2-13
しとめた巨蟲ムカデをキューブに【転送】して、ニイトたちも【帰還】した。
「いやー、しんどかった」
『お帰り。なかなかハードな戦いだったみたいじゃない』
「ああ、かなりの強敵だったよ。空中で絡み付かれそうになったときは、さすがに一瞬ひやっとしたな」
『そうね。マーシャがいなかったら危なかったわね』
「そんな、わたしなんて。危険な役目をニイトさまが引き受けて下さったおかげです」
石版部屋に限って、ノアの声はマーシャにも聞こえるようにしてもらっている。石版から直接音声を発する感じだ
「俺に惚れ直した?」
「えっ? ……は、はい。」
可愛いなこの子。ひと仕事終えたことだし、今晩あたりにむふふしたいな。
そう思い立ったニイトはマーシャの肩を抱き、そっと唇を近づけ……。
「痛っ! 何すんだよノア!」
ノアが石版から足だけを出してニイトを蹴っていた。
『バグよ』
「何だよそれ」
『うっさい! 何でもないの』
どういうわけか、ノアは不機嫌になった。
『さっさとムカデの解体でもしたら?』
「ああ、そうだったな。ところであのムカデはどこに転送したんだ?」
『空いている一部屋に安置してあるわ。ちなみに【転送】は座標を指定できるわよ。今回は指定なしだったから、あたしの判断で場所を決めたけど』
「へー、そんなことできたんだ」
さっそくニイトは空き部屋に向かった。
誰もいなくなった石版でノアは一人ごちる。
『おかしいわね。また咄嗟に足が出たわ。どうしてバグが出るのかしら? ニイトとマーシャが仲良くしていたから? いえ、それは本来ノアが求めていることと一致するし、むしろ喜ばしいこと。じゃあ何で? あたしはそれを望んでないの? そんなはずはない。彼女を作れといったのはあたし自身。なら別の理由。二人は同じ有機生命体であたしは擬似生命体。この違いからくる疎外感かしら? これが近いような気がする。なら、今度はあたしも実体化して一緒にちゅっちゅすればバグがおさまるかもしれない……って! 何であたしがそんなことをしなきゃなんないのよ! 意味わかんないわ。まったく、解析の制度がかなり落ちてるわね』
分析は難航した。
◇
未設定の白い部屋に巨大ムカデの死骸だけが横たわる様は、場違い感が甚だしい。
ノアに促されて解体するつもりでいたニイトだが、そもそも自分は解体の経験などないことを思い出す。
それでも習うより慣れろと、ニイトはムカデの殻を一枚剥いでみた。
関節の隙間に聖剣のナイフを突き刺して、殻の輪郭に沿って切れ目を入れる。足を持って引っ張るとベリッとはがれる。中には内臓のような管が通っており、体液のようなねばねばがドロッとこぼれる。
「うげっ……」
生臭い臭いが広がって、ニイトとマーシャは揃って顔をしかめる。
「とりあえず、売却してみるかな」
剥いだ殻の裏には繊維のような薄い肉がついていた。それを削ぎ落としてあーくんに渡す。
――魔怪蟲の肉(レア度☆) 一欠片 売却額……7万5000ポイント。
「はっ!? 7万ポイントッ!?」
信じられない値段に、思わず手に持った殻が滑り落ちる。
――魔怪蟲の外骨格 1節 売却額……2万4200ポイント。
こちらも高額だった。
「マジかよ。小さなステーキ1個分しかない肉が7万もするのか! それに殻も全部で30近くあるから、これだけで72万だよ……」
恐る恐る他の部位も売却してみると、
――魔怪蟲の脚 1本 売却額……5000ポイント。
――魔怪蟲の翅 1枚 売却額……35万ポイント。
――魔怪蟲の体液 0.1リットル 売却額……900ポイント。
どの部位も軒並み高かった。ざっと計算してみると、どんなに少なく見積もっても500万は下らない。
「すげー、コイツ一匹で500万!」
マグロ漁船にでも乗ったような気持ちだ。これだけ大きな見返りがあるなら、危険を冒してハンターになるのも頷ける。
「やったな、マーシャ。これでしばらくは安心して生きていけるぞ」
「さすがニイトさまです!」
これだけのポイントがあればしばらくはゆっくり休めそうだ。がその前に、ニイトはいくつか気になった項目の詳細を調べた。
――魔怪蟲。巨蟲がさらに進化して辿り着いた姿。通常の巨蟲よりもさらに強靭な生命力と戦闘力を持つ。
――魔怪蟲の外骨格。非常に硬く、熱にも耐性がある。重さも軽いのであらゆるものに加工しやすい。
――魔怪蟲の翅。魔力によって空中に力場を生み出す性質を持つ。浮遊系の魔道具との相性がいい。
――魔怪蟲の肉。巨大な殻を支える為に進化した筋繊維。軽量で柔軟性が高いが、味は極めて美味。魔力を多く含むので食べることで能力や才能が発達することがある。
――レア度☆。アイテムのレアリティを表す。星一つは下から数えて一番目。レア表示のあるアイテムは何らかの特殊な効果を持っていることが多い。
有力な情報がたくさん手に入った。
「なあマーシャ。この肉美味しいらしいんだけど、少し食べてみる?」
見た目はスーパーでパック売りされている食肉に近い分、ニイトにとっては虫よりも余程抵抗が少ない。
「そうなのですか? で、でも……」
しかし経験のないマーシャにとっては虫よりもグロテスクな光景に映るようだった。
「無理にとは言わないよ。まずは俺が食べてみる」
ニイトはもう一枚はがした殻の内側から削ぎ落とした肉を口の中に放り込んだ。
「――ッ!? う、美味い!?」
全身の毛穴が開くような衝撃。
生肉特有の血生臭さはあるものの、濃厚な旨味がにじみ出てくる。ウニやフォアグラのような複雑な風味と、高級霜降り肉のような舌の上で溶ける油が交じり合って、何とも言えない豊かな味わいを醸し出している。
食感は不思議だ。柔らかい肉なのだが、弾力が強すぎて噛んでも噛んでも噛み切れない。しかし噛むごとに甘味が出てくるので、これはこれでいつまでも口に入れておきたい気もする。
「今まで食べてきた物の中で、一番美味い」
さすがは一切れ7万5000ポイントの肉。スーパーで売っている高級肉がカス肉に思えるほどに別格の味だった。
「マーシャも一つどうだ?」
「ニイトさまがおっしゃるなら……」
恐る恐る肉片を口に近づけたマーシャは、ギュッと目を閉じて一思いに口へ放り込んだ。
二度三度咀嚼した瞬間、ビクッ! と見開いて背筋を反らせた。太ももがキュッと閉まって、そのまま自分のからだを抱きしめるようにプルプルと痙攣する。
「どうした? 大丈夫か?」
返事はなく、瞳をとろんっと蕩けさせながら真っ白な天井の向こう側を見つめている。頬が桜色に色づき、艶やかな吐息を漏らす。
なんかエロイ。
「美味しい……です。表現のしようがないほど衝撃的な味でした。世界には、こんなに美味しいものがあったのですね……」
聖母のように穏やかな表情だった。
「俺もこんなに美味い肉は初めて食べた。でもちょっと弾力が強すぎて噛み切れないな。焼いたら食べやすくなるし、もっと美味しくなるだろう」
「もっと……美味しく……」
興奮しすぎて猫しっぽがピーンっ! と天を突く。
「それに、こんな美味しいものを独り占めはよくない。みんなで焼肉パーティーをしようじゃないか!」
「素晴らしい考えです! これほどの美味な食材を同胞たちにも恵んでくださるなんて、やはりニイトさまは神さまです!」
「いや、大げさな。それにドニャーフ族のみんなはもう俺にとっては家族みたいなものだし」
するとマーシャは感極まったように顔を覆った。
「泣くなよ」
「だって、嬉すぎて……」
感動的な一幕もあり、話がまとまったところだったが、
『ちょっと待って』
「何だよノア。今いいところなんだが」
ノアは『あー、あー』と発声しながら部屋全体に声を響かせてマーシャにも聞こえるようにした。
『これで聞こえるわよね。そのお肉はたしかに美食なんだけど、いきなりあの子たちに食べさせるのはお勧めしないわ』
「どうしてだよ」
『現在あの子たちは試行錯誤してパン作りに熱中しているわ。そんなところに何ランクも上のレア食材を急に与えたら味覚が混乱するわ。普段食べる食事に物足りなさを覚えたり、せっかく芽生え始めた料理に対する情熱に冷や水を浴びせることになる可能性もあるかもよ』
「……なるほどな。マーシャはどう思う?」
「正直、わたしには予測できません」
ただ美味いものを食べさせればいいというわけではないのか。
『少しずつ味覚を発達させていって、高級な食材の持ち味を理解できるようになってから食べさせるのが筋ってものじゃない? 何事にも順序ってものがあるのよ。そのほうがあの子たちにとっても、長期間に渡って料理や味覚の成長を楽しめるでしょ』
「たしかに道理だな……」
少し迷ったが、一時のインパクトのために少女たちの将来に悪影響を与えては元も子もない。ここは我慢をすべきところか。
「わかった。今回はノアの言うとおりにする」
『賢明な判断ね。というわけでマーシャ、あなたも今食べた肉の味は一旦忘れなさい。あなたもまだ味覚が発展途上なんだから』
「了解しましたっ」
だとすると、残りの肉をどうするかだが。
「なあ、ノア。残りの肉なんだけどさ……どうしようか?」
『簡単な話よ。あなたが自分ひとりだけの幸福を追求するか、それとも全員の幸せの為に自分の欲望を捨てるか。好きな方を選ぶといいわ』
そんなこと言われたら答えは一つしかないじゃないか。
ニイトは泣く泣く残りの肉を【売却】した。一部、アンナへのお土産を除いて。
ぐすん……。




