4-21
石版部屋でノアは一人考え込んでいた。ニイトが今まで歩んできた軌跡は、数ヶ月前にシミュレートされた可能性のうち上位5%に入るほど理想的だった。生命の樹を入手したことなどは予想外の肯定的案件だし、実際は予想以上に良い結果なのかもしれない。
そして事前の予想通りマーシャは側室を増やすことをあっさりと認めた。むしろ自ら進んでハーレムを拡大しているとさえ言える。
これも演算済みの結果だった。全てノアシステムの想定範囲内。
万事順調。しかしどういうわけかシステムから切り離された自分には鈍い波形の乱れがあった。
『またかしら?』
どうにも不安定な自分の精神波形。定期的に実体化させたしっぽを撫でてもらったり、猫耳をあむあむしてもらうことで収まるが、完治はしないのが不気味だ。
それに今までと違う別種の乱れも観測された。それは未来シミュレートをしたとき。次々と増えていく嫁たち。そして子宝に恵まれたニイト。そのとき自分はどうなるのだろうか?
ノアシステムでは生命を生み出すことはできない。よって自分は一人だけ子ができない。そのときニイトはどう反応するだろうか。自分よりも嫁や子供のことをより大切にするに違いない。
それはそれで構わない。もともとノアの演算でもそのような結果が出ているのだし、それこそキューブを多いに発展させるためノアシステムにとって都合が良い。
ていうかそもそもあたしはアイツのことなんて何とも思ってないし。ただの運命共同体なだけで、それ以上のことなんて何もないんだから。システムから切り離されたノアはそう自分に言い聞かせる。
だが、それでもどこかスッキリとしない部分がある。喉共に何かが詰まっているような鈍い違和感。本当にそれで良いのかという迷い。
『きっとこれが不安という現象なのね』
新たに獲得した擬似エモーションはあまり心地よくはない。
即座に解決しなければならいような緊急性はないが、それゆえに長期に渡ってずっと居座り続ける厄介な存在。
これ以上大きくならなければ良いのだけど……。
そんな考えをめぐらせているとき、とある計算結果が出た。
『……あれ? ひょっとして、コレを実行すれば……』
擬似神経パルスを微妙に狂わせる不安を除去できるかもしれない可能性を思いついた。
でもこれを実行するのはノア本体にとってややマイナス評価となる。
やるべきか、やらざるべきか、ノアは明確な回答を出せずにニイトに決定を任せることにした。
◇
その日、珍しくノアが不安げな声で聞いてきたので、ニイトは不思議そうに首をひねった。
『ねえ、あんたはあたしに実体化して欲しい?』
「どうしたんだ、急に?」
『いいから答えなさいよ。あたしがずっと人状態でいたら嬉しいの?』
「そりゃ、嬉しいに決まってるじゃないか。お前は見た目だけは絶世の美少女になれるんだから」
『そ、そう、嬉しいのね! てか、見た目だけは、って何よっ! 全てが完璧に美しいノアちゃんに向かって失礼ね』
「自分をちゃん付けとか……。ていうか、いきなりどうしたんだ?」
『一応報告しておくけど、あたし、常時人化できるようになったから』
「えっ!?」
そういえば以前にポイントに余裕が出てきたらずっと人状態になれると言っていたが、ついにそのときが来たのだろうか?
『あの子たちの炭作りを見て思いついたんだけど、キューブのひと部屋を使って炭を作って売却すると、僅かばかり利益が出るのよね。だから余っている部屋をいくつか使えば、あたしが一日中実体化し続けられるだけのポイントが稼げる計算になるの』
「マジか!? 詳しく聞かせてくれ」
一辺が10メートルの部屋にギッシリと木材を詰め込んで、部屋を高温にすると自然燃焼が始まる。酸素量と室内温度を調節して数日間燻し続けると炭ともくさく液が出来上がる。それらを全て売却すると、コストにかかったポイントよりも多いポイントが稼げることに気付いたらしい。
『だけど何部屋も圧迫するから、別に無理にやる必要はないわ。実体化したところでシステムアシストの質は変わらないわけだし、これといって何か利益が生まれるわけでもないし。ただ、あんたが望むならそれも可能というだけの話なわけで……』
どうにも歯切れの悪い言い回しだった。ノアが人化したいのかしたくないのか、いまいち伝わってこない。
「ノアはどうしたいんだよ?」
『あたしは、そ、その……、わからないわ。ノアはあんたの願いを叶えるためのシステムだもの』
「じゃあ、俺はノアが望むほうを選ぶよ」
『――ッ!? …………それが、一番困るのよ……』
しばらくう~~~~と唸り続けるノア。
『凄まじい数の情報が流れてきて、処理が追いつかないわ』
「何だそれ? ただ自分がしたいことを選ぶだけだろ?」
『あんたには簡単なことでも、今のあたしには途轍もなく難易度の高いことなのよ。擬似神経パルスの負担率が恐ろしい値を示しているわ』
なんだかよくわからないが、すごいシステム負荷がかかっていることがわかる。
「たとえノアのシステム的には人化するのもしないもの同じことであっても、俺にとっては違うことだ。可愛い姿を見るのも、唇から声が発せられるのも、肌同時が触れ合って体温を感じるのも、情報の質が全く異なる。俺としてはノアが実体化してくれたら嬉しい」
『そ、そうなのっ!?』
ノアの音声に張りが戻った。
「ただしそれを選ぶのはノア自身さ。だからこういうのはどうだろう? 一日おきに実体化をして、人化することに何か意味があるのかを長い時間かけて実験してみるってのは? これなら人化していない日のポイントがそのまま収入になるんだし、誰も損はしないだろ?」
『…………あんたが、それを望むなら』
「なら俺は、お前が自分で結論を導き出せるようになるのを望もう。そのために、今は暫定的に人化を繰り返して情報を集めてみようじゃないか。ドニャーフ族のみんなにも存在を認識されて会話したり、一緒に何かをやってみたりしたらどうだ? 今までと異なる質の情報が得られるかもしれないぞ」
『……うん。わかった。じゃあ、さっそく何部屋か使わせてもらうわね』
幾分か晴れやかな声だった。
さっそく実体化してみる。桃色の長い髪をはためかせた小柄な美少女の姿だ。
『ど、どうかしら……?』
「どうと言われても、ま、可愛いよ。普通に可愛い、美少女だと思う」
実体化したノアはいつもとやや印象が違う。ちょっぴり恥ずかしそうにモジモジしている。あらためて面と向かうと間違いなく可愛いので困る。不覚にも少しドキドキしてしまった。
『ふ、ふ~ん。架空の少女にドキドキするなんて、変態よね』
「いや、お前が望んだことだろ?」
『あたしじゃないわ。あんたの願いだもん。ノアシステムはあんたの望みを叶えるものなんだから。ほらっ、触ってみなさいよ』
「触る!?」
『い、言っておくけど、変な意味じゃないからっ。データを取るためだからね』
急にそういうことを言われると対応に困る。ニイトは手を伸ばすが、
『手付きが嫌らしいわっ。やっぱり触っちゃダメ』
「どっちだよっ」
『やっぱりダメよ。お触りはなし。ノアちゃんのキューティーボディーはそんなに簡単に触れないんだからっ。そこに座って』
促されるままにソファーに座るニイト。その膝の上にノアが腰掛ける。
「お、おい……」
『美少女に膝の上に乗られたらどのくらい体温が上がるか確かめてあげるんだからっ』
「いや、恥ずかしいからやめてくれ」
どけようとして肩に手が触れると、ベシッと手の甲を叩かれる。
『触っちゃダメって言ったでしょ』
「どうしろと?」
『じっとしてて。今からしっぽと猫耳を出してスリスリするから』
「何のデータを取ってんの!?」
『ひ、必要なことなのっ!』
まるで文脈が見えてこないが、可愛い猫耳少女と密着するのはそれだけで幸せなことなので、ニイトはまあいいかとノアの謎行動を受け入れた。
なんにせよ、この日よりノアは一日おきに実体化してキューブ内の人間と関わりを持つようになるのだった。




