3-7
ニイトは一度村へ戻った。
逃がした人質がちゃんと村に帰っているか確認すると、ピーター村長がこれで全員だと教えてくれたので一安心する。
「それにしてもヤツらは何だったんだ? 捨てられた野菜の恨みとか言ってたけど、ピーターは心当たりある?」
「え? い、やぁー、その、どうだろうねぇー」
歯切れが悪い。
「あるんだな?」
「……だって、野菜って苦くてマズイじゃないか。あまり食べたくはないよね。果物が足りないときにしかたなく食べるくらいで……」
「で、恨みが募った野菜に魂が生まれて復讐に来たってことかな?」
「……たぶん」
ことの顛末はどうも納得し難いものだった。600歳超えの子供(?)の野菜嫌いが転じて魔人を生み出したということだが、ニイトの常識外の要素が乱発してして何が何だかわからない。
「そう言えばさ、ヤツら『聖戦』がどうのとか言ってたけど、わかる?」
「さあ、僕にはわからないな」
結局それ以上のことはわからずじまいだった。大ごとにならなければいいがと、ニイトは一抹の不安を覚えるのだった。
◇
数日後、果樹園にやって来たニイトは不思議な蝶を見かけた。羽ばたくごとに翅の色がグラデーションのように変化する。赤、緑、青と多様な色彩が次々と現れて目を楽しませてくれる。
マーシャも大きな瞳をくりくり動かしてその軌道を目で追った。
「綺麗な色のチョウチョさんですね。たくさんの色が見えます」
「そうだな。こんな珍しい蝶は俺も見たことがない。捕まえてみるか」
美しい蝶と美少女のマーシャが共に合わされば、それだけで一級品の芸術作品になるだろう。そのロマン溢れる天然の絵画が見たくてニイトは手を伸ばす。
巨虫世界では標準装備だった虫取り網だが、この野菜世界では邪魔なので持ってきていない。翅を傷つけるのもかわいそうだし手掴みで挑戦するが、ゆっくりと飛翔していた虹色蝶は腕を近づけた瞬間だけ存外素早く動き回るのでなかなか捕まらなかった。
「おかしいな。蝶ってこんなに素早く動けたか?」
ニイトの手が何度も空をきる。しかし蝶はなかなか逃げようとしない。一定の距離を保ちながらニイトたちの傍を離れない。
「何か伝えたいことがあるのでしょうか?」
「蝶の気持ちがわかるのか!?」
「いえ、さすがにそんなことは。でも、先程から飛び方に一定の規則性があります。まるで何かを伝えようとしているかのように」
指摘どおり、虹色蝶は8の字を描くような軌道を多用している。よくよく観察すれば特定の方向へ行こうとしているのがわかる。しかしニイトがこの場から離れないので、何度も戻って着ているように感じられた。
試しにその方角へ進むと、蝶は自然な飛び方に戻ってニイトを先導した。
「ついて来いって言っているのか? よし、行ってみよう」
虹色蝶の後に続くと、果樹園の中央にある禁断の領域に辿り着いた。茂みをかき分けて中央へ行くと、禁断の樹の枝に蝶は止まった。
『待っておったぞ、異界の者よ』
頭の中に声が流れてくる。
「待っていた? では、この虹色の蝶はあなたが?」
『いかにも。そなたを呼ぶ為に我が遣わした』
ならばもう少しわかりやすい方法を取って欲しかったが、この厳粛な雰囲気の中で文句など言えようはずもない。
何か怒られるような事でもしてしまったのではないかと、ニイトは自分の胸のうちを探る。先日の野菜魔人の一件だろうか? 不安になってきた。
「何用でしょうか?」
『じつはそなたに頼みたいことがある。本来ならばこの世の事情は人の子らによって解決されるのが筋ではあるのだが、緊急を要する事態により、世の理から外れた異界人であるそたなに頼まざるをえなくなった。どうか我が主の願いを聞いて欲しい』
どうやらお叱りを受ける話ではなさそうで一安心。しかしそれとは別に緊迫した事態が起こっているようだ。
「自分にできることなら喜んで協力致しましょう」
『おお、色よい返事に感謝する。我が主もお喜びになるであろう』
「して、いかなる問題でしょうか?」
『じつは、かねてよりこの世の理を捻じ曲げて猛威を振るっておる輩がおる。ヤツらは野の果実に憑依をし、人の子に似た姿に変質しては大地に増え広がっておる。このままでは世界中の土地がヤツらの手中に落ちてしまい、やがてこの園と人の子らの居場所がなくなってしまうであろう』
それって野菜魔人のことだよな、とニイトは渋い顔をした。
『しかもここ数日、ヤツラは急速にこの果樹園に近づいてきており、明日中には大軍勢が押し寄せるであろう』
「まさかっ。すぐに防衛体制を整えなければ」
『それが、じゃの……』
謎の声は歯切れが悪そうに言い淀む。
『我が主は戦争を好まぬゆえ、人の子らにも戦う術を与えておらぬ。よって、件の輩に対抗する手段がなのだ』
「詰んでるじゃんっ」
思わず天を仰ぐニイト。
『そこで、そなたたちに頼みたいのじゃ。どうか人の子らとこの果樹園を守ってはくれぬか?』
無茶を言いなさるな。たった二人で軍勢の相手をしろなんて無茶振り以外の何ものでもない。
今回は分が悪すぎるため、ニイトはどうやって断ろうかと思案を始めた。だがそのとき、自信満々に猫耳を屹立させた青髪美少女がササッと前に進み出た。
「お任せ下さい。必ずや我が御神、ニイトさまのお力で敵の侵攻を退けてご覧に入れましょう」
マーーーーシャぁあああああああああああ!?
やりおったぁああ! どうしてくれるんだよ! さすがに今回は無理だよ。しかも相手は神の使いっぽい感じのやばそうなヤツだぞ? そんなのに大見得を切っちゃったよ。もう引っ込めないよ。どうすんだよ。
『おおお、なんと! そなたもまた神族に名を連ねる御方であり申されたか。人の姿に受肉されていて気づきませなんだが、始めに会ったときより不思議な気配を感じておりました。されど、まさかこれほど位の高い御方だとは気付き申せませなんだ。我の立場では神族にまつわる知識を得ることは叶いませぬが、さぞ力のある御方であると心得まする。我が主に代わって深くお礼申し上げる次第にございまする』
「ぇ、あ、ぃや、その……」
めっちゃ、低姿勢になってるぅうううう!
ニイトはしどろもどろになって脂汗を流す。
神の使いっぽい存在の前で神を騙るなんてバチ当たりなことをして、あとで神罰が降らないか考えるだけでも胃に穴が空きそうだ。とにかく、この場を上手くまとめなければ。
でもどうすんだよ。下手に自分は神じゃないとかいってもマーシャがまた暴走しそうだし、かといって私が神ですなんて嘘をつけるわけもない。とにかく、誤魔化す。
「私はそれほど大層な者ではありませんが、この地に滞在できる短い間に、できる限りの事はやってみましょう」
『頼りにしておりまする』
結局こうなっちゃったよ。
「では、すぐに準備にかかりますので、失礼します」
ニイトはこの場から逃げるように【帰還】した。
◇
大変な事態になってしまった。
「マーシャ、頼むから勝手に話しを進めないでっ! てか、他人の前で俺を神だと言わないで」
「申し訳ありません。ニイトさまのご威光を広めたくて、つい口が出てしまいました。でも、大丈夫です。ニイトさまなら必ずや勝利されるでしょう」
瞳をキラキラ輝かせて尊敬の眼差しを送ってくるマーシャを見て、ニイトは怒るに怒れない。こうなったらマーシャにカッコいいところを見せることをモチベーションにして頑張るしかない。
とりあえず防衛の準備だ。
時間がないからできることは限られる。
まずニイトは果樹園から少し離れた一帯を囲むように溝を作る。あーくんの【購入】スキルを使って土を浅く掘り進めれば短時間で何キロもの距離の溝を作れる。そうして掘った場所に今度は激安の薪と激安の油を【購入】して並べていく。一つ一つの購入額は安くても大量に買えば値段も嵩む。痛い出費だ。どうにかして抑えられないものか。
――【大口購入】スキルを覚えますか?
「お? 何だ?」
突然あーくんの表面にスキル購入画面が現れた。10万ポイントでさっそく購入する。内容は一度に大量の商品を買うときに割安になるというものだ。
――【大口購入】スキルを覚えました。
すると購入リストに【通常購入】と【大口購入】の選択肢が現れる。大口を選ぶとさらに購入量の選択肢が現れて、最大で50%まで割り引かれるようになった。
「これはありがたい!」
さらに、
――【お得意様】スキルが取得可能です。
取れるものは何でも取る。
すると覚えた瞬間に、購入額が1%割り引かれる。そのままさらに購入を続けると2%、3%とあっという間に割引率が10%ほどまで上がった。
たくさん買えば買うほど割安になっていくスキルのようだ。非常にありがたい。
これでポイントはだいぶ楽になった。後は時間との勝負である。
「あーくんが一体じゃ間に合わないか。二体以上出せるのかな?」
――あーくんの複数召喚を行いますか?
できちゃったよ。
さっそく召喚する。
すると分身した二つのあーくんが地面を並走する。
「これで二列の溝を同時に作れるな」
しかし二つのあーくんを同時に操作しなくてはならず、ニイトの負担は二倍になる。気を抜くと片方のあーくんが動作不良を起こすのだ。
「さすがに並列思考は難しいな。慣れるまで時間がかかりそうだ」
なにはともあれ、最低限の仕掛けは準備できた。




