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一週間後、ニイトはアダムの様子を見に行った。
「おお、ちゃんと屋根が完成してる」
「ニイトよく来ただ。おまんが教えてくれた高床蔵のおかげで、あれからネズミには一度も食われずに済んでるだ。ほんと、おまんには感謝しきれねえだよ」
「それは何よりだ。ネズミじたいはまだいるのか?」
「んだ。蔵の周りをうろちょろしてるだが、登れなくて困ってるのを何度か見ただ。実に痛快だべ」
ちゃんとに機能していることを確認できてニイトは安堵する。
「とうちゃ! あっちにでっかいネズミがいるだよ」
子供が指差した方向には、犬くらいの大きさのでかいネズミがいた。蔵の米を狙っているが、高い床とネズミ返しに阻まれて忌々しげに睨んでいた。
「あんなでかいネズミがいるんだな」
「いやぁ、あんなのはおだも初めて見ただ」
アダムが脅かしながら駆け寄っていくと、でかネズミは逃げていった。
あんなに大きな個体がいるなら、もう少し床を高くしたほうが良かったかもしれない。ま、今さら後悔してもしかたないが。
「新しく開墾した稲畑のほうはどうだ?」
「そっちのほうも順調だべ。ニイトがくれた丈夫な農具のおかげで、いつもより断然作業が早いだよ」
ならばいい。これで気がかりはほとんどなくなった。今年の米がちゃんと収穫できればアダムとの約束も果たせるだろう。
「なあ、ニイト。どうしたらおまんの作った豆みたく、大きく育つんだべか?」
「そうだな。ついでだから教えておこう。植物の生育に必要な栄養って言うものがあるんだよ。チッソ、リン、カリ……って言ってもわからないだろうから、落ち葉が降り積もって朽ちた土とか、灰や炭とか、あとは骨や貝殻を砕いて粉末にしたものとかも畑に撒くと良いぞ」
「そういや前に、畑を耕すときに稲藁をすき込むと良いって言ってただな? あれも栄養だか?」
「そうそう。稲藁とか籾殻とか、稲のからだになったものは基本的に全部有益な肥料になる。ただ、そのままだと吸収されにくいから工夫が必要だ。稲藁は分解に時間がかかるから種まきをする何ヶ月も前に混ぜる必要があるし、籾殻は燻炭にすることで吸収されやすくなり、微生物の住処になるので土壌の改良にもなる」
「おだ、米作りがこんなに奥深い仕事だったなんて知らなかっただ」
時間があれば動物の糞などを発酵させた堆肥の作り方も教えよう。
今回は時間的に間に合わなかったので、堆肥や藁のすき込みや燻炭はあーくんを使ってこっそりとサポートしておく。
「それじゃ、つぎは種籾の選別だな。畑にまくのは大きくて重い優秀な種だけだ。貧弱な種からできた苗は生育が悪いから畑のスペースが無駄になる」
アダムはしっくりこない顔つきで聞き返す。
「種籾を一粒ずつ調べてたら、時間がいくらあっても足りねえだ」
「塩水に浮かべるんだよ。小さい種や未熟な種は軽くて水に浮くからそれらをすくい取って、水の底に沈んだ重い種だけを植えるんだ」
「おお、そんな方法があるだか!」
さっそく種の選別が行われる。
そうして万事準備は整い、あとは種まきの日を迎えるのみとなった。
「それじゃあ、次は種まきのときにまた来るよ」
「おお。待ってるだ」
別れ際にニイトは思い出したように袋を取り出した。
「そうそう、それと今の痩せた畑にこれを植えとけよ」
袋の中身は四葉大豆の種だった。
「空気中の栄養を土に溜め込む効果があるから、畑の地力が回復しやすくなるはずだ。肥料と炭の粉末なんかを混ぜて植えとけ」
「……ありがてぇ、ありがてぇよ! でもさ、ニイトにはたくさん良くしてもらっただが、おだはおまんに何も返せてねぇだよ」
アダムは情けなさそうに視線を下ろした。
「気にするなって。米を分けてくれただろ? あれは俺にとってそれだけ大事なものだったんだよ。だからこれはそのお礼だ。対価は十分に貰っているさ。それに俺とてあの子たちが飢える姿は見たくない。もしもお前が俺から好意を受け過ぎだと考えるなら、貰いすぎた分はあの子たちに注いでやれ。そうしたらあの子たちはそのまた次の子供たちに好意を流すだろう。そうすれば最初の好意は世代を超えてずっと生き続けると思わないか?」
するとアダムは涙ぐんで毛むくじゃらな目元を擦った。
なぜか傍で聞いていたマーシャも猫のように丸めた両手で涙を拭っていた。なぜお前まで泣く? てか、これ泣くほどの話か?
ニイトは照れ隠しでアダムの背中を叩いてから村を後にした。
チラっと村人を見たときにカインの姿を確認できた。
しかしやや元気がなさそうで心配だ。大丈夫だろうか……。
◇
迎えた種まきの日。
陸稲を栽培するのは初めてのことなので、ニイトは汚れても良い作業着を着込んで村へ向かった。
だが、村に到着すると一転して険しい表情になる。
「ニイトさま、村が荒れています!」
家の柱は倒れ、屋根は倒壊。地面には争ったような痕跡と無数の小さな足跡。
そして大量に落ちているネズミの死骸。
「アダム! 何があった!?」
村人らが高床式倉庫によじ登っていた。幾人かは倉庫の中に入り、それでもスペースが足りないから身軽な子供が屋根に登っている有様だった。
なぜそんなところにいるのか。その答えは周囲を取り囲む無数のネズミだった。いつかみた犬のように大きなネズミが何匹もいる。そしてその中央に身の丈2メートルはありそうな巨大なボスネズミが鎮座している。
その巨体が何かを掴んでいる。
あれは、子供だ。
「ニイトさま、あれはカインくんです!」
「何っ!?」
目の良いマーシャが確認したところ、血を流しているがまだ息はある。
「ちきしょう! おだの子供を返すだ!」
激情に駆られた形相のアダムが農具を握って巨大ネズミに飛び掛る。しかしその巨体と鋼のような体毛に弾き返された。
頭を地面に打ちつけたアダムは呻きながら転がる。そこに小型のネズミが一斉に群がって噛み付く。
「痛でぇえええ! このネズミどもがぁ!」
ニイトはすぐさま駆け出して助けに行く。
その間もネズミの猛攻は続いた。大きなネズミたちは高床倉庫の足に体当たりを繰り返して、屋根に登った子供を振り落とそうとしている。
「やめるだぁああああ! おだの子供に、手ぇ出すなぁあああ!」
からだを無数のネズミに噛みつかれながらも、アダムは戦う。クワを振り回してデカネズミをぶっ叩く。
だが多勢に無勢ではどうしようもない。
小ネズミに加えてデカネズミにも群がられて押さえ込まれる。
「「「とうちゃん!」」」
「ちきしょう! 米だ! 米を投げ捨てるだ! こいつらの狙いは米だべ!」
「でもとうちゃん、この米がなぐなったら……」
「かまわねぇだ。米よりも、おまんらのほうが大事だべ!」
すぐに蔵の上から米の雨が降った。
アダムを襲っていたネズミたちは群がるように米に向かう。
その隙にアダムはボスネズミに近づき、渾身の一振りを叩き込む。
上空から振る米に夢中になっていた巨大ネズミはその一撃を防げず、腕を攻撃された拍子に掴んでいた子供を手放す。
アダムは子供を抱きかかえて身を屈めた。
すぐに怒り狂った巨大ネズミの豪腕がアダムを子供もろとも殴り飛ばした。
なおも突進して止めを刺そうと腕を振りかぶったボスネズミ。巨腕が振り下ろされると、ガンッ! と硬質な音が響いた。
寸でのところでニイトが間に合ったのである。
拾ったクワで鍔迫り合いをしたまま、前蹴りを繰り出してボスネズミを弾き飛ばす。
「すまない、アダム。助けに来るのが遅れた」
だが、アダムはえづいたまま返事をしない。
全身の傷口から伝わる痛みによるものではない。その胸に抱かれた、だらりと動かなくなった我が子によってだ。
「ぁぁああっ、動いてぐれぇ! 頼む、返事をしてくれカイン!」
しかしどんなに大声で投げかけても、もはやカインには届かなかった。
「カインぅんんんぅあぁあああぁぁぁあああ!」
天に顔を向けながら、アダムは行き場のない感情を慟哭に乗せた。




