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「うぇえええ、気持ち悪いぃいいい。ずっと逆さまにされとったから、頭に血が上って吐きそうやわ……」
「もうぶちまけたよねっ!」
「ハンターさん、うちが吐きそうになったら言うから、そんときは退避してな」
「えっ、なかったことにするつもりっ!?」
混乱しているのかわざとなのかはわからないが、女の人はニイトの汚れた胸元には目もくれずにうわ言のように呟いた。
仕方がないのでニイトは日差しを防げる木陰まで彼女を移動させて、回復するまでしばらく様子を見ることにした。
陽もかげり、肌寒くなってきた。
行き倒れの女性を放置するわけにもいかないので、ニイトはやむを得ずこの場所で
野営を張ることにした。
輪郭だけが光る万能ボックスのあーくんを使って薪を【購入】し、火を起こす。ついでに食料も出してマーシャと二人で腹を満たしていた。
すると気を失うように眠り続けていた赤髪の女性がスンスン鼻を鳴らして目覚める。
「ええ匂いや……」
香ばしく焼いたモフタケの匂いに釣られて起床するとは現金な女である。
「おひとついかがですか?」
マーシャが良い焼き加減の串を一本差し出せば、女性は飛びつくように受け取った。
「おおきに! ほんま、おおきにな!」
無我夢中でぺロリと平らげる。
「いや~、ありがとうな。ほんま助かったわ。どういうわけか、えらい腹が減ってしもうてな、どないしたらいいんかわからんかったんよ」
そりゃあれだけ盛大にぶちまければ胃の中はからっぽだろうさと、ニイトは半眼で見つめる。ちなみにゲロまみれの服は放棄したので、ニイトは現在上半身裸である。
「せやった! うちとしたことが、お礼がまだやった。二人とも、ほんにありがとう! 二人が助けてくれへんかったら、うちは今頃巨蟲たちのエサにされとるところやった。ほんま、二人は命の恩人や!」
まあ、そう言われれば悪い気はしない。一着がゲロまみれになるのと引き換えに人命が救われたのであれば、あの服も本望だろう。
「そういや、自己紹介がまだやったな」
女性は軽く身なりを整えると、
「うちはアンナや」
「ニイトだ」
「マーシャです」
赤毛のアンナか。何となく覚えやすい。
「ところであんさん、うえ裸やけど、寒くないん? 夜はもっと冷えるで? ハンターさんはからだが資本やから、体調管理はしっかりせんとな」
撤回しよう。やっぱり虫に食われちまえ。まったく誰のせいでこうなったと思ってんだよ。
「ところで、そのハンターって何だ?」
「え? 兄さんたちハンターちゃうん? こないなところでおる人間なんて、巨蟲ハンターか後ろ暗い落人くらいなもんやろ? はっ! ま、まさかあんさんら、犯罪者なんか!?」
「行き倒れの人を介抱して飯をくわせるのが犯罪なら、そういうことになるな」
そう返答してやれば、女性は手を擦り合わせながら平伏した。
「すまん、うちが悪かった。どう考えてもニイトはんらは悪人には見えん。一瞬でも命の恩人を疑ったうちを許してや。もしもあんさんらが盗賊団やったとして、うちをアジトに連れて行ってそのまま初めてを無理やり奪われたとしても、うちはそれを受け入れる覚悟や! うちの人生の半分はもうあんさんらのモノみたいなもんやし」
「何の覚悟だよっ! まあいいよ。ぶっちゃけ俺たちもどういう立場になるのかいまいちわからないしな……」
異世界人? 漂流者? 無難に旅人にでもしておくか。
「ま、詳しく聞いたりはせんよ。こんな時代やから旅人なんておらんし。他の土地に人が生き残っているかもわからんから外国人というのもおかしいし。そもそもこんな危険な平原を一般人が渡り歩くはずもないから漂流者でもないし。まさか、別の世界から来たなんて言う訳もあらへんやろ?」
おっふ。一瞬にして全部の可能性を否定された。
てか、話しを聞く限りすげー危なそうな世界に聞こえるんだが……。
「で、あんさんらは何者なん?」
「詮索はしないんじゃなかったのか?」
「詳しくは、って言うたやん。でも、これだけは聞いとかんと」
アンナはマーシャの頭に指を向ける。
「それ、作りもんの耳やないんやろ? さっきからぴょこぴょこ動いとったし」
ニイトはしまったと頭を抱えた。オタクにとっては自然に受け入れられる獣耳だが、他の世界でも同じとは限らなかった。下手をしたら獣人が迫害されているような世界もあるかもしれない。マーシャの頭を隠さないで現地人に会ってしまったのは失策だった。
「生まれつきなんだよ」
「嘘や。こないにけったいな耳なんて見たことないわ! あんさんら、やっぱりただの人やないな」
返答につまるニイト。
「なぁ、頼むで。他の誰にも言わんから、うちだけに教えてや。ええやろ? このままだと気になって今夜は眠れへん」
「そりゃ、今まで散々寝てたんだから、どの道今夜は眠れないだろうさ」
「なぁなぁ、ちょっとだけでええから。先っぽだけ、先っぽだけでええから教えてや。うち、あんさんらみたいな強い人に興味あるんよ」
異世界人だとばらしていいものかニイトが悩んでいると、マーシャが代わりに口を割る。
「わかりました。本当のことをお教えしましょう。実は、ニイトさまは、神さまなんです!」
おいっ! これ以上話しをややこしくするんじゃない。
「へ、へぇ……。そうなんや~」
なぜか距離を離れるアンナ。
「あからさまな白い目を向けるなよ」
「そ、そういう趣味もあるわな」
「趣味って何だよ!」
「それで、マーシャはんは神さんのニイトはんと何をしてるんや?」
「わたしの目的はニイトさまのご命令に従い、全てを捧げることです」
「……う、うわぁ……」
スサーっと、凄まじい勢いでアンナは後退した。
「おいっ! 引くなよ! 誤解だって!」
「引いとらん! 引いとらん!」
「じゃあ、この距離感は何だよ!」
「べ、別にうちは、けったいな耳はしとるけど純粋そうな少女を洗脳して神さん呼ばわりさせてから全てを捧げさせるような特殊な性癖を持った相手を目にしたところで、引いたりせえへんわ!」
「さっきより遠くなってんじゃねーか!」
くそう。余計に話がこんがらがったよ。
「ま、まぁ、うちとて人の恋路に口出しをするほど野暮やないしな。大事にしてあげてな。浮気とかしたらあかんで」
「あ、わたしは側室なんです」
スサーーーーーっ!
「どこまで離れるんだよぉおお! 惑星を一周する気か!」
「だってあんさん、それはさすがにあかんやろ~。所帯持ちやのに、こんな若い子の初めてを奪うなんて、信じられへんわ~」
「初めてをうんぬん言ってたのは、さっきのお前もだろがっ!」
思いのたけを叫ぶニイト。ひどく無駄に疲れた気分になったので、適当な嘘で誤魔化すことにした。
「もう面倒くさいから、わけありの商人ってことにしておいてくれ」
「…………ぷっ、ぁあっはっは!」
なぜか爆笑しだす赤髪ショート。
「おもろい冗談やな。街の外に出る商人なんて聞いたことあらへん。神さんのほうがよっぽど信憑性があるわぁ。ぁっはっは」
ニイトは渋い顔をしながら首をかしげる。商人は街から街へ移動するのが常のはずだが、この世界はそうではないらしい。もうわけがわからない。これ以上話すと墓穴を掘りそうだ。いや、もう既に墓穴に埋まっているか。
「笑ったらもうどうでもよくなったわ。わけありなんやろ、もうこれ以上は聞かんよ。ただ、うちは気にせんけど、街ではその子の耳は隠したほうがええかもしれんな。いらん問題は抱えたくないやろ?」
「ご忠告に感謝しますよ」
とりあえず街に入る前にマーシャ用の帽子を【購入】しておこう。
「そういうお前は何者なんだよ」
「うちか? うちはこう見えても鍛冶職人なんよ。鍛冶師のアンナや」
「それで、鍛冶師のアンナさんはどうしてこんなところにいるんだ?」
「それや! 聞いてやニイトはん。うちの店はここんところ景気が悪うてな、素材の仕入れすら満足にできんくなってもうたから、自力で調達しようと街を出たんよ。うちとて街の外に出るんは危険やとわかっとるけどな、背に腹は代えられんし金もないから護衛も付けれんけど、やるしかなかったんよ。そしたら案の定、『巨蟲』に捕まってもうたんや!」
巨蟲ってのはアンナを捕らえて運んでいたヤツだろう。確かにでかかった。人の頭部よりも大きな虫など見たことない。
「そりゃ、災難だったな。次からは気をつけろよ」
「次って! まだうちにこんな危険なことをせえって言うんか? 無理無理無理。もう懲りたわ。さすがに同じ失敗を繰り返すほど、うちもバカやない。これからは余った素材を何とか拝み倒して安く売ってもらうことにするわ。って、そうや! ニイトはんらは強いやろ? うちに素材を卸してくれへん?」
「いや、素材って言われても鉄なんて持ってないぞ?」
「鉄鋼蟲なんてランクの高い素材じゃなくてええんよ。下級の甲蟲やワームでええから」
やたらと会話の中に虫が出てくることに違和感があるが、ニイトは話しを合わせる。
「まあ、できる範囲であればいいけど」
「ほんまか!? 助かるわ。そう言えば、うちが捕まってた巨蟲はどうなったん?」
「あれなら何匹かは倒して、残りは逃げたぞ」
そう言えばまだポイントにしてなかったな。
「え? 倒せたん!? すごいやん! ほんならその素材をうちに売ってや」
あの虫も素材になるのか。そういえばやたら硬くて軽い殻をしていたな。
「いいよ。今拾ってくるよ」
死骸を集めておいた場所に一人で歩いてきたニイトは、そのうちの一匹をあーくんに吸収させる。
――巨蟲(甲殻・飛翔系 下級) 1体 売却額……8200ポイント。
(おぉ!? 結構高いじゃん!)
思った以上に高値で驚く。これは良い稼ぎ口になりそうだ。
あと三つほど売却してみたが、結構売値にばらつきがあった。おそらく大きさや破損具合によるものだろうが、それでも5000ポイントを下ることはなかった。うまし。
残った四つの死骸をアンナの元へ持っていくと、目を輝かせながら検分しはじめた。
「おぉ! あんさん、やるやん! 最小限の破損だけで見事にしとめとるな! 大事な甲殻の部分はほとんど無傷や。こんな綺麗に狩っておいてハンターやないなんて嘘やろ」
アンナは小型のナイフみたいな何かを取り出すと、巨蟲の体の継ぎ目に差し入れて、手馴れた手付きで素材部分を剥ぎ取っていく。
あっという間にバラバラに解体された。
「今は手持ちがないから、お代は街に帰ってからで頼むわ」
「構わないよ。街の方向はわかるのか?」
「大体の予測はつくで。半日そこらで着くやろな。てか、あんさんらはひょっとして迷子やったん?」
ニイトが微妙な表情をすると、アンナはケラケラと笑う。
「こりゃ傑作やな! その年で迷子やなんて、どんだけ方向感覚おかしいねん!」
癪に障るが仕方ない。ここは話しを合わせるしかないのだ。
「ほんなら、商談もまとまったことやし、虫肉を頂きましょか」
「「えっ……?」」
ニイトとマーシャが揃って言葉を失う。今度は二人がスサーっと引く。
「何離れとるん? それになんやノリわるいなあ。ここは盛り上がるところやろ?」
いや、だって。いきなり虫食うぞ、イェーイ! なんてならないだろ。
二人が若干顔を青くしているのも気にせずに、アンナは木の枝に突き刺した内臓のような巨蟲の肉を炙っている。結構グロい。
「飛翔系の巨蟲肉は量が少ないから滅多に食われへんで。ほな、一番の功労者からグッといったれや」
一番の功労者と言えば、最も多く討伐したマーシャということになるだろう。
ニイトが顔を向けると、マーシャはプルプルと身をこわばらせた。助け舟を出すようにニイトは言う。
「なあ、ここはアンナが食べてくれ。まだ体力が回復していないだろうから、精のつくものを食べたほうがいいんじゃないかな?」
マーシャも首を大仰に動かして賛同する。
「ええの? ほんまにええの? なんや悪いな。あんさんら、ほんまにええ人たちなんやね。ほな、うちから頂くわ」
アンナは戸惑うことなく頬張った。おいしそうにもぐもぐと咀嚼する。
「ぷはーっ! やっぱ巨蟲肉は味が濃くてええなぁ! ほな、どんどん焼くで」
マジかよ。食ったよ。てか、美味いのか?
あまりにも文化的ギャップが離れていて、ニイトはその光景を戸惑いながら眺めていた。
まあしかし、何にせよ明日は街につく。街に行けば虫なんてゲテモノじゃない、まともな食事にありつけるはずだ。




