第八話 告白と誤魔化しと
僕は二階の自室に上がり、無地の黒いフード付きパーカーにこれまた黒いジーンズといったオシャレさの欠片もないシンプルな服装に着替えた。
そもそも慣れ親しんだ二人の前で洒落た格好をする必要はない。
さっきまで食べていた朝食の食器を台所の流しに運び、勉強道具を並べられるよう綺麗に片づける。
数学の教科書とノートを広げて早二十分。内容は授業を聞いていれば解ける問題ばかりだが、やる気があればそもそも補習など受けていない。
頭を抱えて唸り声を漏らす宮原が脳みそを回転させることに耐え切れなくなったのかポソッと呟いた。
「ねぇ夏代さ」
「何? ちなみにそこの答えなら既に間違ってるからな。一個前の因数分解にミスがある」
「えー、またぁ……。間違ってるとこ分かってるなら先に教えてよぉ……」
「逐一口挟んでたら途中で止まるだろ。まず先に全部解く力をつけろ」
「…………」
「返事は?」
「御意にござりまする!」
どうして時代劇なのか……。
そういえば宮原のお爺さんが時代劇好きなんだっけか。昔家に遊びに行った時よく観ていたきがする。
昔バンドの歌詞に侍やらお代官やらやたら時代劇を出してきた時期があったなぁ。アイディアは斬新でいいんだけど間違いなくウケは悪い。修正……というよりも全没だしてた思い出が今蘇る。本人曰く黒歴史……。
「で、何? なんか言いかけてたけど」
「んー。どうして嫌いな織原さんと二人でデートなんてしてたのかなぁ、と思って。素朴な疑問」
ドキリと体が僅かに跳ねる。
さすがにまだバレていないという淡い期待は出来ない。
「……恋バナ会開催するならもう勉強会中止にすんぞ?」
「待ってそれは困るわ。勉強も頑張ってするからこっちの話にも付き合って」
「お前ら僕のこと好きすぎだろ……」
「ええ好きよ。私も烏丸も夏代のこと大好き」
一瞬心臓に激痛が走り僕は体を強張らせた。
当たり前だが宮原が言ったのは友達として。頭では分かりきっている。だけれども女子に好きなんて言われたら心臓が弾けそうに鼓動するのは男子の性だろう。
「中学二年の夏のことは今でも鮮明に覚えてるわよ。夏代が初めて私たちに作ってくれた詩のこと。まだ荒々しい歌詞だったけど、弱気な少年が勇気を持って夢を追いかける物語。あの時の臆病な私たちの背中を押してくれた言葉と詩は一生忘れられないわ」
中二病だったあの頃の考えなしの行動だと言えばそれで終わりの出来事。
受験勉強でバンド活動を止めるかどうか悩んでいた宮原や烏丸の気持ちも考えずに口下手な僕が元気づけられる唯一の方法を取っただけのこと。
ただどうしてそんなことをしたのかと聞かれたらすぐに一言だけ答えられるだろう。
――頑張ってる人たちが好きだから。
自分には出来ないことを頑張っている人たちを見ていると素直に凄いと尊敬する。
だからといってあの行動は今思い出しても……黒歴史だ。
「やめろよ急に恥ずかしいな……。あんなの中学生特有の思春期衝動みたいなもんだろ。今思い出しても滑稽で鳥肌が立つ……」
「やめて。私たちの恩人を貶すのはやめて」
「僕のことだろ。僕が自分をどう言おうと勝手――」
「それでも、やめて」
宮原の真剣な眼差しに僕はそれ以上悪態をつけず口を閉ざす。
「私たちが今でも音楽をやってるのは夏代のおかげなの。だから私たちは大好きな夏代のことを放っておけないの。それに気になるじゃない。どんな理由があって嫌いな女の子と一緒にデートなんてしたのか」
「……関係ないだろお前らには」
「関係あるわよ。まともな精神状態じゃない夏代を続けられたら今後に支障が出るもの」
「今後影響が出ないようにすればいいだけの話だろ。そこは弁えてるし気を付けてる」
「……私にも話せないの?」
そんな彼女に心配されるみたいな言葉に加えて、上目使いで困ったような顔するな。可愛さの暴力か。さっきとのギャップが激しすぎてキュンときてしまうじゃないか。
けどまぁ別に隠すようなことでもないのも確かでもある。
とはいえありのままのことを話すというのも些か躊躇うので、かなり抽象的に端折って説明してみた。
「……たまたま出会って、たまたま脅されて、たまたま他人に見られただけですが何か問題が?」
「どんだけ偶然重ねたらそんなことになるのよ……。そういうことを聞きたいんじゃなくて、織原さんにわざわざ付き合った理由が聞きたいの。だって夏代が自己満の作詞やめたのって織原さんが原因でしょ」
「……なんで?」
「そんなの一目瞭然よ。織原さんのデビュー当初あれだけ凄い新人が現れたって騒いでたクセにいつの間にか『あんな奴のこと好きじゃない」って言い出すんだもん。さすがに心境に変化ありすぎよ。あの烏丸だって感づいてたわ」
「…………」
「嫌いになった理由はどうあれやっぱりまだ織原さんが気になるの?」
「フラれたけど未練たらたらでやっぱりまだ好きなの? みたいに聞くのやめてもらえる?」
「いちいち面倒臭いわね。じゃあ単刀直入に聞くわ。織原香苗のどこに自分を押し殺してまで関わる必要があったの?」
どっちがいちいち面倒臭いだよ。その勘の鋭さお前は小説に出てくる探偵か何かですか?
「普通嫌いな人だったらデートどころか会話すらしたいとは思わないわよ」
「質問に質問で返すけど、どうしてそう思う? ただプロの歌手の話を聞きたかっただけかもしれないだろ。相手はシンガーソングライターだ。僕の創作活動にも役立てるかもしれない滅多にないチャンスといっても過言じゃないだろ」
「独りよがりのマスターベーションは止めたんじゃなかったの?」
「……女子がマスターベーションとか言うなよ」
「そんなに意外? 案外女子って下ネタ好きよ? 夏代が昔気になってた八組の芳賀さんも女子で集まるとバンバン下ネタ飛び出してくるし」
マジで!? あの黒髪ロングストレートで深窓の令嬢っぽいあの芳賀さんが!? いつも恥ずかしそうに口に手を当てて笑う仕草がとてもお淑やかなのに、女子たちで固まるとあの口からそんなに下ネタが飛び出すのか……。可能なら是非その女子会に参加したいものだ……。
「さすがに参加は無理でしょ。そもそも男子が参加したらそんな話題にならないわよ」
「え、口に出てた?」
「表情に出まくってた。夏代自分では気が付いてないと思うけど、ババ抜きとか表情出まくってるからね」
十七年間生きていて初めて知った衝撃の事実! だから今までババ抜きで勝てたことが無かったのか!
思い出すのは小学五年生の修学旅行。あの時僕はクラスの男子数名と行った罰ゲームありのババ抜きでまさかの六連敗を喫し、その罰ゲームとして女子の部屋で――。
「芳賀さんの話はさておき、もう一度聞くわ。夏代が織原香苗に執着する理由は何?」
「……分かった分かったよ。言えばいいんだろ言えば」
両手を上げて嘆息混じりに降参を申し出る。
「とあることがきっかけで確かめたいことが出来た。正直調べる気も追及する気もなかったし、予想と合ってたところでどうかするってわけじゃないんだけど……。まさか本人から接触してくるなんて思ってなかったからいい機会だとおもった」
「降参しておいて随分と曖昧な答えね」
「確証もないしな。もう一度言うけどこの予想が事実と合致したからといってどうこうする気もないんだよ。ただの好奇心だ」
「……何それ、また誤魔化し? 私ってそんなに信用ない?」
「信用してるに決まってるだろ。信用も信頼もしてる。じゃないとあんな話なんて持ちかけたりしない」
「じゃあ話してよ。烏丸には言えなくても私には言えるでしょ!」
「……急に何怒ってんだよ。僕気に障ること言ったか?」
「さっきから夏代がのらりくらりと躱すからでしょ! もうこの際だからハッキリ言わせてもらうわ! ええ言わせてもらいますとも! 私はあんたの――」




