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野菜世界にきたニイトはピーター村長と話しを付けて、野菜を定期的に卸してもらうことになっている。大量に卸された野菜はキューブの時間停止空間に入れておけば保存も容易で、そこから毎日アンナの店へ必要な分だけ【転送】するだけでニイトの資産は毎日着実に積みあがって行くのだ。
ピーターの村には野菜のお礼に食器、土器、調理器具、工具、建材などを幅広く提供した。中でも塩が大変喜ばれた。
果物の甘味は満ち足りている村だが、塩は入手しにくいので価値が高いのだとか。精製前の岩塩なら【購入】で安く仕入れられるので、大量の野菜と交換できて実にうまい。
野菜はキューブでも栽培量を増やしたし、もうしばらくすれば安定供給ができるようになるだろう。
それまではニイトが直接出向いて野菜世界から野生の野菜を調達する予定だ。
今日もニイトは野菜世界へ赴いては果物を取ったり、遠出をして野菜を集めていた。すると面白い野菜を見つける。
見た目はただのトウモロコシなのだが、品質が高級まで高まっていたそれはサトウモロコシと名を変えていた。一粒食べて見ると硬くてパサパサ乾いていたが、薄い砂糖のように甘かった。乾燥させてから石臼で挽いてみると見事な粉砂糖になったのである。
ニイトは狂喜してキューブに戻ると、畑の一角にサトウモロコシの栽培を開始した。
塩と違って甘味料は非常に高価なので、安定生産できるようになればドニャーフのみんなも喜んでくれるだろう。
幕間3-2 猫耳青空学校。
忙しい日々を乗り越えて、ニイトの生活はのどかな日常を取り戻していた。
キューブの中で思い思いの生活を楽しむドニャーフ族の少女たちを観察することが、ニイトの新たな趣味である。
キューブ内を適当にうろうろしているだけでも一日中飽きずに時間を潰せた。同じ場所でも時間帯によって出会う少女が異なるし、毎日が新しい発見の連続だった。
料理、服、道具、家具など、日々新たなアイデアが生まれ続ける。
たった1ヘクタールしかない面積にこれほど多くの可能性が眠っていたとは、実際に経験しなければわからないことである。
そんなある日、ニイトは異変に気付いた。
それは粘土部屋に赴いたとき、日に日にロリカ族長の仕事量が増えて、ついには激務に追われていたのだ。
不審に思って声をかける。
「どうした? ずいぶんと忙しそうじゃないか」
「おぉ、ニイト殿、助けて欲しいのじゃ。このままではわらわは過労死してしまう」
「何があった?」
「粘土版の需要が爆発しておる。毎日休みなしに作らぬと追いつかん。しかもこのままじゃともうすぐ粘土がなくなってしまうじゃろう」
なぜそんな事態になっているのか、原因はすぐに判明した。
表面をなめらかに整形した粘土板は、火で焼かれることもなくそのまま少女たちに手渡される。
受け取った少女はそこに細く削った木の棒や鋭い虫の牙などで傷をつける。一人一人が全く異なる模様を刻んでいるが、闇雲にやっているようには見えない。
少女たちはときどき唸りながら、絵や図形に見えなくもないモノを次々に描く。ときどき柔らかい粘土の表面をぐりぐり潰して直前に描いた図形を消去し、その上に新たな図形を書き込む。
その動作でニイトは理解した。
「文字か――!?」
少女たちは誰に教えられたわけでもなく、粘土板に文字を書いていたのだ。
「なあ、それは何を書いているんだ?」
「料理の組み合わせです。美味しかった料理の作り方をいつでも思い出せるようにしたくて」
やはり、レシピの記録だった。
他の少女たちに聞いても似たような回答が返ってきた。料理のレシピ、作った道具の改善点、作物の生育過程の記録。
好奇心と向上心の塊のような少女たちは、もう既に自身の短期記憶を許容オーバーする量の情報を抱え込んでおり、自然と自分の頭以外の記録媒体を求めるようになっていた。
そして奇しくも古代人がそうであったように、粘土板に簡略化した情報記号を刻むことで、原始的な情報の保存をするようになったわけだ。
結果、ロリカ族長が悲鳴をあげると。
「なるほど、すぐに対応する必要がありそうだ」
「おお、頼むのじゃ、救世主殿」
ニイトはすぐさま対応を開始した。
とりあえず紙とペンを大量に用意しなければ。ニイトは声に出さずにノアに話しかける。
(状況はわかるだろ?)
『ええ。これは大変なことになりそうね』
(え? 何で?)
深刻さを含まないニイトの軽い相槌に、ノアは呆れたような口調になった。
『はぁ~、あんたのことだから、きっと紙とペンでも用意すれば済むとでも思ってるんでしょ?』
(何でわかるんだよ。てか、それじゃダメなの?)
『あんたの考えそうなことなんてお見通しよ。確かに筆記用具と記録媒体も大事よ。でもほら、よく見てみなさい。あの子たちの文字ってみんなバラバラでしょ? それぞれが考えたオリジナルの文字を使っているのよ。さらに言えば数字の法則も異なるみたいね』
(わかるのか!?)
『全部は無理だけど、一部なら解読できるわ。たとえば、「Å」は火を表しているんじゃないかしら。大きさの違うのは火の大きさを表していると考えられるわ。ほかにも「∩」は粘土や小麦をこねて伸ばしたものに見える。その下に刻まれた「/」の数で分量を表しているのよきっと』
言われてみれば、確かにそのように見えなくもない。彼女は料理のレシピだと言っていたからあながち間違いではなさそうだ。
(すげーな、お前)
『このくらいは当然よ。能力が制限されたとはいえ、あたしは英知の結晶であるノアなんだから』
ノアは鼻高に言う。
『で、話しを続けるけど、彼女たちは全員てんでばらばらの文字や数字を使っているわ。このままだとのちのち大きな問題を引き起こす可能性が高いわ』
ニイトの想像力ではいまいちことの重大さがわからない。
『考えても見なさい。異なる文字を使うということは、異なる文化に発展するということ。今は些細な違いに過ぎなくても、時間の経過と共に文化レベルが上がればやがてお互いの認識や概念が乖離して理解できなくなる可能性もあるわ。そこまでいかなくても、今後学問が発展する際にそれぞれの文字がばらばらだったらお互いの主張が理解できないでしょ?』
(なるほどな。すぐに文字を統一したほうがいいと)
『それが賢明ね。まあ、彼女たちの自由にやらせる手もあるわ。時間をかければお互いに作った文字を共有したり融合したりしてドニャーフ文字ができるだろうけど、それだとあんたも彼女たちの文字を覚えないといけないわよ』
(そりゃ、めんどくさい。でもドニャーフ独自の文字を作るのも面白そうだな)
やるべきことは決まった。
まずは全員が共通して理解できる文字と数字を決めること。余裕があればドニャーフ文字の作成も行う。
次に筆記用具の供給だ。粘土板は重いしかさ張るし使いにくい。紙やペンが欲しいところ。
(紙とペンを人数分揃えるといくらかかる?)
『粗悪な質の物でもかなりの額になるわ。筆記用具ってじつは高価なのよ。文明のレベルによっては王侯貴族やエリートしか持つことが許されないくらい厳しく所有が制限されたりするわ。だから基本的に一般人が買えないほどに高値ね』
(知識の流出を防ぐためか。圧制を敷いていると民が知識を高めて反乱されると困るし)
『そんなところね。だから【購入】するのはあまりお勧めしないわ。それよりあの子たちの消費スピードを考えたら、自給できるようになったほうがいいわよ』
(紙の作り方か。和紙の作り方を昔見たことあるけど、詳しくは覚えてないな。ペンに至っては全く知らない。どうしたらいい?)
『発想を変えてみたらどうかしら。どうしてあの子たちは粘土板に書いていると思う?』
(どうしてって……身近にあったから?)
『原初の人類が文字を残す素材として選んだのは粘土板だけじゃないわ。植物の茎や、竹や木、動物の皮なんかも利用されたわ。木材ならうちにも豊富にあるけど、どうしてあの子たちは粘土を選んだのかしら?』
(そりゃ、木は硬いから削るのに時間がかかるだろ。彼女たちは釘状の棒で書いているんだから、柔らかい粘土の方が理に適って…………、そうか! インクがないからか!)
インクがないせいで尖筆を使って削るしかないから粘土を使うしかない。インクさえあればもっと薄くて丈夫な木や紙に記録できるようになる。ちゃんとした紙の作製は後回しにしても大丈夫だろう。
(インクってどうやって作るんだ?)
『基本的には木を燃やした後に残るススを水で溶いて、そこに粘性の高いノリや樹脂やニカワなんかを混ぜるとできるわ。ま、あんたが作らなくてもあの子たちに作り方だけ教えれば何とかしてくれるんじゃない?』
(それもそうだな。なら、俺がやることは統一文字を教えることか)
てなわけで、ニイトは文字を教えることにした。ついでだから余った部屋の一つを学校の教室っぽく作ってみよう。




