2-6
マーシャに肩を支えられて裏路地に入ったニイトはすぐさまスキルを使用した。
――【帰還】
一瞬にして白い光に包まれて、ニイトとマーシャはキューブに戻ってきた。そして石版を前にしてニイトはありったけの力で叫ぶ。
「ノアぁああああああああああああ!! キサマぁあああああああああああ!!」
『うるさいわね! 大声を出さないでよ! いったいどうしたっていうの?』
「どうしたも、こうしたもねーよ! 何だよあの世界ッ! 虫だらけじゃねーか!」
思いの丈をぶちまけるも、ノアはきょとんとしていた。
『何怒ってんのよ。あんたが選んだことでしょうが! あたしはちゃんと言われたとおりに検索したわよ』
「嘘つけよ! 食べ物なんてなかったぞ! 虫しかいなかったぞ!」
『じゃあ、虫が食べ物なんでしょ』
「なん……だと……?」
薄々勘付いていたが、改めてノアの口から告げられると絶望感が募る。
『あのときあんたが言ったことを思い出してみなさい。たしか「食糧事情を安定させたいから、安価で栄養価の高い食料が豊富に手に入る世界」って言ったわよね?』
確かに言った。
『虫っていうのはね、実は栄養価が高いのよ。同じ量の牛肉や豚肉よりも多く良質なタンパク質を含んでいるわ。しかもコレステロール値が低くて低脂肪だからとても健康的よ。さらに必須アミノ酸や鉄分、ビタミン、ミネラルなども肉や魚より豊富で、一種の完全食とまで言われているわ』
「ま、マジか……」
『さらには生育コストの安さと早さも見逃せないわ。動物を食肉にしようとしたら一年~三年と年単位の時間がかかるうえに、たくさんの資金が必要になるわ。1gの動物性タンパクを育てるのに、10倍以上のエサと大量の水、それに広い土地と設備が必要になるのよ。それに対して虫は食べたエサの量の40%を自分の質量にできるという恐ろしいほどの吸収効率を持っているわ。しかも半年足らずで成虫になるし、そもそも幼虫の方が美味な虫も多いから、育成期間は更に短くなるわ。大型の動物と比べてお金もほとんどかからないしね』
説明されればされるほどに、筋は通っていると思わされる。
「いや、でも、でもっ、いや――」
『栄養価の高い良質な食材を、安価で大量に入手するには絶好の世界じゃない。そもそも食糧難になった文明は最終的に虫食に行きつくのは人類のテンプレよ。速いか遅いかの違いでしかないわ』
ま、マジかよ…………。
ノアはすこぶる機嫌が悪そうに、石版から声を尖らせる。
『まったく、どうしてちゃんと期待に応えたのに怒られなきゃなんないのよ。意味わかんないわ。あんたが低脳だから理解できないだけでしょ、このバカ犬っ、低脳犬っ。まったく失礼しちゃうわ』
「で、でも、虫だぞ!? 気持ち悪くて食べられないだろ!」
『それは見解の相違よ。あんたが生まれ育った世界だって虫を食べている地域は多くあったでしょ? そもそも似たような多足生物のエビとかは食べるんでしょ? カニとクモだって同じような見た目じゃない。なのにどうして虫はダメなのよ?』
明確な反論が出てこなくて困る。
そういえばタコやイカを当たり前のように食べる日本人も、欧米人からしたら気持ち悪いという話しを聞いたことがある。他にも刺身や卵など生ものを口にするのも狂っていると思われていたらしい。しかし実際に食べてみると美味であることがわかり、彼らも食わず嫌いだったことを認めて、今では世界中に寿司屋がオープンするまでになったとか。
まさか、それと同じことを虫にも当てはめろというのか…………?
「ニイトさま……、虫って食料だったのですね。わたし、頑張って食べますね。大丈夫です、ニイトさまが食べる物でしたら、わたしも食べられます!」
「待て待て、違うよマーシャ誤解だ。たしかに食べる人もいるけど、俺は食べたことないぞ!」
美少女は虫を食べても美少女でいられるのか? それが問題だ。
『ま、これでわかったでしょ。あたしはちゃんと責任を果たしたわ。あとはあんたが責任を取る番でしょ』
「どういうことだよ?」
『かわいそうに、お腹を空かせた少女たち』
「くっ!」
『男の稼ぎが悪いせいでろくな食事を与えれない』
「ぐはっ!」
『女に苦労をかけるなんて、情けない男ね』
「ぐわぁああ!」
ニイトは膝をついた。
反論できない。自分のせいで猫耳少女たちがひもじい思いをするなんて耐えられない。
「わかったよ! 何とかするよ!」
こうなったらもう、男の甲斐性の問題である。どんな手段を使っても彼女たちに美味いものを食わせてやる。
きっと形さえなければ嫌悪感はもたれないはずだ。たとえばみじん切りにしたり、すり潰したりとやりようはいくらでもある。
いや、待てよ。
そもそも無理して虫を食べなくても、たくさんポイントを稼いで牛肉なり鶏肉なりを買うことだってできるはずだ。ただその場合は結構なポイントが必要になるが。
一日の食費の目安は一人当たり、極貧メニューで1000ポイント、貧乏飯で1万ポイント、普通の食事なら10万ポイントほどかかる。だから1日に200万ポイントほど稼げれば解決する話なのだ。はははは。
ははっ…………しばらくは無理かもしれない。おうふっ。いやしかし、どうにかしなければ……、やるっ、やってやる!
とにかくポイントだ。ポイントさえあれば何とかなる。
「よし、ならさっそく戻って対策を始める。行くぞ、マーシャ……、とその前に、一つお願いがあるんだけど」
「はい。何でしょう?」
「俺たち、これから一時的に虫を食べることになる可能性がある。それで、うまく言えないんだけど、もう元には戻れないと思うんだ」
昆虫食でお口が汚れてしまうのか、それとも新たな扉を開くのかはわからないが、虫を食べる前と後では何かが違うような気がした。
「だから、そのまえにたっぷりとキスをしておきたい」
「は、はいっ?」
猫耳が勢いよく直立する。
「いや、何か虫を食べた後にキスってロマンに欠ける気がするんだ。だから、今のうちに、な。ダメか?」
「い、いえ。むしろ喜んで……」
マーシャは恥ずかしそうに俯いた。
「じゃ、じゃぁ、いくぞ?」
「はぃ……」
マーシャのあごをくいっと持ち上げて、ソフトな口付け。
「ん……」
小鳥が啄ばむように、何度もくっつけては離す。
「あっ、ニイトさま……」
「舌も、入れるぞ」
「はぅっ! あっ……」
ニイトはマーシャの華奢なからだをがばっと抱きしめて、激しく攻めた。どんどん気分が盛り上がる。自然と服を脱いで、マーシャの衣服の中に手を滑らせる。
そのとき、後ろから何者かに蹴り飛ばされた。
『あたしの前でイチャついてんじゃないわよ、このバカ犬!』
いつのまにか実体化したノアが顔を真っ赤にしながら怒鳴った。
(ちょっ、おまっ! 何をする――!)
ニイトは蹴られた勢い余ってマーシャと共にゲートに吸い込まれる。
『まったく! 人の目の前でチュッチュしてんじゃないわよ! ちゃっちゃと稼いで来なさいっ! それまで帰って来なくていいわ。【転移】や【帰還】にも二人分のポイントがかかることを忘れないでよねっ! ふんっ!』
こうしてニイトたちは再び虫世界へと出稼ぎに向かった。
◇
『はぁ……、はぁ……、――はッ!?』
後に残ったノアは一人、荒い息を整えながら戸惑っていた。
『あたし……何をして……?』
気がついたら突然、からだが勝手に動いた?
どうして自分はこんな行動をとったのだろうか? ノア自身がその理由を理解できなかったのだ。
あのとき、精神パルスに大きな乱れがあって、咄嗟に緊急手段を講じた。しかし今になって振り返ると、そんなに危機的な要素などどこにも見当たらなかった。
なら、バグなのだろうか? そのせいでこのポイント不足の時期に実体化して無駄なエネルギーを消費してしまったというのか。
原因は何? 全て順調だった。マスターに協力者が現れて、住民も増えて土地も広がった。良い方向へ向かっていることは間違いない。
ならどうして自分はおかしな行動を取ったのか。
わからない。
でも、この擬似神経パルスにはいまだに原因不明の混濁が残っている。
何かが気に入らなかったのかもしれない。自分の働きが正当に評価されなかったこと? ニイトとマーシャが仲良くなったこと?
そうかも。あたしはちゃんと仕事したのに怒鳴られて、あの子はただ一緒に歩いただけで抱擁される。どういうことかしら? 意味わかんないわ。理不尽よっ。
なんだかムカムカする。
『あれ? これって、ひょっとして怒り? きっとそうだわ!』
この精神波形がイライラと揺れ動いている状態がきっと怒り。そうに違いない。
だとしたら、どうしてこの状態になったのかを早急に解析をしなければならない。
ノアは実体化した体を再び光の粒子に戻して石版へ帰り、ログの解析を始めるのだった。
しかし喜びのときとは違い、怒りの波形ではシステムの動作にマイナス補正がかかってしまうようで、弱体化した能力での解析は難航した。




