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「うぅむ」
試食会が終わってもニイトは頭を抱えていた。味も栄養価も悪くない。むしろ物によっては結構美味かったほどだ。ただ見た目だけが度を越えて生理的問題を抱えているだけだ。こんなものをキューブ内の少女たちに食べさせていいものか。
いや、無理だ。味も栄養もよくても、このまま食べさせるなんてできっこない。
悩むニイトにマーシャが後押しをする。
「大丈夫です、ニイトさま。ちょっと見た目はアレでしたけど、この味ならみんな満足してくれるはずです」
「しっかしなぁ……」
ニイトとは違い、今までに生き物を食べたことのないマーシャのほうが逆に抵抗感が少ないのかもしれない。
考えようによっては、魚やタコの串焼きを見て気持ち悪いと思うのと、バッタやクモの串焼きを見て気色悪いと思うのは同じ感覚なのかもしれない。逆に言えば慣れてしまった人からすればどうということはない。
「いやでもやっぱりだめだ。この見た目に慣れられるのも、それはそれで切ない。最低でもすり潰して形をなくしたものに限定しよう」
折衷案としてはこの辺りが限界か。完全に形をなくしたペースト状にして小麦粉に混ぜて焼いたりすれば苦なく食べられるはず。そこだけはこだわりたい。
そもそも日本食にだって虫を使った着色料は多く使われていたはずだ。かまぼこのピンクの部分。カキ氷のイチゴシロップ。ハムやウインナーの発色。抹茶アイスやガムの緑色。
グロテスクな見た目さえなくせば、ある意味虫を使っていても文明食の括りに入れることも可能かもしれない。よし、言い訳完了。
「アンナも協力してくれてありがとう。おかげで方針は固まったよ」
「それはなによりや。ところであんさんら資金はあるん?」
そう言えば心許ない。銅色の殻が数枚あるだけだった。これから再び食材調達に向かうのには不十分だろう。
「ないな。この辺りで稼げるところってある?」
「中央のほうに仕事を斡旋しとる建物があるで」
「わかった。行ってみるよ」
アンナにお礼を告げてニイトたちは斡旋場に向かう。
道中、ニイトはマーシャの顔を見るのが怖かった。
「なあ、マーシャ。こんなことになってしまってゴメンな」
さっきはああいっていたが、やはり虫料理の圧倒的視覚の暴力にさらされた後では、後悔の一つでも出てきてもおかしくない。しかし、
「なぜ謝るのですか? ニイトさまはわたしたちの命の恩人であり、ご主人さまですのに」
ご主人様などと言われてニイトはぐっときた。しかし同時に虫を食べるはめになった不甲斐ない自分にやるせなさも感じる。
「いや、俺のせいでマーシャにも嫌な思いをさせてしまったような気がして……」
「とんでもないです。こんなに綺麗なわたしの知らない世界を見せてくださったのに、嫌な思いなどするはずもありません。それに、ニイトさまのお傍にいられるだけで幸せなのです」
キュン! 可愛い。この子だけが救いだ。
「でも、虫を食べるのはさすがに引いただろう」
「最初は戸惑いましたけど、食べてみると美味しかったです。それにニイトさまと一緒に食べればどんな食材でも美味しくなるのです」
キュン、キュン! 守りたい、この子をいつまでも。
虫を食わされた後でも変わらない笑顔を向けてくれるなんて天使なのか?
「考えてみればこれって新婚旅行だったんだな」
「しんこん旅行とは?」
「俺の世界では夫婦が結婚すると二人で旅に出る習慣があったんだよ」
「そうなのですか。どのような意味があるのですか?」
「あれ? 何だっけな? 新婚旅行、ハネムーン、蜜月……、あっ」
ニイトは思い出して赤くなる。
「どうかされましたか?」
「いや、新婚旅行の意味を思い出したんだけど……、たしか旅行先で初夜を向かえるためだったはずなんだ」
もうすっかり忘れ去れてしまった古く奥ゆかしい風習だ。やはりシチュエーションって大事なんだよな。初体験が公衆便所と嫌すぎるだろう。
「しょ、初夜……」
マーシャは沸騰したやかんのように猫耳から蒸気を出したようで、被った帽子からもくもくと湯気が立ちのぼる。
「あ、待って待って、今のはなしで。俺が言いたかったのは嫌らしい意味じゃなくて、その……、俺たち、ずっと一緒に生きていこうなっていうことで」
ボリボリと頬をかきながらニイトは言葉を紡ぐ。
「ほら、俺たちは出会って数日で夫婦になっちゃったし、新婚旅行は虫だらけのロマンに欠けた異世界だし、今は極貧生活でお金も食べ物も足りないけど、それでも、俺と一緒にいてくれるか?」
するとマーシャは瞳を潤ませながら何度も頷いた。
「ふつつかな者ですが、末永くお願いします。わたしはずっとニイトさまだけのものです」
ニイトは感情が抑えきれなくて抱きしめた。
新婚旅行で虫を食ったのなんてきっと自分たちくらいのものだろう。ロマンチックではなく、セレブでもなく、誰もがうらやむような経験ではないかもしれないが、そんなことよりも今彼女と一緒にいるこの時間の方が遥かに特別で素晴らしいことだと純粋に思った。
「マーシャ……」
「ニイトさま……」
熱っぽい視線で二人は見つめあい、口付けを――、
「ちょっとそこのお若いお二人さん。そういうことは街中でするものじゃないわよ」
「「はひっ!?」」
通行人のおばちゃんに指摘されて、二人はペコペコ頭を下げてから早歩きでその場を去った。
手を繋いでニイトのやや後ろから顔を染めながら早歩きで着いて来るマーシャがたまらなく可愛い。
「連れ宿はそっちじゃないよー?」
「「はひっ!?」」
連れ宿って、ラブホテルのことか!?
何ちゅうこと言うんだよ、通行人のおばちゃんAめ! おばちゃん仲間同士でゲラゲラと指差すものだから、他の通行人にまで注目されてしまう。おかげでマーシャの顔面の熱量が高まってしまったじゃないか。可愛いじゃねえか、ちくしょう。どうしてくれる。
てか、ニイトも初エッチのために連れ歩いているような気分になって悶々とする。
いかん、いかん。今はみんなの生存のために食料を調達に来ているのだ。何を考えているのだ自分は。
煩悩を振り払うように、二人は競歩選手のように歩く速度が速まるのであった。
◇
さて、早歩きで強まった風によって頬の火照りも静まった二人は、気を取り直して仕事の斡旋場までやってきた。
どうやらこのハローワーク的な施設は酒場と兼用していることが多いらしく、ギルドのような感じで機能しているようだ。
そう仕事だ。仕事をして、金を稼いで、みんなの食料を手に入れる。そのために来たのだ。やるぞ! おー!
羽根扉を広げながら入室したニイトは、前面のカウンターまで真っ直ぐ進んだ。
「マスター仕事あるかい?」
「どんなのが望みだ?」
「一応商人なんだが」
「ならちょうどいいのがあるぜ。コイツを飲食街に運んでくれ」
渡されたのは幾つかの虫かごだった。中にはたくさんの虫たちがひしめいている。
虫かごにはそれぞれ届け先が記された紙が張られている。紙というよりはむしろ虫の翅を重ねてのりで固めたようなものではあるが、どういうわけか文字は苦もなく読めた。それを頼りに飲食街を渡り歩く。
「ズーラさ~ん! バッタ売りのズーラさ~ん!」
「ズーラはあたしだよ!」
「注文の品をお届けに参りました」
「あら、早かったわね。……20……30。はい、確かに!」
受け取りのサインを貰って次の依頼人を探す。
「デボラさ~ん! サソリ屋さんのデボラさ~ん!」
「待ってたよ! ちゃんと活きのいいヤツを持ってきてくれたかい?」
「こちらでどうでしょう」
「うん。しっかりしっぽを立てて元気がいいね。十分だよ」
こんな調子で物品を運び終えて酒場に戻ると、受け取りのサインをお金と交換してくれた。
どうやら商人とは基本的に街中限定の運送業者を指すらしい。街の外に出る商人などいないとアンナが言っていた意味がようやくわかった。
「他に仕事はありますか?」
「今日のところはもうねぇな。常に不足している物資のリストはそこに書いてあるから、自分で調達して届けな。酒場でも買い取ってやれるが、少し割安になるからな」
酒場内の掲示板に目を向ければ、たしかにリストがあった。
「なになに」
飲食街からは食材の不定期注文。職人街からは素材の注文。
全体的に足りない物資を調達してこいという内容が多い。
ニイトがリストをじっと眺めていると、一人の客が声をかけた。
「兄ちゃん、商人になってまだ日が浅いだろ?」
「……よくわかりましたね」
初対面の人間だがひと目でニイトが初心者だと見抜くとは、いったい何者だろう。
「そりゃ、先輩から見ればぎこちないからな。どうだ、俺が商人のイロハを教えてやろうか?」
興味をそそられる話だったので、ニイトは男の話しを聞いてみることにした。




