2-14
翌朝、街の北門まで戻ってきたニイトは巨大ムカデを転送してから、マーシャにアンナを呼びに行ってもらう。
二人が戻ってくると、アンナは目を丸くして驚いた。
「ずいぶん早い戻りやったな。怖くなって怖気づい――って、何やコイツは!?」
どうやらアンナも初めて見るタイプだったようだ。
「武器代の差分がまだだったろ? こいつの素材費で埋め合わせられないか?」
「ちょっと待ってや、すぐに検分してみる」
アンナはムカデの殻を叩いて音を聞いたり、圧迫して強度を確認したりする。ちなみにムカデは胴体が半分くらいの長さになっているが、これは肉を与えられなかったドニャーフの少女たちにせめて殻だけでもとお土産に差し入れたからだ。
「何なんコイツ! えらい硬いで。それでいて軽い。うちが今まで扱ってきたどの素材よりも頑強や」
アンナはいたく気に入った様子で肌触りを確かめる。
「どうやら熱にも強いらしいぞ。殻の上で焼き料理ができたくらいだから」
殻をフライパン代わりにパンを焼いていた少女がいたので、その程度の火力なら耐えられることは実証済み。
「完璧やないか」
興奮して泡を飛ばすアンナ。
「なら、借金はこれで返済できる?」
「十分すぎや。こんなん、殻を2~3枚もらえればお釣りがくるで」
そう言いつつも、4枚ほど切り取っていくアンナ。ちゃっかりしている。
「あ、ここの殻の中に肉が残ってるから、後で焼いて食べてみて。世界が変わるから」
小声でニイトは教える。
「ほんまか? おおきに」
上機嫌でアンナは素材を抱えた。
すると周囲の人が寄ってくる。
「何かあったのか?」
「新しい素材だってよ」
「見たことのない巨蟲だな」
わらわらと人だかりができる。するとその中から一人の男が指を指しながら叫んだ。
「コイツだ! この野郎にアニキはやられたんだ!」
人垣を割って進み出たハンターらしき男はニイトに尋ねる。
「おい、あんた。コイツとどこで戦った?」
「森を入って少し進んだところだったか?」
「――っ!? コイツは空を飛んでなかったか?」
「ああ。空中を自在に飛んでいたよ。それに体長はもっと長かった。今あるのは全長の半分以下の長さなんだ」
「やっぱりそうだ! 間違ぇねえ。こいつが森に現れた化け物だよッ!」
周囲にどよめきが伝播していく。「これが例の……」「ベテランハンターがやられたっていう」「だとしたら、コイツを狩ったあの若者は只者じゃないぞ」「何にせよ、これで森に行けるようになったんじゃ」
がやがやと喧騒が広がる中、ひときわ大きな声が響いた。
「何の騒ぎだ!」
よく通る、野太い男の声だった。現れたのは四十がらみの隻腕の男。禿げ上がった頭と、顔に大きな傷を持つ、いかにも歴戦の戦士のような風貌だった。顔の傷は左目にまで達して失明しているらしく、左の眼は閉じたままだった。
「ギルド長!」
予想外に大物の名前が出た。
「ギルド長、コイツです。キーフのアニキがやられた馬鹿でかいムカデ野郎はッ」
「確かか?」
「へい、間違ぇねぇです」
するとギルド長はニイトのほうに顔を向ける。
「見ねぇ顔だな」
「先日ハンター登録をしたばかりの者です」
「どうして危険な森に近づいた?」
「森までの道の整備依頼を受けたので」
「今は危険な時期だって知ってただろ?」
「報酬が良かったので、つい」
ニイトは内心、やばい面倒なことになった、と焦る。何とかして誤魔化して急場を凌ぐつもりだ。
「どうやって倒した?」
「たまたま運が良かっただけですよ。ビギナーズラックというヤツです。もうあんな危険な思いはしたくありませんね」
「ほう……」
しばらく二人の間に無言のにらみ合いが続いた。
あきらかに怪しまれているが、もうどうしようもない。このまま押し通す。
「まあ、いいだろう。検分の為に骸を一時的に預かるが構わないか?」
「もちろんです。街の安全の為に尽力するのがハンターの務めですから」
その瞬間、アンナは忍び足で人垣の輪から離脱する。既に剥ぎ取った素材を抱えて。
それに気付いていた気付かずか、ギルド長は部下に指示を出して残ったムカデを回収させると、
「一週間後に本部ギルドまで来い」
そう言い残して去っていった。
やれやれ、面倒なことにならなければいいが。残されたニイトは溜め息をついた。
◇
地方ギルドで道路整備の報酬を受け取ったニイトは、その足で飲食街へ繰り出す。
食の喜びを知ってしまったドニャーフ族のために、今日も食材の調達に出向くのだ。
すると一匹の虫が飛んできた。
「マーシャ」
「はい!」
素早くマーシャが虫取り網で捕獲し、腰に提げた虫かごに収納する。もはやかなり手馴れた手付きだ。
するとまた虫が飛んできた。それも捕まえる。さらにまた飛んできた。
この時点でニイトはおかしいと気付いた。街中でこんなに虫が飛んでいることは珍しい。食用の虫はカゴに入れられているし、街中で生きた虫がいれば誰かが捕まえて売っているはずだ。
「おかしいですね。この虫たちはどこから来たのでしょう?」
マーシャの虫かごの中を見ると、どうやらカミキリムシのようだ。
そのとき、近場から女性の悲鳴が聞こえた。
「あーーーーッ! しまった、カゴに穴が開いちまってるよ!」
なるほど、どうやらあの屋台から逃げ出した虫だったようだ。
ニイトはマーシャに目配せする。すると意図を読み取ったマーシャが周囲に散開したした虫を手早く集める。
「おばちゃん、困っているみたいだね」
「ほんと、ついてないよ。ここのところ薪も高かったし、虫にまで逃げられたんじゃ大赤字だよ!」
かわいそうだったので、マーシャに集めてもらった虫と新しい虫かごをセットであげることにした。
「おばちゃん、よかったらコレを使ってよ」
「いいのかい!?」
「ああ、そのほうがこのカゴを作った人も喜ぶだろうさ」
おばちゃんは感激したように抱きつこうとしてきたが、ニイトはひらりと避けてその場を去る。
「さすがニイトさま、慈悲深いです」
マーシャの笑顔が何よりの報酬だ。
可愛かったので肩を抱いて歩くと、マーシャは恥ずかしそうに身を強張らせる。
「しっぽ、出てるよ」
「ごめんなさいっ」
すぐに服の中にしまった。誰にも見られていないはずだ。
そうして歩いていると、ニイトはどこかなつかしい匂いを感じた。
「ん? この匂いは……」
釣られて辿り着いた場所は、一軒の屋台。
店主は串に刺した虫に、はけのような繊毛で何かを塗って焼いている。
その黒い液体と香ばしい匂いに、ニイトは我が目を疑った。
あの色、あの匂い、火に落ちてこげたときの香ばしさ。
間違いない。これは、これは、
「まさか、醤油かっ!?」
ニイトは飛びつくように距離を詰めた。
どうして異世界に醤油があるのだ? 虫に食い尽くされたせいで大豆なんて残ってないはずなのに、どうして醤油があるのか? ありえない。でも目の前の現実は、間違いなく本物。
「へい、らっしゃい! 1本どうだい?」
「うっ……」
しかし売られている料理の見た目はまさしく虫そのものだった。バッタに醤油タレをかけてバーベキュー焼きにしたものだろう。
でも、これを食べないと、本当に醤油なのかどうか確かめられない。しかし確かめるには食べなければならない。
知りたい。ニイトはこの醤油らしき匂いの正体をどうしても知りたい。
葛藤すること数秒。ニイトは決断した。
「……おっちゃん、一本くれ」
人は前に進む生き物であった。




