2-21
ニイトは即座に決断した。女王蜂に向かって指を構えて、同時に叫ぶ。
「マーシャはアンナを!」
そして自らは《魔法の矢》を射る。
両方を得るにはこの方法しかない。
しかし渾身の一射はギリギリ射程外に逃れた女王蜂に当たることはなかった。
(くそっ!)
射程の長いマーシャに攻撃してもらえば、ワンチャン当たったかもしれない。だが、それには数秒ほどアンナを犠牲にしなければならなかった。間違った判断はしていないはずだ。
既に女王蜂は射程外まで逃げていて追撃の手段はない。
ニイトは女王蜂を諦めてアンナに駆け寄る。
「どうだ、マーシャ」
「ダメです! 刺されが箇所が多すぎます!」
何でそんなことになったんだ。
アンナの患部を調べると、急いで縫い合わせた防具の隙間から小型のキラービーに侵入されていた。これは昨晩、アンナを街に残す為に自分が壊した箇所だ。
後悔先に立たず。完全に裏目ってしまった。
「頼むマーシャ。何としても救ってくれ」
「ニイトさま、もう残り回数がありません!」
それを聞くとニイトは躊躇なく【帰還】を使用した。
「「「消えた――!?」」」
大勢の前で突然消えれば間違いなく一般人ではないとバレてしまうが、こうなってしまっては背に腹は代えられない。自分の立場など彼女の命と天秤にかけられるわけがない。
キューブに戻って、マーシャの魔法を補充しつつ、自分も《解毒》のスキルを覚える。そしてすぐさま再帰還。
「「「出たッ――!?」」」
驚くハンターたちの視線を無視して、アンナの治療を再開する。
左手薬指の爪に刻まれた紋章が発色し、毒に侵されている幹部の場所をニイトに教える。
アンナの背中は十箇所以上も刺されていた。血液に乗って毒が体内を移動している様子がわかる。
マーシャと手分けしてその一つ一つを解毒していく。
少しずつ、少しずつ、小さな範囲の毒を消滅させていく。
「くそっ! 間に合ってくれ!」
マーシャですら一度の発動に30秒はかかる。しかも成功率は50%。それよりも劣るニイトの魔法ではもどかしさばかりが募る。
「お、おい、お前……、今、何秒か消えてた……よな?」
「……」
その問いには答えずに治療に専念する。
10分か20分か、焦りのせいで時間間隔が不鮮明だが、それなりの時間が経過した頃に、ようやく全ての患部を解毒できた。
「はぁ、はぁ、何とか間に合ったか?」
張りつめた緊張から解かれて、二人は肩で息をした。
「アンナ。意識はあるか?」
返事はない。気絶しているのか、あるいは眠っているのか。
あとはアンナの自己治癒力に期待するしかない。
救助活動がひと段落ついたことで、ようやくニイトは周囲の視線に気付いた。
不安、不信、怪訝、興味、さまざまな感情を乗せた瞳がニイトたちに集中していた。
「お前……お前は、いったい……?」
かねてより問われ続けていたギルド長に、ついに釈明しなければならない時が来てしまった。
「実は、俺は……」
ニイトが告白する前に、マーシャが声をはった。
「みなさん、こちらにおわす御方は神様なのです!」
「「「――はぁ!?」」」
全員がハッっと息を飲んだ。だが、その中で最も肺に空気を溜めたのは、他ならぬニイト自身だった。
まぁーーーーしゃぁあーーーー!
やらかしやがったなぁあああああ!
「神……だと?」
「いや、待て、今のは――」
「だとすると、さっき消えたのは……」
「…………(どうしよう)」
これはもう収拾がつきそうにない。
「事実……なのか? いや、でしょうか?」
皆の疑問を代表するようにギルド長が尋ねる。心なしか口調が丁寧になった。
もやはニイトに逃げ道はない。
そうだと言えばもうこの世界で一般人として穏やかな生活は送れない。違うと言えば、虫責め拷問が待っている。
完全に困った。
困ったときにニイトが取る行動は一つである。
――そうだ、引きこもろう。
ニイトは若干尊大な態度を取ってから、
「それを余の口から直接言うことはできぬ。しかし諸兄らは余の力の一端を目にしてしまったようである」
「では、やはりっ!?」
もう後には引けない。このハッタリを押し通すのみ。
「しかしこのことは他言無用。決して街の人に話してはならぬぞ。余とて要らぬ混乱を起こしたくはない。ゆえに重ねて命じるが、このことは内密にな!」
ははーっ! っと一斉に土下座された。
ヤバイ。嘘だとばれたら殺される。
「では、余が顕現できる時間は限られている。そろそろ余の世界に戻るとしよう。そうそう、アンナのことを頼むぞ。手厚く看病してやってくれ。では、くれぐれもこのことは内密に」
「お待ちください! 我々人類はこれから先どうしたら――」
――【帰還】
ニイトとマーシャは神々しく帰還した。
◇
「うわぁああああああああああああ、やっちまったよぉおおおおおおおお!」
キューブに戻るなり、ニイトは石版に頭を擦りつけながら呻く。
『うわっ、ちょっ! 汗を塗らないでよ、気持ち悪い!』
「どうしよう、もう表を歩けないよぉ~」
『自業自得じゃないの』
「そんなぁ、冷たいよノアたん。ここは優しく励ましてくれないとやぁ~」
『キモッ! 石版から離れなさいよっ! バカ犬っ』
石版に生理的嫌悪感をもたれるのはこれが二度目のことである。
しかし以前はいなかった猫耳少女は無機物と正反対の反応を見せる。
「ニイトさま。大変立派なお姿でございました」
「『え? どこが?』」
これにはさすがにニイトのみならずノアまでもが声をハモらせて聞き返す。
「あの、凛々しいお姿こそが本当のニイトさまだったのですね。普段のちょっとゆるゆりゅしたお姿は、世を忍ぶ為の仮の姿。真のお姿はとても麗しゅうございました」
何てことだ。演技に過ぎないニイトの偉そうな態度を見て、この純情な猫耳はときめいてしまったのだ。
「いや待て、あれはあの場を治めるために仕方なくしたことなんだ。てか、そもそもマーシャがあんなことを言うからいけないんじゃないか!」
「ハッ、申し訳ありませんでした! 次からはもっとニイトさまのご威光が伝わるように威厳のある口調で申し上げますっ!」
「違うってばぁ~~~~~~っ!」
ニイトは頭を抱えながら腰をくねくねする。
マーシャは善意でやったのだ。悪意じゃないから叱るに叱れない。
まるで飼い猫が高級革張りソファーに爪とぎをしたのを発見したような気分で、ニイトは行き場のない気持ちを腰のうねりで発散する。
「さっそくドニャーフ族に、ニイトさまがついにご威光を発揮なされたことを報告に行って参ります」
「うわぁあああああ、やめてぇええええええ! これ以上傷口を広げないでぇえええええ!」
マーシャは、ばぴゅーん! と走り去った。
腰をくねらせすぎたニイトは骨盤がずれたせいで、後を追えない。
「ああああ、どうしようノア?」
『知らないわよ。あんたがまいた種でしょ。ちゃんと責任をもって収穫するしかないわ』
「うぅ……、もう引きこもる!」
結局、それしかなかった。
誰も侵入できない自分専用の引きこもり空間があることこそが心の支えだ。
マイホーム(引きこもり空間)。この世に二つとない心のオアシスではないか。




