2-7
ニイトたちが異世界の裏路地に戻ると、表通りからアンナが首をのぞかせた。
「あ、いたいた。まったく、探したで。どこに行ってたん?」
「ちょっと神の国までな、ははは」
「何わけのわからんことを言ってんねん。それで、もう大丈夫なん? さっきは急に倒れよったけど」
「ああ、ちょっと衝撃的な光景だったから、ついな。もう大丈夫だ」
「衝撃的って、何かあった?」
ニイトは話そうか迷ったが、言わないと先に進まないので口を開いた。
「実は俺のところじゃ虫は食べなかったんだよ。だからアンナが虫を食べてる姿にびっくりしたんだ」
「虫を食べんって!? それ、ほんま? じゃあ何を食べてたん? ひょっとして空気でも食うとったんか? あんた、ほんまに神なんとちゃう?」
「だから、ニイトさまは神さまだって言ったじゃないですか」
マーシャ、ちょっとお口チャックしようね。
ニイトはマーシャの口を塞いで話しを続ける。
「俺のところじゃ主に穀物とかを食べてたよ」
「穀物って! あのおとぎ話に出てくる麦とか米とか言うやつのことやろ?」
「そうそう。――って、おとぎ話!?」
お互いに別々の要因で驚く。
「せや。その昔、うちらのご先祖様たちは大地を耕して穀物っちゅうもんを栽培して食べとったらしいんよ。せやけど、虫がぎょうさん現れるようになってからは、全部食い荒らされてもうたらしい。作っても作っても全部食われてまうし、むしろ栽培した分だけ虫が増えてまうから、めっちゃ悩んどったらしいで。んで、もういっそのこと虫を食うほうがええのとちゃう言う話になったんやけど、食べてみるとこれがなかなか美味くてな、しかも病気なんかも減ったんよ。ほんで、結局それ以来穀物の栽培はやめたらしいんやわ」
……マジか。この世界ではそんな歴史があったのか。
思えば違和感はあった。ありえないほど巨大化して人を襲う虫の存在。鳥や小動物の姿がほとんど見えず、虫ばかりが目に付く。そういえば穀物だけじゃなく、家畜の類も見えない。
おそらくこの世界は虫に支配された世界なのだろう。虫が大繁殖しすぎて、しかも巨大化して人類を脅かしているのだ。はじめて会ったときにアンナが言っていた、『自分たち以外にも人類が生き残っていたのが嬉しい』と言うセリフはそういう意味だったのだ。
「じゃあ、穀物の種とかはないのか?」
「もう、今ではもうどこにも残っとらんやろな。野生種ならどこか世界の遠くで生き残っとるかもしれんけど、探すには危険な巨蟲がわんさかおる地を越えなあかんし、命がいくつあっても足りひん」
「……うわー……。マジか…………」
言葉を失うニイト。これで種子を探す作戦も費えた。残るはポイントをためて小麦を買うことだが、一日で大量のポイントを稼ぐのは難しい。
「てか、あんさんこそ穀物を食べてたなんて、よっぽど遠い所から来たってことやろ? そっちの方がよっぽど不思議やわぁ」
まったく異なる生活環境で過ごした者同士の会話だ。認識の擦り合わせには時間がかかりそうだ。
「で、あんさんは食料を探してるんやったな?」
「ああ、そうなんだ。ここって、虫以外の食べ物はある?」
「ない」
即答だった。こうなったら、万が一に備えて少しでも食べやすいモノを探すしかない。
「やっぱりそうか……それじゃ、一番食べやすいのってなに?」
「食べやすいっていうと、味のことやろか? それとも見た目?」
「両方」
「それやったら、ニイトはんが実際に食べてみるしかないやろ」
「――ですよねー」
やっぱりそうなるか。やむを得ない。ここは体を張って男を見せるしかない。ドニャーフ族の未来の為に一肌脱ぐとしますか。
「何に戸惑ってるか知らんけど、こういうものって慣れなんとちゃう?」
「たぶんそうだね。ただ、なかなか踏ん切りがつかなくて。でも、やるしかないみたいだな」
ニイトが決意を見せると、アンナは人の良さそうな笑顔をつくり、
「ほんなら、うちが協力したるで」
「どうするんだよ」
「見た目がきつい言うんなら、最初は目隠しして食べればいいんよ。あんさんが目隠しして、うちが口に運んだる」
名案かもしれない。
「なら、わたしも一緒にやります」
「マーシャっ!? お前はいいんだよ。まずは俺が毒見をするから」
「いいえ、夫婦たるもの、困難を乗り越えるときは一緒です」
澄んだエメラルドの瞳がじっとニイトを見つめる。こんな純粋な目で見られたら、断れない。
マーシャの決意は固そうなので、ニイトはしぶしぶ了承した。夫婦と言われてちょっと瞳がうるっと来たのは内緒だ。
「はぁ~、見せ付けてくれるなぁ~。あんさんら、覚悟しときや」
なぜかムッとしたようなアンナが若干黒い笑みを浮かべていた。
「おい、ちょっと待て、お前良からぬことを考えてないよな?」
「まさか! うちに任せておけば大丈夫や。大船に乗った気でいてや」
不安は残るものの今さら後には引けず、ニイトは銀色の貨幣を一枚アンナに渡して、試食品の調達を任せた。
「ほんなら先にうちの工房に戻っててや。選りすぐりの料理を持っていくで」
ニイトたちは言われたとおりに待機することにした。
◇
工房の内部はやはり薄暗い。
マーシャと二人で待機するもすぐに手持ち無沙汰になってしまい、暇を持て余す。
「まさか、こんなことになるとはな……」
まさか異世界で虫料理を食べるハメになるとは……。数日前には考えもしなかった。
マーシャは怒っているだろうか。軽蔑しているだろうか。そりゃそうだよな。金欠で嫁に虫を食わせるような最低男に拾われてしまって、きっと後悔しているに違いない。
そう考えるとニイトはマーシャの顔が怖くて見れない。しかし意識すればするほど気になってしまい、ついには誘惑に耐えられずに猫耳少女の表情を覗き込んだ。
緊張したような、強張った顔。
そりゃそうだよな……とニイトはショックを受けたが、その頬がやや赤く染まっているのを見て、おや? と思い止まる。
「どうかしたか?」
「ニャっ! その、緊張してしまいまして……」
「そうだよな。これから虫を食うわけだし」
「え? ああ、そういえば、そっちもありましたね」
「そっちも? じゃあ何に緊張してたんだよ」
「そ、それはその、暗い部屋でニイトさまと二人きりですし……。キューブではいつもノアさまもご一緒でしたし、本当に二人きりなのは滅多にないことなので……」
あれ? 何だこの流れは? 虫を食う前の絶体絶命のピンチであるはずが、なぜか桃色の雰囲気が混じっている。
「俺のこと怒ってないのか? 力が及ばなくてちゃんとした食料を人数分用意できそうになくて。今だって虫を食べようとしてるんだぞ?」
「そんなことは! むしろ嬉しいです。ニイトさまがドニャーフのためを思って直々に慣れないことに挑戦してくださるのです。これほど栄誉なことはありません。わたしはどんな道でも着いて行きます」
全く嘘偽りの伺えない、清らかな笑顔だった。
本気なのか? 本当に虫なんてどうでもよくて、俺のことを受け入れてくれるというのか?
ニイトは心の底から何かが膨れ上がってきて、気がつけばその華奢な体躯を抱きしめていた。
「にゃっ、ニイトさま……」
「そういえばさっきノアに邪魔されてできなかったけど、あのときの続きをしようか?」
「にゅぅ~」
マーシャが抱き返してきたのはきっとOKの合図に違いない。
ニイトはそのまま押し倒した。
ガシャン、と壁際に立てかけられていた武器が倒れるが知ったことではない。
マーシャの顔が熱い。自分の顔も熱い。
しかし 採光が不十分な薄暗い部屋が、むしろちょうど良い按配で羞恥心を覆い隠し、二人を口付けに没頭させた。
「マーシャ」
「ニイトさま」
ついには感情のメーターが吹っ切れて一線を越えようとしたその瞬間、
「――お待たせ! いやー、息の良いヤツを揃えるのに手間取っ……」
「「あっ……」」
工房の所有者である赤髪の鍛冶師が、ドアを開け放ったままピクピクと眉を吊り上げていた。
「…………人の工房で何してくれてんじゃオノレらぁあああああ!」
「「す、すみませんでしたぁあああああああ!」」
ニイトとマーシャはピタリと揃った動きで土下座した。
次回は飯テロ注意。




