2-22
数日後、ニイトとマーシャはこっそりアンナの様子を確かめに行った。
「アンナ~、生きてるか~?」
「ニイトはん! 良かった、ようやっと会えたわ」
アンナは無事に生きていた。刺された後遺症もなさそうで、元気そのものだ。
「無事で良かったよ」
「ニイトはん、マーシャはん。ほんまにありがとう。後でハンターさんから聞いたんやけど、あんさんらがおらんかったら、うちはもうこの世にはおらんかったかもしれんて。ほんま、二人には二度も命を救われたんやな」
「ま、アンナに死なれたら目覚めがわるいからな(防護服破ったの俺だし)」
「そうですよ、アンナさんが無事で何よりです」
アンナは感極まったように目頭を押えた。
どうやらアンナにはあの神様事件の一件は伝わっていないようである。おそらくハンターたちはちゃんと黙秘してくれているのだろう。よかった。
「二人とも、ほんま、ありがとう。何度お礼を言うても足りんわ」
「なら、命の恩人として、一つだけお願いしてもいいか?」
「何やろ? 今度こそほんまに何でも言うことを聞くよ。それこそからだを求められても、この場でよろこんで捧げる覚悟や」
「ならばそのからだを、ぐへへ――」
わざとらしく冗談であることを全面に出したのだが、アンナは若干照れたような顔で服の帯を緩めて、マジで脱ごうとする。
ニイトは一瞬誘惑にかられたが、手の甲をつねって耐える。
「――大事にしてくれよ。もう無茶なことはしないでくれ」
服をはだけそうだったアンナの手元を握り締めて、ニイトは告げる。
アンナは一瞬観念したような表情をしてから、小さく一息ついて、声を弾ませる。
「ちぇっ、今なら落とせるって確信しとったのに」
「何か言ったか?」
「何でもなか。ま、言われんでも、もう懲りたわ。ハンター家業はうちには無理や。うちはおとなしく街の中で腕を磨いとるよ」
「それが良い。どうせなら一流を目指せよ」
「もちろんや! うちはなったるで、一流の――」
そこで大きく息を吸い込んだアンナは清々しい口調で言い放った。
「――料理人にっ!」
「そうそう一流の鍛冶師に……えぇ!?」
幻聴を疑って聞き直したけど、やっぱりアンナは料理人になると言っている。
「どうしてだよ! そこは鍛冶師じゃないの!?」
「鍛冶じゃ美味いもんは食べられんやろ? 言うとくけど、うちは美味い虫肉を食うことを諦めとらんで! ハンターが狩った獲物をいち早く買うて、美味い料理にして食べるんや。あわよくば料理の腕だけであのとき食べた肉に匹敵する味を引き出せるようになったる。それには料理人になるんが一番やろ?」
たしかにそうかもしれないが、今まで続けてきた鍛冶をそう簡単に捨てられるものなのか?
「もちろん鍛冶も続けるよ。武具がないと獲物を持ってきてくれんしな。それにこれからは料理道具も自作するんや。道具がよければ少しは味も良くなるやろし」」
工房内をよくみれば、今までの鍛冶道具の他に調理器具も幾つか新調してあった。もう既にアンナは歩み始めていたのだ。
「なるほど。いろいろ考えてるんだな。これからは鍛冶師に金物屋に料理人と、三人分も働くわけか」
「美味いものにありつくには、そんくらいせぇへんとあかんのやろな」
ひきニートには到底まねできない勤勉さだ。
「ほなさっそく味見をしてや」
アンナは幾つかの試作料理を運んできた。
「これは……蜂だよな?」
蜂の幼虫やサナギ、成虫などが串に刺されていた。
「せや。ハンターさんに聞いたんやけど、あんさんせっかくの戦利品を食べずに行ってもうたんやって? もったいない。いったいどこに行っとったん?」
「あ、それは……ちょっとな」
やはりアンナは神さま事件を知らない。ならば黙っているのが吉だろう。
マーシャと目を合わせると、また爆弾発言をしたくてウズウズしていたので、やめろと目で圧力をかける。するとしゅん、っと猫耳が垂れた。
「まあ、ええわ。ほな、うちの処女……作を食べてや。名付けて『蜂づくし、あなたのハートに即死針スペシャル』や!」
「今変な間がなかったか? てか、物騒な名前だな。食ったら毒で死んだりしないよな?」
「蜂毒は火を通したら消えるし大丈夫よ」
アンナを信用して、ニイトは一口食べてみる。蜂料理は日本でも一部で食されているし、ギリギリオーケーの範囲だろう。
「甘い! 白身魚のようなタンパクであっさりした味だが、動物系の旨味が出ている。さらにコーンや木屑のような香ばしさがあるな」
「幼虫は背わたを取ってサッと茹でるくらいが、一番持ち味が生きるで。ほな、次は前蛹をいってみよか」
「前蛹?」
「幼虫からサナギになる中間の状態やな。幼虫よりも味が濃くなるで」
ここまできたら躊躇う必要もなく、ニイトはひとおもいに口に入れた。
幼虫のときよりも強い弾力で、ぷちっとした食感だった。しかし味はカニ味噌やウニのような強い旨味が濃厚に詰まっていた。
「本当だ。味が全然違う」
「とても濃厚です」
マーシャも気に入ったようで、垂れていた猫耳が元気を取り戻した。
「せやろ。お次はサナギや」
「――――あれ? 急にあっさりしたな。濃厚な旨味が消えて、豆腐や穀物みたいな優しい香りになった」
意外な変化にニイトは驚いた。成虫の蜂は幼虫とはまったく別物の味に変化していた。
「不思議やろ? 蜂って成長の段階によってここまで味が変わるんよ」
最後に食べた成虫はタンパク系の味はほとんどなくなっていた。しかし体液の甘味は残っており、味は悪くない。から揚げにでもすれば香ばしく頂けそうである。
「知らなかったよ。同じ蜂でもこんなに味に違いがあったんだな。それなりに虫料理は食べたけど、正直なところ蜂料理は他の虫と比べても抜群に美味いな」
「わたしも一番好きです」
マーシャも高評価だ。
「気に入ってもらえて何よりや。今はそれぞれの素材に適した調理法や味付けを試行錯誤しているところなんよ」
「そうか、いろいろ考えてるんだな。いきなり料理人になると言い出したときは心配したけど、これなら応援するよ。そうだ、一つ料理に関して提案があるんだけど」
ニイトはかねてから考えていた構想を話す。それは粉末やペースト状にして虫の形をなくした料理レシピの考案だ。これができればドニャーフ族にも安心して提供できる。すり潰す手間も省けて一石二鳥。
この世界にずっといるわけではないニイトにはできないが、アンナには現地人を雇って食品加工工場を経営することだってできる。そのためならニイトは惜しみなく投資をするだろう。
「面白そうな案やな。さっそくレシピを考えてみるわ」
アンナは乗り気だならばニイトも協力する。
「よし、話は決まりだな。それなら俺はまず薪と油の調達に出かけてくるよ。ついでに必要なものがあったら言ってくれ」
ニイトは油工場へと向かった。
◇
街の食用油は街の中央で厳重に管理されたアブラムシ工場で生産されている。
この巨蟲世界では油までが虫製なのだ。
もっとも地球で見かける小さい粒状の虫ではなく、拳大もあるどでかいアブラムシだけど。
以前は住人がそれぞれアブラムシを飼育して油を採取していたそうだが、いつだか大規模な火災が発生してから、街の一画に火気厳禁な区域を作って一括生産されることになったのだとか。
それゆえ、油区画では連日油を買い求める住人が列をなすのだ。
油の仕入れを終えたニイトとマーシャは、食品街でレシピのヒントになりそうなものはないか探索していた。
「それにしても、この前の遠征は大変だったな。マーシャにもいろいろ苦労をかけた」
「そんな、とんでもありません。わたしはとても幸せです」
「そうか? 《解毒》とか大変だっただろ。俺もやってみたけど結構神経をすり減らせる作業だったぞ」
「滅相もない。むしろニイトさまから頂いたお力でたくさんの人を救えたのです。こんなに嬉しいことはありません」
そっか。マーシャはいい子だな。
ほっこりするニイト。
「あら? ニイトさま、あそこに見たことのない料理がありますよ?」
「ほんとだ、麺のようにすすってるな。行ってみよう」
箸のようなもので長いひも状の何かをすすっていたので、ニイトの期待感は膨れ上がる。が、その分、近づいたときの絶望感も大きくなる。
「うぇええ! ミミズじゃねーか!」
麺だと思っていたのは無数のミミズだった。
もはや毎度お馴染みのパターンだ。ニイトはまたか、という思いでいっぱいになる。せっかくほっこりしていた気分が一気ににゅるにゅるする。
「行こうマーシャ。あれは俺たちの食うものじゃない」
「はい。あ、足元に虫が走っているのでお気をつけて」
「了解――わひゃっ!」
その虫というのは黒光りしてカサカサ動く台所でよく見かけるアイツだった。
油断していたわけではないが、ニイトは地球時代の習慣で反射的に飛び退いてしまう。虫だらけの異世界に来ても、長年続けた習慣は中々抜けないものである。
すると、近くを歩いていた子連れの親子のうち、少年が素早く反応してGを素手で捕まえた。
「おかぁさん、捕まえたよ!」
「あら、運がいいわね」
なぜか微笑む母親。して次の瞬間、信じられない光景が生まれた。
男の子は捕獲したGの翅をむしると、ひと思いにガブリと噛み付いたのだ。
「ううぇぇぇえええ!」
ニイトはガチで引いた。
Gの生齧りである。いくら金を積まれたとしてもやりたくない。
少年は笑顔で咀嚼。その様子を穏やかに見守る母親。どこからどう見ても日常の一こまである。ただし、少年の口元にはモザイクが必死だが。
そして少年はとある屋台へ出向いて、手にしたGの翅を店員に二枚渡す。
「まいど、軟殻2枚、ちょうどお預かりっ!」
(――えっ……っ!?)
ニイトは一瞬、世界の音が消えて聞こえた。
思考が考えることを放棄したように鈍くなり、ぼんやりと少年の姿を追っていた。
少年は交換した焼きバッタを持って母親の元へ戻っていく。その途中で、再び足元をカサカサ揺れ動いた虫を捕まえた。
「おかぁさん、また捕まえたよ!」
「まぁ! それは銀殻じゃない! よくやったわ。今日は豪華な夕食が食べられるわよ。中央に行って穴を空けてもらいましょう」
母親は子供から取り上げた銀色のGの翅をむしり、大事そうに懐にしまった。
その形状。彼女の会話から推測される合理的な結論。
ニイトはこの世界の貨幣である虫の翅らしき殻の束を、腰の袋から取り出して見比べる。
そっくりだった。少年が捕まえたGの翅と。つまり、
――この世界の貨幣は、ゴキ○リの翅だったのだ。
「う、ぅわぁあぁぁあああぅううあああああああああああ!」
深刻な精神汚染を感じ取ったニイトは、再び引きこもった。アンナの工房の前に油と全財産を置いて。
やっぱり虫は嫌だぁああああ!
第二章 巨蟲世界と職人少女 完




