4-3
どれだけ流されたかわからない。
岸辺に向かおうと必死でもがいたが、オリヴィアを抱えて腕が不自由だったこともあり、激しい水流に押し負けて成すすべがなかった。人の力など大自然の前には無力だと思い知らされる。
それでもやや水流が弱くなった瞬間を見逃さずに、一気に岸へ辿り着いた。
滑りやすい苔むした大岩をどうにか這い上がり、オリヴィアを岩棚の上に寝かせる。
まだ息はある。しかし高熱にうなされて湯気のような息を速いテンポで繰り返しているところを見ると、もう一刻の猶予もないことを突きつけられる。
「この場で治療する」
オリヴィアの衣服を剥ぎ取って、幹部を露出させる。
大きな乳房が外気にさらされる。
白い肌にピンクの乳首。張りのある形の良い双房。もとはたいそう美しいものだっただろう。しかし今は赤いボツボツとした発疹が無数に現れていて、両の乳房を横断するように巨大なみみず腫れが浮き出ている。
――《解毒 キュアポイズン》
二人は患部に手を添えて魔法を行使する。
治療が遅れたせいで毒が体のいたるところに回っている。全身に魔法を重ねがけしなければならない。
それでも妙な落ち着きがあった。必ず助けられるという確信もある。きっとアンナのときにも似たような状態で救えた経験があるからだろう。
半刻ほどで《解毒》は完了した。
オリヴィアは気を失ったままだが、呼吸はだいぶ落ち着いた。
毒によるダメージはマーシャの《治療》魔法に頼るしかない。
「どうだマーシャ。治療できそうか?」
「程度の低い傷や打撲のようなものならすぐに治るのですが、毒による体内の状態まではわかりません」
たしかに体の表面に浮き出ていた発疹や水腫は綺麗に引いてきた。内臓や神経についてはオリヴィアが意識を取り戻したときに確認してもらうしかない。
「場所を移そう。このあたりは足場が悪い」
「あちらに洞窟のような横穴が見えます」
オリヴィアを担いで洞窟へ移動した。
◇
「ん? ここは?」
「気がついたか?」
「お前はたしかさっきの……」
「ニイトだ」「マーシャです」
オリヴィアは身を起こすと困惑した表情で自分のからだを触る。
「我はオリヴィアと言う。それにしても、助かったのか? いや、そんなはずは……、確かにイラクサの毒にやられて……」
夢と現実の区別がつかないような顔のまま、オリヴィアは立ち上がる。
「痛っ!?」
「どこか痛むか? 毒は除去できたが、体の中のダメージまでは治っていないかもしれない」
「胸の辺りがビリッとした。いや、それ以前に、今、毒を除去したと言ったか?」
「ああ」
「ありえない! 解毒薬が効かない毒のはずだ。いったどうやって!?」
ニイトはどう誤魔化すべきか考えたが、もっともらしい言い訳は浮かばなかった。
「特殊な秘術を使った。詳しくは話せない」
そう言うとオリヴィアは顔の横に突き出た長い耳をピクピク動かした。いわゆるエルフ耳ってやつだ。
「非常に気になるが、その口ぶりだと他者にそう易々と教えられるようなモノではないのだろう」
「ありがとう。理解してくれて助かる」
「いや、礼を言うのは我のほうだ。死に行く命を救ってくれてありがとう。この拾った命、ニイトたちのために使おう」
「そんな大げさな」
ニイトは改めてオリヴィアを観察すると、かなりの美人だった。肩を流れる鮮やかな濃緑の髪、キリッとした瞳もアメジストのように輝いている。白い肌、豊かな胸、それでいてからだは引き締まっている。背はニイトより拳一つ半くらい低いだろうか。言葉遣いなども考慮すると、全体的にきちんとした印象で、どこかのいいとこのご令嬢を思わせる。
そして何よりも始めて実際に見るエルフ耳に視線が固定されてしまう。
「ん? どうした? 我の耳に何か付いているか?」
「いや、珍しくてつい」
「珍しいだって? 異なことを言う。エルフの耳など集落で見慣れているだろうに。そういえばニイトたちは集落で見かけなかったな。中央区で見ないということは南区の出身か?」
「え? まあ、そうだな。商人ってところか?」
「ショウニン? 何だそれは?」
「えぇ!? ほら、町から町へ移動して物を売る、あの商人だよ」
「町から町へだって!? 我の集落以外にも人が生き残っているのかッ!?」
あるぇ~~~? この流れ、どこかであったな……。おいおい、勘弁してくれよ。とニイトは過去の失敗を思い起こす。またもや商人が通じない世界に来てしまったのかと、頭が重くなる。
「いや、何でもない、忘れてくれ。確かに俺の拠点はオリヴィアの地区から遠い場所にあるよ。南と言えば南だ」
キューブの中では確かに南に位置する場所に本拠地の石版部屋がある。嘘は言っていない。
「そうか。それとさっきから気になっていたんだが、マーシャの頭の上のそれはなんだ?」
「耳です」
猫耳がピコピコと動く。
ニイトはあちゃーと顔を覆う。川に落ちたときに帽子が流されてしまったようだ。隠すのを忘れていた。
「見たことのない耳だ、本物なのか!? おい、ニイト。なぜお前は驚かない?」
「見慣れているもので」
「南区ではこれが普通なのか!? 聞いてないぞ!」
話がややこしくなってきたので、ニイトは強引にまとめる。
「俺たちはちょっと特殊なんだ。だからマーシャのことは他の人には黙っていてくれると助かる」
「むぅ、しかたないな。命の恩人の頼みなら致し方あるまい。それにしても、解毒といい、耳といい、不思議な者たちだな」
オリヴィアに胡乱な視線を向けられて、どうにも居心地が悪いニイトは、誤魔化すように質問する。
「それよりオリヴィアが知っている一般常識を話してくれ。毒の後遺症で記憶が混乱していると困るだろ?」
「そうだな。一応整理しておくか」
オリヴィアはチラチラと猫耳を気にしながら語りだす。
かつての大災厄から逃れた人とエルフが共に住む集落。彼女はその北地区にあるエルフ地区の出身だった。
エルフの多くは生まれ持った魔力の多さを生かして集落を守る結界を維持しているのであまり大勢が外に出ることはないが、生まれつき魔力量が少なかったオリヴィアは人間と一緒に外界へ出るようになったのだとか。そのおかげでエルフにしては活動的で人に近い生活をしてきたのだそうだ。
「これでも血統としては族長筋の正統に属するんだがな……いかんせん魔力量が少なくてこの有様だ」
「エルフにもいろいろあるんだな。そういえば大災厄っていつのことだっけ?」
「古代の文献は解読が難しくてな、詳しい時期は判明していない。わかっているのはかつての魔道士たちが禁断のキメラ実験を行って神の裁きを受けたということくらいだ」
「キメラ実験?」
「人為的に新種の生物を作り出すことさ。その昔、モンサーンという魔術結社があってな、病気や害虫を寄せ付けずに大量の食料を収穫できるキメラ・プラントと呼ばれる魔法植物の種を作り出したんだ。そしてそのキメラ・プラント以外を根こそぎ枯らしてしまう通称オレンジという魔法薬も同時にな。彼らは世界の食糧事情を掌握して全世界を支配しようとした」
うーむ。人の考えることはどうしていつもこんなことばかりなのだろうか。
「しかしあるときキメラ・プラントが暴走して人に牙をむくようになった。魔道士たちはこれと戦い、一度は勝利したかに思われた。だが、小さな種子の一粒が生き残っていれば再生できるキメラ・プラントが長い戦いの末に勝利した。また、その戦いの最中に、自然界の植物たちにも変化が訪れた。高濃度の魔力波動や枯葉剤オレンジなどによって、自然界は壊滅寸前にまで追い込まれ、植物たちは生き残る為に進化と突然変異を繰り返した。そうして生まれたのが新・植物のプラテインだ。プラテインは人類を自然界に敵対する悪性生物と見なし、人類を攻撃し始めた。さらに悪いことに、キメラ・プラントとプラテインが手を組み、共同戦線を張って人類の殲滅を始めた。これにより人類は完全に敗北。皮肉にも人類は自らが招いたタネによって滅ぼされることになったのだ」
「…………言葉を失うな。人の業は深い」
「まったくだ。それから何百年、何千年経ったかわからないが、今では我らエルフと一部の人間が結界内の小さな土地で生きながらえている状態だ。もはやキメラ・プラントやプラテインは全世界に拡散していると見られていて、人類の生存できる環境は我の知る限り結界のあるこの集落しかない」
「なるほどな。じゃあ、やはり集落に戻ることが先決だな。かなり下流に流されたけど、オリヴィアは集落の場所ってわかるか?」
「上流にあることくらいしか……。滝に落ちるときは死ぬときだからな。戻ることなど考えなかった」
「そもそも何で身を投げたんだよ」
「キメラやプラテインの中には人体を苗床に繁殖する種類もある。集落の脅威を下げるために、死ぬにしても川の流れで集落から遠ざけるのが務めだ」
それを聞くなりマーシャはいたく感心したようだ。
「仲間を思う気持ち、たいへん立派だと思います」
かつて同胞のために囮として死を覚悟した猫耳少女と、同じく同胞のために川へ身を投げたエルフ。二人は一瞬で意気投合した。
ならば、とりあえず川を登るとしよう。




