2-16
さて、石版の状態でニイトの異世界生活を見守っていたノアは、悶々としていた。
『…………ちゅっちゅだけでじゃなく、猫耳をあむあむ……』
ここ数日、どうもシステムが原因不明の誤作動を起こすのである。
ニイトがマーシャと密着して仲良くしていると、擬似神経パルスに良くない波形の乱れが出る。さっきもそうだ。猫耳を甘噛みしているときに、大きな揺れを計測した。
この乱れた波形の形状を分析してノア深部に検索をかけると、類似性の見られるグラフがでてきた。
それは、父親が大好きな幼児が自分よりも母親と仲良くしている父親を見たときの精神波形。
ひと目でこれではないとわかる。検索能力の低い今の自分では、このような質の悪い分析結果しか出ないのが悩みのタネである。
また別のパターンにも検索が引っかかった。
それは両親が子作りに励む様子を目撃したファザコンな思春期女子の精神波形。
ノアは言葉を失った。何だこれは……。しかも波形の一致率がさっきよりも高い。
何でそんな波形がモデリングされているのか不明だが、これもどうかと思う。
さらに一致率の高い波形モデルを発見。
それは、兄が彼女を自室に連れ込んで隠していたエロ本を出しながら自分の性癖を伝えているところを、壁に空けたのぞき穴から観察するブラコンの妹が感じた気持ちをサンプリングした精神波形。
『アホかっ!』
思わず無人の空間で叫ぶ。
そもそもどうしてこんなレアなモデルケースが保存されているのか。どうやってサンプルを保存したのよ。いかにノアシステムが英知の結晶だからって、こんな情報まで波形データにして保存しなくてもいいのに。しかもわりと重要度の高い記憶メモリ保存されているし。まったく、英知の使いどころを間違えているように感じてならない。
いずれにせよ、こんな特殊なケースを自分の状態に当てはめて考えるのは不適当である。
解析を続けるほどに、むしろわけがわからなくなるノアであった。
何にせよ情報が足りない。こうなったら後でニイトに協力してもらって、解析を手伝ってもらうしかない。
そう思い立った瞬間、ニイトが【帰還】してきた。
「ノアは土器の詳しい作り方を知ってる? 粘土質の泥を調達したからさ、それで土器が作れるか実験したいんだ」
『…………』
ノアは解析結果に無言のまま絶句するのに忙しくて、返答が遅れた。
「ノア? どうした、聞こえてるか?」
『き、聞こえてるわよ。土器ね。大雑把にならわかるわ』
「よし、じゃあやりながらアドバイスしてくれ」
『……ええ。その前に少し話があるから、ニイトはこの部屋に残って。マーシャは先に行ってなさい』
ニイトとマーシャは言われたとおりにした。
さて、石版部屋に残ったニイトに、ノアは話しを切り出す。
『ここ数日、ちょっとシステムに不具合が見られるの。だからちょっと解析に付き合ってくれるかしら』
「いいけど、それって大丈夫なのか?」
『それを今から調べるのよ』
「わかった。で、何をすればいい?」
『そうねぇ……』
自分から言い出したものの、ノアに方策があるわけではなかった。現在の演算能力ではシミュレーションを短時間で組み上げることも難しいし、そもそも原因がわからないから情報を集めるしかない。
となると波形が乱れたさいの状況を立場を変えてシミュレートしてみるのが良さそうだ。
『……まずは、あたしの耳をあむあむしなさい』
「……はい?」
ニイトは目を点にして石像のように固まった。
『何をしてるのよ。はやく耳をあむあむしてよ』
「聞き間違いじゃないっ!?」
上半身を盛大に仰け反らせて、ニイトは目を丸くした。
「ノア、お前大丈夫か!?」
『だいじょばないから、こうなってんでしょうが。いいから早くしてよ』
「しっかりしてくれよ。この空間はノアが作ってるんだろ? お前がおかしくなったらドニャーフ族もみんなが困るだろ」
『だから早く原因究明に協力しなさいって言ってるでしょうが! このバカ犬っ!』
「わんっ!」
謎の迫力を発揮して、強引に協力させる。バカ犬って言っておけば、この引きニートは最終的に従うのである。
「わかったよ。じゃあさ、人型になってくれる?」
『ポイントに余裕がないからこのままやって』
「このままって、どういうことだよっ!? 石版に耳なんてないじゃないか」
『とりあえずよじ登って、頭の角に触れてみて。そこに音声収集機工が埋まってるから』
「耳あったんだ!」
非常に納得のいかない表情をしながらも、ニイトは石版によじ登り始めた。
ノアはその様子を高度な波動カメラを通して真剣な眼差しで観察する。空間内に存在する立体の動きをそのまま記録できる優れものだ。髪の毛一本の動きすらも正確に写し取られる。どこに重要なヒントがあるかわからないので、後で分析するために録画も行う。
「ノア、石版の表面がつるつるしすぎて登りにくい」
『摩擦係数を減らすから頑張って』
「せめて足場とか突起を出して欲しいんだけど」
『解析に忙しいからそんな余裕はないの』
結局ニイトはヤモリのように張り付いて、石版の頂上まで辿り着いた。
「じゃあ、あむあむするぞ?」
『ええ、はじめてちょうだい』
石版の角に口をつけるニイト。(俺、何やってるんだろう?)そんな心の声が聞こえてきそうな切ない表情であった。
「あむあむ、あむあむ……どうだ?」
『ダメね。いまいち特徴のないデータしか取れないわ』
「何のデータだよっ!」
『マーシャにしたときと同じようにやってみて』
「無茶を言うなっ。石版に張り付きながらどうやってするんだよ。てか、そもそも石版に甘噛みって何のプレイだよっ!」
『しかたないわね……』
ノアは石版の角に擬似物質で猫耳を生やした。
「おっ、ちょっと可愛いかも」
『――!? ほんとッ? 今ちょっと波形が動いたわ。ちょっと待ってね、いま猫耳にあたしの神経を接続するから。――――はい、もう一度あむあむ』
初めて見られる変化に、ノアの期待が高まる。
「あむあむ、あむあむ」
『ひゅんっ。くすぐったいような、不思議な感覚。なかなか興味深い情報ね』
「なあ、もういいか? 俺だんだん頭がおかしくなってきた気がする」
『ダメよ。今いいところなんだから、そのまま続けて。今度は猫耳を解除して石版の角に神経だけ繋げておくから、もう少し情熱を込めてあむあむして』
「……ノア、お願いだからもとに戻ってくれっ」
ニイトが半泣き状態で石版の角を咥えるのをよそに、ノアは擬似精神波形が高鳴るのを観測していた。
「あむあむ」
『ひゃん! さっきとは微妙に違うけど、これもなかなかね。そのまま舐めてみて』
「――んふッ!? ――ぺろぺろ……」
もはや抵抗すら見せず、ニイトは言われるがままに従った。
様々な角度から分析するために、ノアは次々と指示を出す。
『それじゃ次は神経接続を解いて、第三者目線から観察するから、あんたはそのまま続けてて』
「ちょっ!? こんな状態で突き放されたら、俺だけ痴態を晒しているみたいじゃないか! さすがに勘弁してくれよ! せめて一緒にやってよっ」
『ダメよ! この世界の存亡もドニャーフ族の未来も、今のあんたにかかってるのよ? 彼女たちを守りたいなら、真面目にやりなさい』
ニイトは半泣き状態で激しく葛藤するように眉毛を震わせると、ついに精神の負かに耐えかねたように壊れた笑いをもらした。
「ハーッハッハっ、アハッ、ウヘッ、ウヘヘッ! 可愛いよ、ノアの耳、可愛いよ、ペロペロ、レロレロ。ヘ~ッヘッヘ、イヒヒッ、ヘヘッ」
半分以上精神が崩壊したような表情で、ニイトは一心不乱に石版の角を舐めた。その様子をノアは高性能カメラでじっくりと録画する。ヤモリのように石版に張り付いて夢中でペロペロを繰り返す珍しい男の姿を凝視しながら、高度な演算力をフルに活用して分析する。
分析結果。
『何この人、頭おかしい……』
「お前がやれって言ったんだろがぁあああ!」
冷静さを取り戻して客観的に見ると、ひどく気色悪いことをしていたようで、ノアの精神波形がサーッ……っと引いていった。
同じタイミングでニイトは角を舐めまくったことで垂れた唾液に手を滑らせて、石版の表面からきぃ~と耳障りな摩擦音を発しながら滑り落ちた。
『いやっ! 汚いっ! 唾液でベトベトじゃないのっ。何してくれてんのよっ!』
「お、お前っ! お前っ! お、お前……ッ!」
顔を真っ赤にしたニイトは言葉にならない嗚咽を繰り返す。
『あたし……どうしてこんなことをしたのかしら?』
石版を清掃で綺麗にしつつ、ノアも正気に戻ったように自分の行動に疑問を呈す。だが、いつの間にか不安定だった波形が通常状態に戻っていた。
そのとき、
「あのぉ~?」
石版部屋にマーシャが戻ってくる。
ビクっ! っと、二人は同時に血の気が引いた。
「ニイトさま? なかなかお戻りになられないようで、何かありましたでしょうか?」
刹那的にニイトは襟を正し、何事もなかったように穏やかな表情を作った。
ノアも、こういうとき石版の状態で助かったと、平静を取り戻す。
「いや、何でもないよ。すぐに行くね」
ニイトはすまし顔で部屋を出る。
(ノア、そういうわけだから、この話はひとまず保留だ)
『そうね、分析にも時間がかかるだろうし。それに異常は比較的軽微だから、そのうち自然に治るかもしれないわね』
(あれで軽微だと!? 冗談はよせ!)
『軽微とはいっても問題の芽は大きくなる前に摘まないと。そういうわけだから、後でまた続きをするわよ』
(う、嘘だろ……勘弁してくれよぉ~!)
これ以上問題が大きくならないように。二人の願いは一致した。




