それにはトイレの前を通る必要があるのだ。それがどうしたと聞かれたらこう答えよう。
家族ではない女子が使用している前を通るのはどうにも抵抗がある。自分の立場だったら嫌だ。とは言ったもののここを通らなければ二階には行けない。
心と耳を無にして通り抜けるか……。
そう決めて歩みを進めようとした時だった。
「あれ……?」
トイレ手前にある洗面所から水が流れる音が聞こえ歩みを止めた。
朝使った時に水を止め忘れたかな、と一瞬思ったがそれなら母親が出勤前に気づいて止めるはず。
不審に思いながら洗面所の扉を開ける。
「……何やってんのお前?」
「へ……? うわぁ、先輩!?」
洗面所の前にはなぜか顔を洗っている織原がいた。
驚いて顔を上げたせいで口周りについていた水が服へと滴り落ちる。
水に濡れて肌に張り付いたブラウスから中の白いキャミソールが透けて見えていた。
「あー、もう服濡れてる! 早く顔拭けよ。てかなんで口周りだけそんな濡れてんだよ!」
洗面台の横に備え付けられた扉を開けて中から白いタオルを掴むなり織原の顔へ押し付けた。
「むぐぅ!」
苦しそうにもがく織原の声を無視して口元を拭っていく。
あらかた水分を取り終えるともう一枚タオルを取り出し、今度は濡れた首元と胸元へ広げたタオルを押し付けた。
「えっと……先輩……そこは……」
いつもうるさい織原がタオル越しに遠慮がちに小さく呟いた瞬間、僕は間違いなく犯罪一歩手前の奇行に走ったことに気がつく。
僕はタオルから手を離すと勢いよく後ずさり洗面所から飛び出る。勢い余って壁に後頭部をぶつけるが痛みなど感じなかった。
間違いなく顔が真っ赤になっていることだろう。熱が出た時のように熱い。
セクハラまがいなことをされた織原は僕の顔と自分の胸に当てられたタオルを交互に見て、
「その……ゴメンねあんまり大きくなくて」
と、両手で掴んだタオルで口元を隠しながら恥ずかしげに笑う。
え、何このやり取り……。確かにわざとじゃないけどここは罵倒の一つでも投げてくるもんじゃないのか?
そもそも大きくないのか。外から見た感じはそこそこあるように見えるけどあれは大きくないのか。単純に下着とパッドでカサ増しされているだけのフェイクなのか。宮原と比べても見た目質量はあるように感じるけれど違うのか!? 大きくないのかあれ?!
などと僕の頭の中で一つの真理を見抜こうとかつてないスピードで疑問が飛び交っていた。
「……先輩さすがにジロジロ見過ぎなんですけど」
「わ、悪い! もし必要ならド、ドライヤーもタオルと同じ扉の中にあるからな。好きに使ってくれ!」
バツの悪さに居たたまれなくなった僕はその場から離れるために足を階段へと向ける。
「あ、そうだ! ねえ先輩今何時?!」
いつもの流れならば無視して二階に上がっているが、今はそんな雰囲気ではない。無意識だろうが何だろうが少しでも罪を軽減しておかなければならなかった。
っていうかコイツ気にしてないのか……。コロッと表情元に戻しやがった……。
僕は後ろのポケットからスマホを取り出し時間を確認する。焦りと滲んだ手汗でスマホを落としかけるがなんとか堪えた。ここで動揺を見せたら負けだ!
映し出された液晶画面には十一時五十五分と表示されていた。
僕は時間を読み上げ、同時にスマホの画面を織原に見せてやる。
「あー、油断したぁ! でも今からなら全然間に合う!」
突然一人で焦り出し、即座に一人で何かを解決した織原は洗面所から出るとおもむろに僕へと近づき自分の人差し指を僕の顔に突き付けた。
その顔はどこか嬉しそうで、何やら企んでもいそうな笑顔。
「ほら、先輩もリビング戻るよ!」
「は? いや、僕は部屋にパソコン取りに行かないといけないから……」
「そんなの後後! こっちが優先! 先輩の時間は私の物、私の時間も私の物!」
「国民的アニメの歌が下手なガキ大将か!」
織原はツッコミを無視し、僕が逃げ出さないよう僕の右腕を掴みリビングへと引っ張っていく。




