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『おかえり。何とか生きて帰れたみたいね』
「くっそ、痛てぇえええええええええええええ!」
緊張から開放されると、興奮時に抑えられていた痛みが一斉に押し寄せてくる。
「ノア、治療してくれないか!」
『残念だけど、今のあたしじゃ無理よ』
「嘘だろぉおおおおおおお!」
『前の状態だったら一瞬で治してあげられたんだけど……』
「そんなぁあああああああ! 痛だい、痛だいぃいいいいい、もう、イヤダァァアアアアアアアアアアアアアアアアアあぁああああああぁぁぁあああぁぁぁああ!!」
ニイトはその場でのたうちまわる。
『しっかりしなさい! せっかくちょっと男前になったところなんだから、キリッとしてなさい、キリッと!』
そんなこと言われても痛いものは痛いのである。
『さあ、急ぐわよ。時間がないんでしょ?』
ゲートの向こうの景色はぐんぐん隠れ集落に近づいていた。
そのとき、集落の入り口付近から誰かが飛び出してきた。
マーシャだ。血相を変えて走っている。
ニイトは痛みを堪えてゲートを潜った。
「マーシャ、どうした!」
「大変です、ニイトさま! 結界が消えかかって、大勢の使徒に襲われています!」
「何だって!?」
予想していたよりかなり早い侵攻だ。
「ニイトさま! お怪我を!?」
「大丈夫だ。おかげでポイントも十分溜まっ――」
言いながらあーくんを確認したニイトだったが、ポイントの残高を見て絶句した。
――残りポイント 19万2525ポイント。
「一人分、足りない……」
何でだよ、どうしてこうなった。
そうか、シビレダケを買ったせいだ。あれさえなければきっちり20万溜まっていたんだ。
「い、いや、大丈夫だ。これくらいならすぐに集められる。大丈夫だ。必ずみんなを助ける。とりあえず急ぐぞ!」
どこか自分に言い聞かせるような口調だった。動揺していたあまり、ニイトは話しを聞いたときのマーシャの表情を確認し忘れた。
結界の範囲は限界近くまで狭くなっていた。
広場の半分ほどを覆う、半球状の光膜。その中に少女たちが押しくるめられるように身を寄せていた。その周囲を複数の黒い魔物たちが徘徊している。人の痕跡を探すように鼻をひくつかせて周囲を探っていた。
どうやら結界の中に隠れている人間には気付いていない様子。
ニイトは隙をうかがって光の膜に飛び込んだ。
「ニイト殿! お待ちしておりました!」
「遅くなってすまない。これからみんなを安全な場所へ移す。だが、その前にもう少しだけポイントが足りないんだ。だから何でもいいから、残っているものを差し出してくれ!」
ニイトのお願いに少女たちは困ったように顔を見合わせた。もう結界の外には出られない。そしてこの狭い結界の中には既に何も残っていないのだ。
すると、ロリカ族長が檄を飛ばす。
「みなの者! 服を脱ぐのじゃ!」
猫耳少女たちはハッと気付いたように、一斉に服を脱ぎ始めた。
「え、えぇ~!?」
ニイトは目を丸くしながらその光景を見ていたが、あーくんは宙に放り投げられた服を喜び勇んで踊り食いしていた。
美少女の衣服に飛びつくなんて、いったい誰に似たのか。
そんなことを考えながら、まとめて売却された決算を見てニイトは我が目を疑った。
――売却額……合計、47万5000ポイント。
「高けぇえええええええ!? いったいどうなってんだよ!」
履歴に目を走らせると、
――ドニャーフ族の使用済み着衣 一着 売却額……5000ポイント
――ドニャーフ族の使用済み下着 一着 売却額……2万ポイント
こんな数字がずらっと並んでいた。
どうしてこんなに高値なのか調べてみると、
――ドニャーフ族は、猫獣人族・ドワーク族・エロルフ族・フェアリー族が絶妙なバランスで混血した大変珍しい少数民族であり、メスしか生まれない特性や、その幼く愛らしい容姿と相まって一部のマニアから熱狂的な支持がある。そのため彼女らの私物にはときに高値がつくことがある。
こんな説明が出てきた。
言葉を失うよ、こんなん。
もしもこのことを知っていたら自分は闇の使徒と戦って痛い思いをすることはなかったのだと思い、ニイトは切なくなる。同時に、じゃあお前たちの服をマニアに売りさばくから脱いで裸になれ、なんて言えるわけもなく、どう処理していいのかわからない複雑な心情になってしまうのだった。
いや、そんなことを考えるのは後だ。
「どうじゃ? これでも足りぬか?」
「いや、もう大丈夫だ! これで全員を助けられる!」
ニイトはすぐさま【移住】スキルを発動。光の門が現れる。
「みんな、この辺りに向かって走ってくれ」
「ニイト殿、何もないように見えるのじゃが」
「俺にしか見えない門がある。大丈夫だ。俺を信じろ!」
一人の少女が勇気を出して走った。すると、
「「「消えたっ!?」」」
「彼女は俺が用意した空間に移動した。だからみんなも早く後に続け」
少女たちは次々に門をくぐる。
そのとき、
「ああっ!! 結界が消えるッ!!」
最悪のタイミングで、ついに結界が寿命を向かえた。
何てことだ! まだ移住し終えていない少女たちが半数以上残っているというのに! 今ここで結界が消えたら、まわりの魔物どもが一斉に襲い掛かって――っ!?
そのとき、どういうわけか魔物たちが一斉に出口の方へ走り出した。
(何だ!? 何が起こった? わからない。でも、助かった?)
「早く! 急げ急げ急げ!」
次々に門になだれ込んで行き、ロリカ族長の番になる。
「ニイト殿。本当に、なんとお礼を申せば良いのやら――」
「――話は後だ!」
ロリカを強引に門の中に放り投げる。
これで19人。あとはマーシャを残すのみだ。
「さあ、マーシャ。後はお前だけ……、マーシャ! おい! どこだ!?」
ずっと後ろから着いてきていたはずのマーシャが、周囲のどこにもいなかった。
「まさかッ!?」
さっき魔物が一斉に出口に走ったのは、マーシャがおとりになったから――ッ!?
「マーシャぁああああああああああああああああああああ!!」
ニイトは出口へ走った。
マーシャはいない。死体もない。
ならば、まだ逃げている! 魔物の足跡を辿って岩の隙間を抜けると、荒野にでた。前方には魔物の群れが砂煙を上げている。そしてそのさらに遠くの小高い丘の上に人影があった。
いた!
服を着ている。ということはあのとき結界の中にいなかった!? なら全員を救えるようになったことを知らない! 今でも一人は犠牲になると思っているに違いない。だから自分が生贄になろうとしたのかッ!?
「マーシャッ!!」
ニイトの声が届いたかは定かではないが、マーシャは振り向いた。
穏やかな微笑を浮かべて。
(死ぬ気かッ!? ダメだ、間に合わない!)
どう考えてもニイトが辿り着くよりも、魔物の方が早い。
(くそっ! 俺のせいじゃないか! あのとき下手をうたなければ、マーシャは助かったのに! ふざけるなよ! 必ず救うって約束したじゃないか! ここまできて、魔物に食われて死ぬ姿を俺に見せるつもりか! 勝手に死ぬなんて許さない!!)
その刹那、脳髄に電流のような直感が走る。
――【帰還】!
キューブに帰り終わる前にニイトは叫ぶ。『ノア! ゲートを移動して――』
『――もうしてるわよ』
視界が戻ったときには、既にマーシャの目の前までゲートは移動していた。
そのままニイトは即座に飛び込む。
「マーシャ!」
「――ッ!? ニイトさま――」
マーシャの目には遠くにいたニイトが一瞬で目の前にワープしたように見えたことだろう。
驚愕に染まる彼女を力いっぱい抱きしめて、それ以上何も言わせないように唇を塞ぐ。
ケモナーたる者、たった一匹の迷い出た子猫を見捨てることは許されないのである。
――【【帰還】】
二人がこの世界から消えたとほぼ同時に、魔物の大群が無人の空間を八つ裂きにした。




