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第7章 前半
めでたく王立魔法学院迷宮科に入学できたニイト、マーシャ、アンナ、オリヴィアの四人は、迷宮の基礎知識を学ぶ授業を受けていた。
迷宮科に入学できたとはいえ、すぐに迷宮に挑戦することはできない。座学の授業で知識を身に付け、実技で戦闘技術やトラップの対処などを学んだ後に、ようやく迷宮探索の経験がある先輩の付き添いのもとで初めて挑戦が許されるのだ。
メイガルド中から集められたエリートの卵ですら準備に準備を重ねて挑む迷宮は、それほど危険に満ちている証左だった。
本日の講師はローラだった。身長140センチ前後しかない小柄な身なりではあるが、ゴーレムの複数召喚による物量作戦を得意とする猛者でもある。
実力社会の魔法学院では、容姿が幼かろうと甘く見られることはない。生徒たちは真剣な様子で授業に耳を傾けていた。
「この授業は新たな編入生が受講するクラスですので、まずは迷宮の基礎のおさらいから始めます」
地方の学院とは違い、講義室には一人ずつ座席が用意されていた。大学の講堂のように低い位置に講壇があって、それを取り囲むように扇状に並んだ長机が階段状に配置されている。さすがは王都というべきか、金がかけられている。
「迷宮の起源や全容については未だに明らかになっておらず、わからないことだらけです。しかし幾つかわかっていることもあります。第一に、迷宮はこの世界とは別の次元に存在します。みなさんの中にはゲートから地下に潜っていく先輩探索者の姿を城壁の上から見たことのある人もいると思いますが、実際は地下ではなく、別の空間に転移しているようです」
これは実際に見たので、ニイトに異論はない。
「第二に、迷宮内はいくつかの階層に分かれています。迷宮の入り口を潜るとすぐに最初のエリアが現れますが、そこはおよそ1km2くらいの広さの空間です。これを1層目とするか0層目とするかは意見が分かれるところですが、最新の研究では0層説が有力なので、ここでは便宜上0層目として話しを進めます」
ニイトは、あの荒廃した広場の記憶を思い出す。正確に測定したわけではないが、そのくらいの広さだとしても不思議ではない。
「そして0層からさらに下層へと続くゲートをくぐるとすぐに1層目には行けず、中間層と呼ばれる迷路じみた空間存在します。中間層を抜けると今度こそ1層目に辿り着きます。そして1層目から2層目の間にもやはり中間層があります。つまり層と層の間には必ず中間層が存在するというわけです」
一人の生徒が挙手した。
「通常の階層と中間層の違いは何ですか?」
「階層はそれ自体が一つの広々とした空間になっています。しかも階層ごとに環境が違うので、全く異なる生態系が広がっています。しかし中間層はどの階層の間のものであっても、概ね似たような構造をしています。小さな部屋を連結した迷路のような空間と言えばわかりやすいでしょうか。この中間層は死角やトラップも多く、迷宮内でもっとも危険が多い場所だと覚えておいてください」
フライング気味に内部の様子を知ったニイトは、確かに迷路のようだったと思い出す。なるほど、全ての中間層があのような迷路状に入り組んでいるとなると、探索にはかなりの時間を要することになるだろう。しかもモンスターがうじゃうじゃしていたし。
「そして第三に、迷宮は階層が深くなるほど面積も広くなっていくようです。先ほど0層を1km2くらいの広さだと言いましたが、1層はその9倍ほどの面積があります。さらに2層になると、正確ではありませんが0層の25倍ほどの面積になるという調査結果があります」
0層が1で、1層が9? その次の層が25ということは……。
「ならば3層は49倍ってことかな?」
ニイトがぽつりと呟くと、一斉に視線が集中した。
「しょの通りわよニイト――んんっ! いえ、その通りですよ、ニイトさん。よくわかりましたね」
なぜかニイトに対してだけは若干挙動不審気味になるローラ。
「どうしてわかったんだ?」
前に座っていた少年が振り返って訊いてきたので答える。
「数字に法則性が見えたからな。0層は1×1で1。1層は3×3で9。2層は5×5=25となると、3層は7×7で49になるだろ?」
「なるほど! 言われてみれば確かにその通りだ」
おおお、と教室が沸いた。
「彼の解説どおり、どうやら迷宮は規則的に拡張しているようなのです。その広がり方の特徴から『ピラミッド型拡張説』と呼ばれています」
ざわめいてた教室が一瞬にして静まり返る。全員が共通の疑問を抱いたのだ。
「先生、迷宮は何層まであるのでしょうか?」
代表して一人の生徒が尋ねる。が、
「判明していません。現在の最高到達領域は4層の半ばまでです。それも、20年以上前の話です」
それを聞いて教室は凍りついた。
たったの4層。多くの犠牲者を出し、何百年もかけて人類が挑んだ結果が、たったの4層でしかない。
「オレ、もうすぐ最下層に辿り着けるって噂を聞いたんだが」
「私は迷宮の底で永久機関を見つけたって聞いたわよ?」
「え? 迷宮の出口は地上に繋がっているんじゃなかったのか!?」
生徒たちは互いに顔を見合わせて、錯綜する情報に混乱を深めた。
「みなさんが混乱するのも無理のないことです。学院の外では様々な噂や憶測が一人歩きしていますので、王立学院に入学するまでは情報の精査が難しいのです。私も始めは驚きましたが、不正確な思い込みはきっぱり捨てないと足元を掬われかねません。それと、念を押しておきますが、迷宮に関する情報には守秘義務が課せられますので、口を滑らせて一般人に口外しませんように。発覚したら罰金では済みませんので、くれぐれもご注意を」
迷宮の情報は意図的に秘匿されている。それは人類が置かれている絶望的な状況を認識して民衆がパニックを起こさないための配慮からだ。
かつての魔道戦争によって深い水の底に作られたこのシェルター都市メイガルドに避難した一部の人類。しかし水中の怪物が生まれたせいで閉じ込められてしまい、地上に帰還することができなくなった。
僅かな資源で生を繋いできた数千年。魔法技術の発展によって極限までリサイクルする術を身につけたが、100%の再利用は不可能だった。どうしても数パーセントは消失してしまい、徐々に資源も減ってきている。
希望はいつからあるのかもわからない謎の迷宮だけだ。
迷宮から資源を持ち帰ることで、人類はこの閉塞した世界で延命を続けている。しかし、それでも資源の消失スピードには追いつかない。真綿で首を絞められていくかのように、目に見えない人類の破滅はゆっくりと着実に迫っていた。
それゆえに希望である迷宮の探索が芳しくないことを知られるわけには行かないのである。
民衆は精神の強い人間ばかりではない。中にはパニックを起こして発狂する人や、自暴自棄になって自害する人も出てくるかもしれない。それでは困る。
たとえどんな小さな人間であっても、多少性格に問題があろうとも、一人たりとも失うわけにはいかなかった。頭のおかしい人でも天才的な発明を行うかもしれない。身体の不自由な人でも、その子供が英雄になるかもしれない。
生きてさえいれば、何かしらの可能性は残る。生きてさえいれば。
そういうわけで、絶望を覆い隠すために自然発生的に、あるいは意図的に迷宮に対するポジティブな噂が流される。ここにいるエリート生徒たちも今日までそれを信じていたわけだ。
「まあでも、全てが全く根も葉もない嘘というわけでもありません。迷宮の下層からは外の世界に生息している植物の種らしきものが発見されてますし、魔力を永久にリサイクルし続ける永久機関についても実際に研究が進められています」
「「「おおお!」」」
生徒たちは息を吹き返した。
「さてと、それじゃこれから一番重要なことを説明するわよ」
ローラが一息つくと、生徒たちは授業に集中した。突然のことに戸惑ったのは一瞬で、すぐに切り替えができた。それも迷宮探索に必要な資質かもしれない。
「迷宮は定期的に地形が大幅に変化する『大転動』と呼ばれる現象が起こります。探索者の間では隠語のように『アレ』とも呼ばれますね。それが起こると空間が数メートルほどのブロックに分かれて、ランダムに配置換えが行われるのです。この現象のせいでそれまでに把握したマップが役に立たなくなります」
「ニイトさま。今の話って」
「ああ」
横の席に座ったマーシャが小声で話す。
以前、キューブの石版モニターからローラたちの探索を見ていたときの会話を思い出す。あのときの不自然な会話の正体がようやく判明したのだ。
「その『大転動』というのはどのくらいの周期で起こるのですか?」
「はっきりとは解明されていないので断言はできませんが、階層によって異なるようです。0層はおよそ10日前後。1層はおよそ30日前後で起こると言われていますが、2層では50日前後のようです。しかしこれ以外のタイミングで起こることも多いです」
「完全にランダムと言うことですか?」
「おそらくは何らかの法則があると思われますが、詳しくはわかっていません」
絶えず地形が変化するダンジョン。それは確かに厄介だ。何百年かけても下層に辿り着けないのにも納得だ。
「また、『大転動』によって地形の配置換えが起こるといいましたが、これは隣り合った階層の間でも行われます。つまり、1層と2層の間や2層と3層の間でも地形ブロックが交換されますので、2層にいながら1層や3層の地形が局所的に現れることもあります。またその際に下層のモンスターと遭遇することもあるので注意してください」
それは厄介だな。いきなり下層の強いモンスターに襲われたら混乱するだろうし、未知のモンスターだったら対策のしようがない。いや、それ以前に……。
「ひょっとして『大転動』に巻き込まれると、下層に流されることがあるのでしょうか?」
ニイトは、全員が感じた疑問を代弁して質問した。
「その通りでです――んんっ! 統計的には5%くらいの確率で階層を移動してしまいます。マップもリセットされた階層のどこかにランダムで放り出されるので、そうなってしまったら生還することを最優先に行動して下さい。また『大転動』は中間層への移動もありえますので、あらかじめ覚悟しておいてください。最悪のケースでは目の前がいきなりモンスターハウスになっていて囲まれるなどということもありえます」
全員が顔を青くしていた。
「先生は、そんな状況に遭遇したことはあるのですか?」
誰かが聞くと、
「そうですね。それと似たような状況なら先日……」
そこでローラはニイトにキリッとした視線を向けた。顔が赤くなる。太ももが内向きに曲がる。
「いえ、何でもありません。では本日の授業はこれまでにします」
頬の熱を振り払うようにローラは言った。そしてその瞳が語っている。授業が終わったら残りなさいと。
しかし授業が終わった瞬間にニイトは嫁たちに目配せをし、一斉に走り出す。
「あっ! 待ちなさいニイト! こらっ! 逃げるなぁああ!」
ローラはわめきながら後を追うが、追いつくことはなかった。
捕まったら以前のことを根掘り葉掘り聞かれて面倒なので、ニイトは戦略的撤退を選択したのであった。




