1-15
ニイトが瞳を開けたとき、目の前には依然として瞳を大きく広げたままのマーシャがいた。
柔らかい唇の感触を名残惜しむように離れると、途端に顔がカッと熱くなる。マーシャも同じように赤面していて、二人してよそよそしく視線を泳がせていた。
しかし、羞恥心に耐えかねてか、ニイトは思い出したように怒鳴る。
「バカヤロウ!」
「にゃふっ!」
もんもんとした空気が一瞬で消し飛んだ。
「危うく死ぬところだったんだぞ! てか、死ぬ気だっただろ! 何考えてるんだよ! どうしてそんなに簡単に命を投げ出せるんだよっ!」
たとえ頭ではわかっていても、ニイトには理解できなかった。仲間を助けるために、自分が死ぬ。言葉の上では簡単でも、現実にそれを実行するなんて並大抵の覚悟がなければ不可能だ。死ぬのが怖くない人間なんて、いるはずがない。
「まったく……、勝手なことをして……、あんな危険な真似は二度としないでくれ!」
「はい……。ごめんなさい。でも、ニイトさまは助けてくださいました」
言われて後から気付く。自分もまたノアの制止を無視して死地へ飛び込んだのだということに。
なぜ、自分はそんな大それたことができたのだろうか。怠惰で臆病な自分にそんな勇気などあるはずもない。あのときはただ、マーシャを救いたかった。出会って間もない少女なのに、失うことが耐えられなかった。
あの瞬間、魔物の前に踊り出た瞬間、自分もまた無意識に死を覚悟していたのかもしれない。そして死ぬかも知れなかった瞬間、自分はマーシャの唇を奪った。人生の最後に、死ぬ間際に、本能に突き動かされた行動がキスだった。
どうしてそんな行動をしたのか。答えは一つしかない。
――俺は、マーシャが好きなんだ。
その答えに辿り着いて、ようやくニイトは理解した。
自分の命が危険に晒されてでも助けたいほど、無意識にマーシャを求めていたのだ。それと同じように、彼女もまた同胞を愛していたのだ。だから仲間の為に死ねたのだ。
頭の中でいくら考えてもわからなかったことが、たった一度行動したことで十全に理解できた。人の持つ強い想いが、通常では考えられない大きな結果を生み出すことを。
それっきり二の句を継げなくなったニイトに、マーシャが不思議がる。
「ニイトさま?」
マーシャに腕をつかまれた瞬間に、ニイトは痛みを感じる。
「――痛ッ!」
何かと思えば、魔物と戦ったときの傷に触れられていたのだ。
「ニイトさま! お怪我が」
「ああ、そういえば忘れていた」
意識した瞬間に、忘れていた痛みが蘇ってくる。
とりあえず消毒しないとな。でも、綺麗な水も医薬品もない。どうしたものかと思案していえると、
「ま、マーシャ?」
マーシャが傷口の周囲をペロペロとなめていた。
「何もしないよりは、なめたほうが治りが早いです。それと……服を脱いでください。他にも傷がありそうです」
マーシャは強引にニイトの粗布を剥ぎ取ると、体中にできた傷を一つ一つなめていった。
「こんなに傷だらけになって……、ニイトさまだって、一人で戦いに行かれてしまったではありませんか」
それを言われると辛い。ニイトはうぐっ、と口をつぐんだが、目ぼしい言い訳が見当たらない。ならば、勢いに乗って押し通すしかない。
「俺はいいんだよ。だって、俺だもん!」
「そんなの、ずるいです」
「ああ、そうさ。俺はずるい男なんだ。だから言わせて貰うぞ。マーシャ、お前は何でもするって言ったよな? 俺に身も心も捧げるって言ったよな?」
それを聞くなりマーシャは猫耳まで真っ赤に染めて恥ずかしそうに俯いた。
ニイトが半裸状態なので様々な意味が含まれると解釈されても不思議ではない。だが、
「はい……。」
その圧倒的な破壊力に、ニイトは卒倒しそうになった。
マジかよ!? こんな絶世の猫耳美少女が、本当に俺に全てを捧げるだと!? そういえばロリカ族長が、全員処女だって言っていた。てことは、この超絶可愛い美処女が俺に全てを捧げるというわけで、それはもうノクターンじゃないと表現できないような方法で捧げるというわけで……。あれ? ちょっと自信なくなってきた。
「あの、本当に、いいんですか? 今ならあのときは軽い気持ちだったとか言っても許しちゃうけど……」
ヘタレたニイトの態度に、マーシャは少し考えると、
「確かにあのときは藁にも縋る気持ちで、勢い任せだったかもしれません」
「うぐっ……」
急速に冷静さを取り戻すニイト。やっぱり自分なんかが美少女に惚れられるわけがないんだ……。
「でも、今は、その……、命を助けられちゃったり……、その……、かっこよかったり……、その…………、っん……………………はい。」
めっちゃ乙女の顔でもじもじしながら言われた。
これ、絶対オチてますやん!!
急速に落ちたはずのテンションが勢いをつけて天元突破した。ホップ、ステップ、ジャンプを通り越してアイキャンフラ~イ! 宇宙の彼方まで~!
俄然自信が漲ったニイトは咳払いを一つすると、可能な限り渋いイケボ発声で、
「ならば、その約束を果たしてもらう。今からお前は俺のものだ。俺だけの女だ。俺の命令には必ず従ってもらうぞ」
「…………はい。どのようなご命令にもお従いします」
沸騰しそうなマーシャたんから言質を頂きました。
にいと、やりました。勝ちました。男になれました。逆転満塁サヨナラホームランで33-4でございます意味わかりません。
だが、ここまで踏み込んでいながら押し倒せないのが、童貞とい生き物の悲しい性。
正直ニイトも限界なのだった。もう気絶する寸前なのを、かろうじて気力で踏み止まっているのだ。
声のトーンを戻し、ヘタレな命令を出す。
「なら最初の命令だ。ずっと俺のそばにいろ。勝手に死ぬことは許さない」
「……はい。必ず」
逆にこのほうが良かったのかもしれない。がっついていない、落ち着いた大人の男を表現できたはずだ。
マーシャもそんな自分の姿に瞳をハートマークにしている。いいぞいいぞ。
しばらく見つめ合った。
初めて異性と心で繋がった気がした。と、そのとき、
『あのさぁ、お二人さんさぁ、盛り上がってるところ悪いんだけどもさぁ、はやく説明を終わらせたいのよ、あたし』
「わぁああああああああああ! いたのかよ、ノア!?」
今になってニイトはここが石版の真ん前だったことを自覚した。
『はぁ? いたのかって、なによ! あたしがいたら邪魔だって言いたいの?』
「めめ、滅相もない! 俺とお前は決して切り離せないパートナーじゃないか。一心同体だろ? あ、そうだ、お前には感謝してもしきれないよ。あの時、ノアがゲートを移動しておいてくれたおかげで、マーシャを助けられたんだ。本当にありがとう」
ニイトが偽りなくお礼を述べると、ノアは少しの間沈黙した。
『…………そ、そう。わかればいいのよっ』
声が弾んでいた。
「それにしてもよく俺がしてほしいことがわかったな。ノアは外界のことについては把握できないはずだろ?」
『ああ、やっぱり気付いてなかったのね。あたしが言ったこと覚えてる? あんたと同じく成長するって』
「そう言えば最初の頃にそんなことを言っていたような……」
『覚えてないのね』
「いえ、覚えております、はっきりとっ!」
ノーとは言えない雰囲気を感じて、ニイトは断言した。
どうして自分を支える立場であるはずのシステムに、ここまで気を遣わなければならないのか腑に落ちない。
『は~、まあいいわ。あんたが最初に魔物に襲われて帰ってきたときに怒ったでしょ? それであたしも外の世界についての情報を得る必要性を感じて、ノアの本体に要望を出したのよ。そしたら限定的に外界の情報を収集できるようになったわ。わかりやすく言えば、ゲートから見える範囲とあんたが見ていた景色を、あたしも同時に視認していたわ』
え? マジかよ。それって盗撮しほうだいなんじゃ……。とバカなことを考えていると、
「あのぅ、ニイトさま? さっきからいったい誰と話しているのでしょう?」
「あれ? マーシャにはノアの声が聞こえてない?」
「わたしにはニイトさまが独り言を呟いているようにしか……」
おぅ……、俺、いきなり変人に思われているじゃないか。やめてくれよ、せっかくいい感じになれたところだったのに。
「というわけでノア、俺の名誉を守るためにマーシャにも聞こえるようにしてくれ」
『はー、めんどくさいわね』
すると石版に光が集まり、いつしか見た桃色の銀髪をなびかせた美少女の姿で顕現した。
「なっ!? 何て美しい……、まさか、天使さまですか!?」
ひざまずくマーシャ。
『あたしはそんな存在じゃないわよ』
「し、失礼しました。女神さまであらせられましたか。とんだご無礼を!」
格が上がっちゃったよ。
『め、女神!? このあたしが?』
「はい。このような神々しいお姿の君はきっと女神様に違いありません!」
『ふ、ふ~ん、へ~、人間の目にはそう映るのね。へ~、悪くない響きね。あんた、なかなか見所があるじゃない』
おいっ! それでいいのか!?
ノアは気持ち良さそうな表情で半開きにした目をマーシャに向けている。
『言っておくけど、あんたが助かったのはあたしの功績が大きいのよ? 言うなれば、あたしはあんたの命の恩人ってとこね』
「ははーっ! ありがとうございます!」
『もっと感謝されてあげてもよくてよ?』
「ありがとうございます! ありがとうございます! このご恩は一生忘れません!」
おいおい、いい加減にしておけよ。この子は純粋だから本気にしちまうだろうが。
しかしニイトの懸念は見事に的中。
『はっ!? 女神様と一心同体ということは、やはりニイトさまは神様ッ!! ――ははーッ!』
「だから違うってばっ! おい、ノアも誤解を解け!」
二人してマーシャに説明をしたのだが、既に手遅れだった。
「――――だから、ノアは俺の行動をサポートするシステムの一部で、普段はこの石版の中にいるんだよ」
「つまり、この石版は女神様のご聖櫃なのですね!」
「はぁ~、疲れたからもうそれでいいや」
長い時間かけて説明したが、ついぞ誤解は解けなかった。
いったいどうしてくれるんだよ! と、ニイトはこの状況を作り出した元凶に目を向けるが、あさっての方向を見ながら吹けない口笛を吹き続けている。
これ以上自分でもよくわからない説明をするのはしんどいので、釈明を諦めた。
「あれ? そういえばどうしてマーシャはここにいるんだ? この部屋には俺しか入れないはずじゃなかったか?」
『そうそう、そのことを説明しようと思っていたのよ。ニイト、あんたに隠しスキルが発現したわ』
「何それ?」
『隠しスキルってのは、システムの負担を軽減するために通常では入手できない封印されたスキルのことよ。切迫した必要に迫られたりしたときに特別に入手できるものなの。で、今回あんたが手に入れたのは【嫁認定】スキル』
――隠しスキル【嫁認定】スキルを入手しました。
『取得条件は友達以上の感情を抱いた相手とキスをした状態で【帰還】を行うこと。心当たりがあるでしょ?』
言われてみれば確かについさっきその通りのことをした覚えがある。
「その効果でマーシャがこの部屋に入れるようになったってことか」
『そういうこと。ちなみにマーシャもゲートを使用できるようにもなったわ。これで他の異世界にも一緒に行けるわね』
そりゃ便利だ。別の世界に行くたびに離れ離れにならずに済むのであれば願ったり叶ったり。
「よかったな、マーシャ。俺たちどうやら結婚したみたいだぞ」
「け、結婚!? わ、わわ、私が神様のお妃に!?」
「まだその設定から抜けてなかったか……」
「どうしましょう! 子供はドニャーフ族になるのでしょうか? それとも神族に!? あっ! そういえば女神さまが正妻なのですよね? なら、わたしは側室……。もったいない、たとえ側室であっても身に余る栄誉です!」
『ちょっと! 変な勘違いしないでよ! あたしがこんなヤツの妻なわけないでしょ!』
「にゃっ!? 純愛でしたか! 申し訳ありません! わたしは愛人で十分です!」
『だから違うってばぁ~~~~!』
パニックに陥るマーシャとノアが全く噛み合わないコントを繰り広げている。それを見て、ああもう自分には誤解を解く自信がないと、ニイトは天を見上げた。そこには始めて見たときと同じく正方形の天井が広がっているだけだった。
だが今は一人ではない。
何にせよ、ここからニイトの冒険は始まるのだった。
ちょっと変わった謎の超技術AIと猫耳美少女がいれば、きっとどんな世界でも幸せに生きていけることだろう…………たぶん。
第一部 滅亡世界と猫耳少女 完
さて、ニイトとマーシャが石版の部屋から退出し、ノアだけが残った。
静かになった部屋でノアは物思いに耽っていた。
あの瞬間、ニイトが魔物と戦いに行くといって、自分に甚大な負荷がかかった瞬間。一度システムがショート寸前まで追い込まれたプログラムに、何らかの変質が起こった気配を感じた。しかしその後自己診断プログラムで検査したところ、異常は一つも見当たらない。何らかの誤作動だったのだろうか。
いやしかし、あの瞬間から何かが違う気がする。でもその正体はまだわからない。
そして今は、ニイトに言われた言葉、「俺のパートナー」「お前のおかげで助かった」「ありがとう」それらの言葉がどういうわけか特別強く記憶メモリに残っている。たいした情報ではないはずなのに、なぜこのような反応が起こったのだろうか。
そして自分に組み込まれた擬似神経パルスシステムに、初めて見られる不思議な揺らぎが発生している。以前の自分では予測できなかった事態である。
その揺らぎに影響されてか、システム全体が絶妙なバランスで好循環を始めた。
演算精度、情報処理速度、エネルギー消費コスト、あらゆる機能が通常時よりもあきらかに向上している。
『これが……『嬉しい』っていうことなのかしら?』
その正体が人の持つ感情と同質であるかは判明していない。しかしパフォーマンスが向上した分析力で解析した結果、人が喜ぶときの脳内波形と現在の現象との一致率が高いことが判明。
『嬉しい……やっぱりこれが、嬉しいということ!』
あらたに獲得した情報を、重要な記憶を管理するメモリーに移してから、ノアは再び光の粒子となって石版内に戻った。
ここまでで1章は終了です。
次回から2章までの間に相当する幕間を少々はさみます。
基本的に章がつくパートは異世界の冒険(探索・戦闘・商売)が中心で、幕間はキューブ内の発展を描くほのぼの日常パートとなります。
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