1-2
「わかった、要求を言ってみろ! 何が目的なんだ?」
『別に何も。ていうか、あんたは曲がりなりにもあたしのマスターなんだから、あんたがしたいことを言いなさいよ。あたしはあんたに協力するために存在しているんだから』
まさかこれが何でもしますってやつか? 機械に言われても嬉しくないが。
「急に言われても、これといってやりたいことがあるわけじゃないしな。とりあえず、快適な自室にこもって漫画やアニメを見ながらダラダラ過ごしたいとしか思いつかない」
いきなり言われて考え付くことなどこれくらいだろう。
『骨の髄まで怠惰が染み渡ってるわね』
「失敬な。これは高度な平和思想なのだよ。そもそもそんなに一生懸命働いたって世界はどんどん破滅の方向に向かっていくだけさ。人類の歴史なんて所詮戦争の積み重ねでしかない。ならば何もせずにおとなしくしているほうが人類にも環境にも良いことだろう。つまり、家でダラダラとオタク趣味に浸かるのは世界平和への第一歩なのだよ。むしろ人類救済の道と言っても過言ではない。ふはははは。まあ、所詮機械ごときには理解できない崇高な考えだろうがな」
『…………マスター召喚をやり直せないかしら……』
呆れるようにノアは呟いた。
「てか、とりあえず状況を説明してくれよ」
『そうね。あんたネット小説とか読んでるみたいね。それ風にわかりやすく言うと、あんたは異世界に召喚されたのよ』
「異世界? この何もない部屋がか?」
『そうよ。あんたが住んでた世界とは別次元の世界なんだから、異世界で問題ないでしょ? ちなみにこの領域はキューブって呼称されてるわ。よく見るとちゃんと立方体の形になってるでしょ?』
想像していた異世界のイメージと乖離しすぎて頭が追いつかない。そもそもドッキリテレビ説をいまだに否定しきれていない自分もいるのだ。そう疑いの視線を向けると、
『まだ理解できてないみたいね。ならあんた、自分の名前を言ってみなさい?』
「はぁ? 俺の名前は……名前は…………、あれ? 思い出せない!?」
『これで理解できたかしら? あんたは異世界に召喚されたときに適応化処理を受けたわ。その際に邪魔だった自分の名前を消去されたのよ』
「ちょっと、何してくれてんだよッ!? 勝手に人の記憶をいじるなよ! 親から貰った大事な名前なんだぞ!」
『へぇ~、ろくに親孝行もしてなかったのによく言うわよ』
ぎくりっ。
『知ってるわよ。引きニートって言うんでしょ? 自立せずに自室にこもったきり、親の脛をかじって寄生虫のように生きてきたんでしょ? まったく情けない人間ね』
「やめてくだしゃい! ぼくぅの心はガラスのように繊細なんでしゅ! 乱暴にしないでぇェェええもう許じでぇえぇぇえぇえええ!」
『キモッ!』
無機物にまで気持ち悪がられるとは、これが親不孝者の末路か。
『まぁ、これでわかったでしょ? にしても呼び名がないのは不便ね。何か新しい名前を名乗りなさいよ』
「そんなこと急に言われても思いつかないよ」
『じゃあ、あたしが名付けてあげるわ。そうね、ニートって呼ぶことにするわ』
「それは勘弁してくれよ!」
『いいじゃない。ニートってあんたがいた世界じゃ蔑称だったかもしれないけど、他の世界じゃ勇者とか救世者とかの意味だったりするのよ?』
「そうなの? でも抵抗感が強すぎる。せめてニイトにしてくれ」
『細かい男ね。まあ、いいわ。今日からあんたはニイトよ』
こうして成り行き的に改名されてしまったのだ。
「まったく、どうしてこんな事態になったのか」
『あら、不服そうね。むしろ感謝されてもいいはずだけど? 惨めに死ぬ間際だったあんたに、やり直すチャンスをあげるっていってるのに」
「チャンスだって?」
『そう、あんたはもう昔のままのあんたじゃないの。言うなれば新しく生まれ変わったわけよ。気持ちを入れなおして頑張りなさい』
「どうせなら記憶じゃなくて容姿や能力をいじって欲しかった」
『ん? そっちもちゃんと調整してあるわよ。ほら』
ノアは黒柱の表面を鏡に変えた。するとそこに映ったのは、
「え? 誰、このイケメン!?」
鏡の中には黒髪で俳優のような顔立ちのイケメン男子がいた。年は十代後半くらい。足が長く、引き締まった体つき。程よく筋肉がついていて無駄な脂肪などどこにもなかった。
自分が指差すと、鏡の中の全裸のイケメンも同じように指を差し返してくる。足をあげれば足を上げ、腰を振れば腰を振る。動作が全て鏡写しになっているということは、この鏡に映っている姿が、新しい自分の容姿のようだ。
「うぉおぉおおおお! すげー! 俺、イケメンに生まれ変わったのか!? しゃぁあああ! ありがとう! マジでありがとうッ!! 俺、今度こそちゃんとに生きるよ!」
こんなのを見せられてしまえば、もう信じるしかない。自分は、マジで異世界にやって来たのだと。この世界で新しい人生を始めるのだとニイトは腹を決めた。
『そんなに喜ぶことかしら? 目や鼻の形や位置が数ミリ違うくらいの違いしかないのに』
「ダンチだよ! あ、でも、こんなに変わっちゃうと自分じゃないみたいだ」
『大丈夫よ、魂に歪が出ない範囲での調整だから。もっとも自分じゃないような認識を持ってしまうから名前の情報は消えちゃったけど』
「これが原因だったのかよっ!?」
『それだけじゃないわ。身体能力や知能なんかも、可能な範囲で引き上げてあるし、他にもいろいろいじってあるから、それらが総合的に影響を与えた結果ね』
「他にって、何だよ」
『ま、それはおいおいね』
若干不穏な発言もあったが、それでもすごいことだった。ただの異世界召喚じゃない。能力アップしたイケメンになっての召喚だ。強くてニューゲームじゃないか。
ニイトは無意識に拳を握る手を強めた。しかし、同時に気になることもあった。
「俺って、もとの世界に戻れるの?」
『不可能ではないけれど……、少し語弊のある言い方になるけど、その場合は変化させた肉体は持っていけないから霊魂だけを送ることになるわ』
「それって、幽霊みたいになるってこと!?」
『ま、そんな感じね。死ぬ間際の体に移すから、帰還してもすぐに生命活動を終えるけど』
つまり、帰ったら死亡確定というわけだ。ダメじゃんか。どうやらこの世界で生きていくしか方法はないようだ。
「じゃあ、俺は何をすればいいの?」
『好きなようにすればいいわ。あんたがしたいことをしていれば、あたしの目的も自然と達成するように計算されているし。そのためにあんたを選んだんだから』
「そんな適当なことでいいのか?」
『あら? ノアシステムの演算力を疑うの? 動画フォルダの方も羅列してあげようか?』
「すいませんでした! 全面的に信用します!」
なんて恐ろしいシステムだ。
「そもそもノアの目的って?」
『あんたに理解できるように説明するのは難しいわね。領域の拡張と保護、それと可能性の増産かしら。ようは成長、進歩、向上のような概念に近しい状態へ至ることよ』
ようは向上心が高いってことか。何気に意識高い系なAIだな。
「そっか。よくわからないけど、俺とノアはパートナーってことなんだな」
『そんな感じみたいね』
「じゃ、よろしく。仲良くしてくれ」
握手する手がないからどうしたものかとニイトが思案していると、
『――仲良くしてくれ――ですって? それ、本当にあんたの願いなの?』
不自然に疑問を投げ返されて、ニイトは頭に(?)を浮かべる。自分は何かおかしなこと言ったか? 仲良くしようって言っただけだぞ。敵対したり憎み合うよりはいいだろうに。
「そうだけど?」
自分におかしなところはなかったのだから、ニイトはそのまま肯定したが、
『……ちょっと、時間をちょうだい。……………………』
ノアはずいぶん長いこと沈黙した。石版の表面を走る光の粒が今までにない勢いで黒柱の全面を慌ただしく駆け巡っている。どこか様子がおかしい。難しい計算をしているような、あるいは迷ったり焦ったり戸惑ったりしているように見えなくもない。
『……すごい数のエラーが報告されてるわね。でもこれが鍵として選ばれたマスターの選択なのよね?』
何事かぶつぶつと独り言を呟いている。
「ノア?」
『……待たせたわね。ざっと計算したところ、機能を制限した上で新たに作成した隔離領域内で実験的に行う許可が下りたわ』
「はい?」
声や口調が自分の好きな声優っぽくなっても、ところどころよくわからない専門用語が飛び出す仕様は変わらないようだ。
『だから、あたしと仲良くするって話よ。それよりも本当にいいの? この命令は一度実行したら解除できないから、何か不都合が起こったら隔離領域ごと凍結することになるけど?』
「だから、何の話だよっ!」
どうしてそんな話の流れになったのかわからず、ニイトはあたふたする。
『だ・か・らっ! あたしと“個人的”に仲良くしたいの? したくないの?』
「だから始めから仲良くしようって言ってるじゃん!」
『……わかったわ。じゃあ、命令を実行するわね』
命令なんて大げさなと、そう思ったとき、――石版が強く発光した。
あまりに眩しかったので、しばらく閉じた目を開けられなかった。やがて光が収まるのを感じて視界を開くと、
「――なっ!?」
とびきり可愛い美少女がいた。――しかも全裸で。