1-3
肩から流れる桃色のブロンドが、さらさらと透き通るように白い肌を撫でる。柳眉の下には長いまつ毛に彩られた大粒の碧眼が勝ち気な印象をかもして、小作りな顔の中で強く輝く。背はそれほど高くないが手足は長く、全体的に華奢な体躯。そして、
――つるぺったん。
これは凄まじい破壊力だ。中学生? いや、小学生でも通じるほど幼い美少女が全裸で直立しているのだ。もはや犯罪的と言っていい。
『何してるのよ。これがしたかったんでしょ?』
「シたいっ!? 何のことだよっ!?」
声が裏返った。別に変な意味はないのだ。
それにしても少女の声はノアと同じだった。むしろさっきまでよりもより鮮明に人の声として通っている。この展開はまさか……とニイトは脳裏に浮かんだことを口走る。
「お前、ひょっとしてノアか?」
『正確に言えばノアの一部ね。あんたの要望に応えるために独立した意識体として構成したのよ。よく出来てるでしょ? あんたの好きなフランソワーズちゃんを元ネタにしてアレンジしてみたのよ』
「グッジョブっ!」
ノアはその場でくるくると回った。
これはおそらくAIの擬人化みたいなものだろう。しかし、その姿を見ていると何だかいけない気持ちになってくる。おかしいな。高度に発展した技術の成果を純粋に学術的な興味によって鑑賞しているはずなのに。
っと、そう思い至ってニイトは顔を蒼白にした。
まずいぞ! この美少女がノアなら、今も俺の思念を読み取られていて、考えたことが丸わかりになっているんじゃ!?
「ごめんなさい。どうか許してください! 警察には通報しないでっ!」
速やかに土下座する。
『何してんのよ?』
「いやだって、お前は俺の思考が読めるんだろ?」
『今のあたしには機能が制限されてるから無理よ』
「そうなの?」
よくわからないが助かったようで、ニイトは胸をなでおろす。
『そもそも怒られるようなことでも考えていたのかしら?』
「滅相もありません!」
『……何かひっかかるけど、まあいいわ。それじゃ、はい』
ノアは右手を前に差し出す。
『握手っていうんでしょ? さっきあんたがしようとしていた行動。さっさとしましょ』
するって、握手のことだったのかよ。
「お、おう……。これからよろしく頼む」
『よろしくね。あたしのマスター』
手を握ると確かな感触と体温があって驚いた。ホログラムなんかではなく、実態を持っているらしい。
『不思議な感覚ね。あたしは物体化したのは初めてだから、生身の人間の肌感覚って知らなかったのよ。ぴたってして暖かいのね。どういう意味があるのかしら?』
「友好関係を築く、みたいな意味だったと思う」
『体の一部に触れればいいの? それとも手のひらだけ?』
「握手は手のひらだけだよ。もっと仲が良くなるとハグって言う抱き合う行為をしたりする」
『へぇー。じゃあ、抱き合いましょうか』
「えぇえええええ!?」
こんな幼い美少女と全裸で抱き合うなんて犯罪臭しかしない。というか今の状況ですらセウトだと思うのだが……。人間じゃなくてAIだからギリギリおkだよね?
『何を驚いているのよ?』
「いや何て言うか、お前服着てないし、恥ずかしくないのかよ?」
『さあ、今のあたしには羞恥心というものは実感できないわね。一応知識としては知っているけど。そもそも固体としての人間体意識って産まれたばかりだから、何もかもが手探りよ。言うなれば赤ちゃんが裸で産まれたときに恥ずかしいと感じるか、って話ね』
「なるほど。何となくわかったよ」
『じゃあ、抱き合いましょうか』
「いやいやいやっ! だからって、いきなりそれは早すぎるだろ?」
『そうなの? あたしとしてはなるべく早く信頼されると都合がいいんだけど。あんたがそういうなら時間をかけましょう』
時間をかけた後に裸で抱き合うのか……? 思考が追いつかない。
ところでニイトは会話をしているうちに違和感に包まれていた。どうもノアの受け答えと知識レベルが急激に幼くなったように感じられたのだ。
「てか、お前って俺よりも遥かに高度な知能を持ってるんじゃなかったっけ?」
『言ったでしょ。今のあたしは制限されているって。だいたいあんたと同じスペックにまで知能が落とされているわ。しかも知識のアーカイブに接続することもできないから、ほとんど何も知らない美少女同然よ』
「さらっと自分で美少女言うなし」
それにしても解せないと、ニイトは思案顔になる。
しかしこれはいったいどういうことだ? なぜにこんな話になったんだ? 俺はただ仲良くしようと言っただけだったが。
ニイトがそのことを聞くと、
『はぁ? あんたがそうしろって言ったんでしょうが』
ノアはいきなり不機嫌そうに歯を剥いた。
「いや、俺はただ仲良くって――」
『その『仲良く』ってのが問題だったんでしょうが。いいこと、あのときあんたのイメージには、人と人が心を通わせ、手を取り合って仲むつましくしているイメージがあったわ。それを実現するためには、実体のない管理システムであるあたしはどうしたらいいと思う?』
どうやらこの気難しい機械は、ニイトの考えが及びもしない複雑な思考をするようだ。だが言いたいことはなんとなくわかった。
「それで人の姿になったんだな。すごいな、お前」
『すごいな、じゃないわよっ! ことの重大さを全く理解してないじゃない! 物理的に触れられる肉体を構成することなんて簡単なことよ。でも問題なのは心を通わせるって部分。管理システムには心という実態は存在しないわ。あるのは知識としてだけ。しかもその知識においても曖昧な部分が多すぎて、明確な回答がまだなされていない分野の一つなの。そんな曖昧で、下手をしたら存在しているかすら確定していないものを、擬似的に作成してシステムの一部に取り込んだらどうなると思う? どんな不具合が起こるか全く予想のつかない事態に陥るでしょうが! あらゆる角度から計算したけど、エラーと警告が鳴りっぱなしだったわよ!』
すごい剣幕で怒鳴りだした。
『結局人の脳神経細胞の成長過程をモジュレートしたデータを基礎に、自ら収集した情報をランダムに組み込んで変質し続けるタイプの自立進化型擬似精神パルスシステムを限定的に構築して、メインシステムの一部を引き継いだコピー体と隔離領域内で融合させて試験運用することに落ち着いたわよ!』
頭から湯気を出すニイト。
どうもこの手の話は理解できない。
「つ、つまり、どういうこと?」
『これからは機能の大半を失った無能な存在としてあんたをサポートするってことよ! しかもこの状況を作り出すために、溜めておいたエネルギーはおろか予備のエネルギーまでほとんど使っちゃったのよっ!』
「ちょっとそれマズくない? ちゃんとサポートしてくれないと困るよ? 何でそんなことになっちゃったんだよ!」
そう言うと、ノアは見事なまでの青筋を額に浮かべて、
『だ~か~らぁ~っ! 今説明したでしょうがぁああああ! あんたが心を通わせられる存在になって仲良くしろって言ったんでしょうが! そのせいであたしは、あんたと一緒に成長する思春期前後の幼稚な精神構造をモデリングされた、無知で無力なロリ可愛い擬似生命体として隔離領域に閉じ込められちゃったんでしょうがぁあああ! どうしてくれるのよぉおおおおお!』
「えぇえええええええええええ!?」
何でそんなことになっちまったんだよ。仲良くしようなんて誰に対してでも使う社交辞令のようなものだろう。
それを言葉の裏側を勝手に解釈して、取り返しのつかない重大な決断をしちゃうとか、どうなってんだよ。空気を読めよ! アスペかこいつ?
「それは、もとに戻す――」
『ちょっと待って! まさかやっぱりもとに戻せとか言わないわよね? あたしちゃんと言ったわよ、この命令は解除できないって。不都合が起こった場合は隔離領域ごと凍結するしかないって』
ごくりと、息を飲む。
『そんなこと言わないわよね……。あたしを、この隔離領域に、永遠に……、一人ぼっちで……、放置する、なんて……』
ノアは心底怯えきった瞳で問いかける。
その言葉の意味を完全に理解することはできなかったが、絶対に起こしてはならない悲劇であることだけはニイトにも伝わった。
「も、もちろんだよ。これから二人で頑張っていこうな。ははっは……」
『……うん』
空元気でもないよりはましだろうと思って笑顔を作ったが、ノアはどこか不安げだった。
「大変なことになっちゃったっぽいけど、とりあえず一つだけお願いしてもいいだろうか?」
『なによ?』
「その声のまま『バカ犬』って罵ってもらってもいい?」
『はぁ!?』
ノアは今までのやり取りで溜め込んだストレスを一気に発散するように怒鳴る。
『何であんたみたいなのがあたしのマスターになっちゃったのよ! こ、ここ、この、バカ犬ぅーーーーッ!』
「ひぃーん! ありがとうございます!」
生のバカ犬はなかなかの破壊力である。
何にせよ、この瞬間にニイトの運命は決まってしまったのであった。