2-27
キノコ少女エリン。
ドニャーフ族は激動の時代を迎えていた。つい先日までは絶滅の危機に怯えていたと思えば、現在は空前の技術発展期に突入しつつある。
暗く淀んだ世界から、光り輝く活気に満ちた世界へ。ドニャーフの運命は一夜にしてひっくり返ったのだった。
全てたった一人の神とすら呼ばれる存在によってもたらされた結果である。
毎日のように新しい価値が生まれ、代わり映えしない退屈な日常が幾日も続くようなことはない。一日が一年にも等しい密度を持ってあっという間に過ぎ去っていく。
誰もが生彩に富んだ新しい生活に歓喜し、彼を褒め称える。中には崇拝している者すらいる。
だがいつの時代にもそんな移り行く時代の流れに取り残されて、早すぎる世の中の動きについていけない者も出てくるのである。
エリンもそんな一人である。
もともとのんびりした性格の彼女は、現在の新しい生活のリズムが早すぎると感じていた。何もかもが新しい生活に不満があるわけではない。むしろ彼女自身も日々の生活を楽しんでいた。
ただ、あまりに急激な変化に心のどこかで戸惑っているのだ。
滅び行く世界で生存のために冬眠生活を送っていたかつての自分。時間の停泊状態から、まるでせき止められていた水が勢いよく放流されたような勢いに飲み込まれそうになる。このまま濁流となって流れ続けた先にどんな未来が待ち受けているのか、エリンの胸はざわめいた。
エリンはそんなことをキノコ部屋で考えていた。
この部屋だけがかつての生活と同じ空間なので、気分を落ち着けてくれる。収穫をするわけでもなく、ただぼんやりと眺めるのが彼女の日課だった。
そんな折に部屋の扉が開いた。
ここ最近は誰もが物作りに熱中しているので、この部屋に人が訪れる回数はめっぽう減った。
誰が来たのだろうと、エリンは振り返る。
「おや、エリン。よくここで会うね」
ニイトだった。
「キノコを見ていると、心が落ち着くんです」
「何か問題はある?」
「いえ。ただ、上のほうのキノコが取りにくいです」
新しいキノコ部屋は以前に比べて高さがあった。それゆえ上部には大きく膨らんだものが手付かずで放置されていて、エリンにはもどかしかったのである。
「それなら良い方法がある。ちょうど新しく使えるようになったスキルがあるんだ」
スキルという言葉が何を意味するかはエリンにはわからなかったが、凡人には不可能な力の行使であると予想される。
はたしてその通り、ニイトが手をかざすと見たこともない異様な石が現れた。
全ての面が四角形に整った真っ黒な石。表面には規則的な模様が描かれている。
同じものがいくつか作り出されて空中に浮遊する。
「乗ってみて」
エリンは恐る恐るその黒い石に足をかけたが、不思議なことに完全に乗りかかってもその黒石は宙に浮いたまま微動だにしなかった。
「すごい……」
「これで上のほうも届くだろ?」
こんな超常現象をいとも簡単に起こしてしまうニイトは、やはり神なのかもしれないとエリンには思えた。
大量に収穫したキノコを抱えたエリンだったが、表情は少し暗かった。
以前はこんなに収穫できたら喜びが湧き上がってきたものだが、現在はキノコよりももっと美味しい食材がニイトによってもたらされているので、誰もかつての感動を思い出すことはないだろう。そう思うと切ない気持ちになるのだ。
浮かない顔のエリンを見てニイトが聞く。
「嫌なことでもあったの?」
「いえ、毎日が楽しいです。…………ただ」
言うべきか迷ったが、エリンは思い切って打ち明けることにした。優しいニイトならきっと怒らずに聞いてくれると思ったから。
「不安に思うこともあります」
「何かな? 俺にできることなら何でも言ってくれ」
「い、いえ、その、今の生活に不満があるわけじゃないんです。ニイトさまにはとても感謝しています。ただ、毎日がすごいスピードで変化していくので、この流れについて行けるか心配になることがあるんです。以前はたくさんの人が訪れていたキノコ部屋にも、今は人が減ってしまいました。どことなく寂しさを感じます」
エリンの独白を、ニイトはじっと聞いていた。
「みんな前の生活をすっかり忘れちゃったみたいで、でもそれはきっと良いことだと思うし、でも本当に忘れちゃってもいいのかなって思うんです。こんな風に思う私って、おかしいのでしょうか?」
気付けばエリンはポロポロ泣いていた。漠然とした不安は自分が把握していた以上に積み重なっていたのかもしれない。
俯くエリンの頭に、ニイトの手が置かれる。何度か優しく撫でながら、
「おかしくないよ。確かに急激に変化しすぎたよね。打ち明けてくれてありがとう。そしてエリンみたいな子に気を配ってあげられなくてごめん」
「そんなっ! ニイトさまは悪くないです。私がのろまなのがいけないんです」
「そんなことはないよ。信じてもらえるかはわからないけど、実は俺も昔はエリン以上にのんびり屋さんだったんだ」
「ニイトさまがっ!?」
「ああ。周りの人間はどんどん成長して変化していくのに、自分だけずっと変わらずに社会の流れに置いて行かれてしまったんだ。だから、今のエリンの不安も少しは理解できると思う」
とても信じられない話だった。あのニイトさまに限ってそんなことがあるはずがない。
「もっとも俺の場合は停滞しすぎて手遅れになっちゃったけど、みんなのおかげでまた前に進み始めたような気がするよ。みんながたくさんのモノをくれたからね」
「私たちの、おかげ?」
予想外の言葉だった。ドニャーフ族は常に与えられる側であって、何かをあげたような記憶はない。
自分の知らないところでみんなはニイトさまに何かをあげていたのだろうか。まさか、
「ひょっとして、もうみんなニイトさまにしっぽを!?」
ポンっ、と顔を赤くして猫耳に力が入るエリン。
いくらニイトさまが救世主だからって、そんなに簡単にしっぽを許すなんて、みんなはしたないわ。
「いやぁ、そういうことじゃなくて――」
「違うってことは、しっぽ以上のこと!? ま、なさか、しっぽの付け根までっ!? はぅっ!」
言葉にしただけで、エリンの足腰から力が抜ける。倒れそうになるのを、内股になってぷるぷる震えながら耐えた。
そんな、しっぽどころか付け根まで許していたなんて。破廉恥すぎる。
「いやいや、何を誤解しているかはわからないけど、みんなが笑顔で元気に過ごしてくれるのを見られれば俺も元気になるんだよ。てか、しっぽを触るのってどういう意味があるんだ? 誰も教えてくれないからわからないんだよ」
「そ、そんなこと、女の子の口からは言えませんっ!」
衝撃の事実。まさかニイトさまが意味を知らなかったなんて。でも、伝えようにも恥ずかしくて言えない。
「ま、とにかくだな、何が言いたかったかと言うと、エリンはエリンのペースで進んでくれればそれで良いんだ。周りを気にすることはないよ」
「はい……」
「それと、俺も前の生活を全て忘れてしまうのはマズイと思ってる。だからこれから定期的にこのキノコを使った料理大会を開こうと思うんだ」
「モフタケの料理大会?」
その言葉はエリンの耳にとてもよく通った。
「モフタケはみんなの故郷の作物だろ? だから、このキノコを食べるたびに前の世界のことを忘れずにいてもらおうと思って」
「そっか……ニイトさまはちゃんと考えてくださっていたんですね」
エリンはどこか心の隙間にピッタリと収まるものを感じた。
「良かったらエリンも参加してみたら? 大会は明後日だよ。そしてできればその収穫したキノコを大会用にいくつか貰いたいんだけど」
「はいっ。もちろんです」
エリンはつき物が取れたように笑顔になった。
珍しくやる気が漲ったエリンは、その日から大会のレシピを考えたのだが良いアイデアが生まれずに唸っていた。
「ぅ~ん、ただ焼いただけじゃ工夫が足りないわよね。みんな考えそうなことだし」
しかし良案はすぐには生まれない。
焼いてみる。蒸してみる。茹でてみる。
どれもしっくりこない。もっと、今の自分の気持ちを表現するような手法はないのもか。
ライバルたちが次々にレシピを完成させていく中、エリンは焦った。練習用に山積みにされていたモフタケも残り少ない。いったいどうすれば。
足りなくなったキノコの補充に向かうエリン。そこで不思議なものを見かけた。
干からびたモフタケ。
きっと誰かが間違えて小さいものを収穫してしまって、そのまま捨てたのだろう。
こんな光景はかつての世界では決して見られなかった。小さなキノコだって貴重な食料だったから大切に食べていたし、捨てるなんて考えもつかないことだった。
新しい世界では食料が豊富になったせいで、やはり大切な心の何かが失われているような気がして、エリンは悲しくなる。
食べられずに打ち捨てられたキノコがかわいそうで、エリンは口に運んだ。
「あれ? このキノコ……」
口に入れた瞬間、エリンは予感めいたものを感じた。これはひょっとしたらいけるかも!?
今まで自分が感じていた気持ちと、料理の完成形が一致する。
さっそく試してみると、思ったとおりの味が生まれた。
「これだ!」
ついにエリンは自分のレシピを編み出したのだった。
後半へ続く




