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空を飛ぶ黒い塊。見たことのないゴワゴワした輪郭。上部はときどきキラキラと光を反射する。まるでつやのある黒いヘルメットを幾つも密集させたような異様な外観だった。
その謎の物体がニイトのいる方角へ一直線に飛来する。
よーく目を凝らして観察すると、ようやくその全容が判明した。
「虫ッ!?」
黒光りする丸い胴体。そこから伸びた細い脚。残像を残して羽ばたく透明な翅。それらの特徴は昆虫とぴったり一致する。だが、
「――でかい!」
遠目からでもはっきりとわかるほどに大きな胴体。それが数十匹ほど固まって飛翔していたのだ。
なぜそんな偏屈な飛び方をしているのかと疑問だったが、接近したことで理由が判明。
「ニイトさま! 人がぶら下がっています!」
密集した虫たちの下部に、人の上半身のようなものがのぞいている。手足を地面に向けてだらんと脱力しているようだった。
虫を使った遊泳飛行? いや、あの様子はむしろ……。
ついにはっきりと目視できるくらいに近づくと、虫たちの直下の草が風圧で左右に割れていく。
上空4~5メートルのところを巨大な虫たちが群がって飛行する様は、思った以上に迫力があった。
けたたましい重低音を撒き散らしながら、まるで周囲の生物を威嚇するかのように進むのである。
そんな爆音の中に、かろうじて聞こえるような声が混じっていた。
「ハンターさぁあああああああああああん! うちを助けてやぁあああああああ!」
大きく口を開いて叫んでいるはずなのだが、このうるさい環境の中では十分に聞き取れない。しかし、断片的に聞き取れたのは助けを求める声のように聞こえた。
「ニイトさま、助けを求めています」
人よりも優れた聴覚を持つドニャーフのマーシャが教えてくれた。
「助けるぞ! 魔法で撃ち落してやれ!」
「はい!」
マーシャは左手の人差し指を虫の群れに向けて固定し、片目を瞑りながら狙いをつける。
そして、一射。
やや使い慣れ始めた白銀の矢が勢いをつけて放たれる。
しかし僅かに軌道がそれて、魔法の矢はターゲットの横を掠めていった。
「もう一度!」
「はいっ!」
2~3秒ほどのリキャスト時間を置いて、再び魔法の矢を射る。
こんどこそ、矢は狙いを違わずにヒット。
中央に陣取っていた虫の背中が弾けて、よろよろとあらぬ方向へと飛んでいった。
「ナイス!」
一匹分の浮力を失った虫の群れは、ガクッと飛行高度を落とした。バランスを取るために、前へ進むことをやめてその場で一斉にホバリングする。
「マーシャ、もう一発!」
マーシャは数秒おきに《魔法の矢》を連射した。
虫の群れは空中で静止していたので面白いように当たる。
一匹、また一匹と撃墜されて、ついには捕まっていた人の頭が草に当たるくらいまで高度が落ちた。
ニイトはそのときを見計らって疾駆する。
低空飛行する虫の群れに向かって跳躍し、握り締めた短剣を突き刺す。
しかし、カキン! と固い岩を叩いたような感触がして弾かれる。かなりの硬度だ。
ならばと、狙いをむき出しの翅に変更し、横薙ぎに一閃。
翅を切り裂かれた虫はバランスを崩して地面に転落した。
それと同時に、ついに捕まっていた人の拘束が解かれて、地面に投げ出される。ニイトは中空でその体を抱えて、頭から地面に激突するのを防いだ。
「うぅ~~!」
素早く意識があることを確認して一度その人を地面に寝かせると、すぐさま意識を敵に集中。
翅をもがれて怒り狂った虫の群れは、長い脚を使ってバッタのように地面を蹴ると、ニイトに向かって一直線にその固い殻を生かした体当たりを繰り出す。
直接受けるのは危険。そう判断してニイトは回避を選択。しかし、背後から跳躍したもう一匹に気付かずに、背中を打たれる。
「ぐっ――!」
一瞬呼吸が止まったが、想像よりも軽い攻撃だった。ヘルメットを投げつけられたような威力だろうか。当たり所さえ悪くなければ直撃を受けても耐えられそうである。
ニイトは次の攻撃を正面から受け止めた。
体当たりを弾いて、地面に着地した虫を踏みつけて短剣を振り下ろす。
しかし、殻に弾かれて刃先が滑ってしまい、突き刺さらない。
もたついているうちに、他の虫の体当たりをくらい、踏みつけていた虫にも逃げられてしまう。
「くっそ! 軽いけど、硬い! それに数が多くて鬱陶しい」
「ニイトさま!」
マーシャが駆け寄ってきて、ニイトの後ろを守る。
「気をつけろよ。こいつら、かなり硬いぞ」
それでも攻略法がないわけではない。
みたび襲ってきた虫に、ニイトは横蹴りを合わせる。
空中で回転しながら舞う虫。今度はその腹部を仰向けにして地面に落ちる。
「くらえッ!」
地面に縫い付ける勢いで振り下ろされた短剣は、見事に虫の腹部をつらぬいた。硬い背部とは違い、腹部はやわい。
虫は激しく足をじたばたさせてもがいたが、徐々に力が失われていく。
それを見届けて背後を警戒したニイトは、もう一匹が跳びかかってくるのを視界にとらえる。が、その一匹がニイトに到達するまえに、横合いから光の矢が突き刺さった。
体の側面から矢に貫かれた虫は、即死したように動きを止めて墜落する。
地面にぶちあたると同時に魔法の矢も砕けて、魔力の粒子となって霧散する。あとにはどてっ腹に穴を空けたまま息絶えた死骸だけが残った。
「すげー威力! 剣よりも強いじゃないか」
魔法を撃った人物に目を向けたニイトの視界に映ったのは、四方から跳びかかってくる虫たちを華麗にかわしながら次々に撃ち落していくマーシャの姿だった。
気付けば、二桁近い数の死骸が散乱し、残った少数の虫は飛翔して逃げ去った。
「ニイトさま、無事ですか!」
「お、おう。俺は大丈夫だ。それよりマーシャは?」
「はい、無傷です」
初めての戦闘にしては、マーシャの身のこなしは並外れていた。
「すごいな。一人でほとんど倒しちゃったじゃないか」
「ニイトさまが与えてくださった魔法のおかげです!」
たしかに《魔法の矢》は想像以上に強力だった。文字通り弓のような威力があるに違いない。あとで自分も取得しよう。それにしても、
「確かに魔法も強かったけど、動きも良かったよ。無駄のない身のこなしで、背後の警戒も上手だった」
「猫人の特性のおかげで、運動神経は良いほうなのです」
なるほど。これが種族性能の差か。うらやましい。
マーシャにいいところを見せるためにあとで体力トレーニングをしようと、ニイトはひっそりと決意した。
それはそうと、宙吊りにされていた人は大丈夫だろうか。
「おい、あんた。大丈夫か?」
「うぅ、あかん。もうダメや……」
その人は短めの赤い髪を束ねた若い女性だった。ニイトとそれほど年は離れていない。肌が綺麗で若々しいので年下に見えなくもない。
「ほら、しっかりしろ。立てるか?」
ニイトはその女性を抱き起こすが、
「ちゃうねん、そないにされたら……お、うっぷ」
嫌な仕草をされてニイトは反射的に身を引こうとしたが、遅かった。
「おぇえええええええ、ぉろおろろろぉおろおぉろろ!!」
「ぎゃぁああああああああああああああ!」
女性はニイトの胸に嘔吐物を盛大にぶちまけたのだった。




