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おまたせしました。
第6章 至高の米を求めて。
さて、これはニイトらが魔法世界へ行ってから二ヶ月ほど経った頃の話であった。かの世界の異常な飯マズのせいか、食の大事さを改めて認識したニイトはどうにも満たされない想いを抱えていた。
「ノア、何かが足りないと思わないか?」
『足りないことだらけで数え切れないわ。しいて言うなら、あんたの頭かしら』
「そうじゃねーよ! 米だよ、米! あい変らず口の悪いヤツだこと」
『むしろそれって長所じゃない? 可愛い美少女に罵倒されたい欲求で健全な男の子なら誰しもが持っていることよ。可愛ければ何をしても許される風潮ってあるじゃない』
まったくこのシステムは人の精神活動を分析してから最近調子に乗っているんじゃなかろうか。どこかで予測を裏切ることをしてギャフンと言わせてやりたい。
それはそうと、ドニャーフ村が順調に発展して食文化も充実してきた。数種類の麦をブレンドした小麦粉は村の名物となり日々の主食として活躍している。他にも数は少ないがトウモロコシの粉で作った平焼きパンのようなものもときどき食される。
がしかし、日本で生まれ育ったニイトにはどうしても食べたりない物があった。
それが米である。
こう何ヶ月も米を食べない生活をしていると、そろそろ禁断症状が出てきそうだ。
小麦粉を小さく米の形にちねったりもしたのだが、茹でてドロドロになってしまったときには数時間の作業が無駄になったと肩を落としたものだ。
そのうち虫の卵やうじ虫の群れがだんだん米粒に見えてきたときには、さすがにニイトも危機感を覚えた。
「そろそろ米を食べないと精神が持たないんだよ」
『稲は高いわよ? それでもいいならリストを出すけど』
「いや、どうせなら米も自作したい。だから次の世界は良質な稲を入手できる世界に行きたいんだ」
『他にも優先すべきことがあると思うけど……わかったわ。検索してみる』
ノアはしぶしぶ応じてくれた。
『一件あるわ』
「おお! 以前は出なかったのに」
『あたしの成長によって検索レベルが上がったのよ』
「やるじゃないか。見直したぞ」
『ふ、ふんっ。当然じゃないっ』
誇らしげなノアに見送られつつ、さっそく新たな異世界へ向かう。
お店が忙しいアンナとオリヴィアはお休みしてもらい、久々にマーシャと二人での旅になる。
「よし、いくぞマーシャ」
「はいっ、どこまでもお供します」
二人はゲートを潜った。
◇
新たな異世界は、実に平凡な世界だった。
瘴気に満ちた暗雲が満ちているわけでもなく、巨大な虫や凶暴な植物が襲ってくるわけでもなく、水中に沈んでいるわけでもない。
陽気な太陽が昇り、空気も澄んでいて、程よく自然環境がある。
まさに普通。
だが、様々な世界を旅してきたニイトにとってはその普通こそが逆に尊いものに映った。
「どうやら安全な世界のようだ。近くに生き物はいるか?」
マーシャが猫耳を立てて周囲を警戒する。
「いえ。虫や小動物はちらほらいますけど、大型の猛獣の類は見当たりません」
索敵が済んだら、あーくんで土壌や生物の調査を始める。
「汚染はしていない普通の土だな。植物も異常なし」
珍しくどこにも問題の見当たらない安全な世界だった。
「少し歩いてみよう。人がいるかもしれない」
道なき道を進むこと数時間。
「見てください。あそこに何かが倒れています」
草絨毯の上に、筋肉質で毛むくじゃらの生き物が伏していた。
「息はあるみたいだな。寝ているのか? いや、気絶しているようだ」
ゴリラのように全身が黒い毛で覆われているが、手足があって指も五本ある。植物の葉を綴った腰蓑を巻いている当たり、手先は器用なようだ。てか、ひょっとして異様に毛深い人間か!?
「おい、あんた! 大丈夫か?」
遠目から声をかけてみると、男の呻き声が聞こえる。
「~~み、みずぅ~~」
言葉を話すと言うことはやはり人間。
ニイトは男を引きずって木陰に移すと、【購入】した飲み水を飲ませた。
数十分経過した頃に男が意識を取り戻す。
「おまんらが、おだを助けてくれただか?」
「一応そうなるな」
「おお、ありがてぇ! おまんはおだの命の恩人だ。おだはアダム。おまんらは何と言うだ?」
「俺はニイト。こっちはマーシャだ」
アダムは非常に体毛の濃い男だった。歴史の教科書でみた猿人類や原始人の名称がよく似合うほどに。
「で、アダムはどうしてこんなところで行き倒れていたんだよ」
「おお、じつは、おだの村の米がネズミに食われちまってよ! ほんで今年の苗分が足らんから困っただ。んで、食い扶持困って食べ物さ探しに村を出たんだけんども、のどさ渇いて、頭もくらくらしてきて、動けなくなっちまっただよ」
「なるほど。脱水症状か。いや、それより今、米って言ったか!?」
訛りが酷くて聞き取りづらい言葉の中で、その単語だけが鈴音のように透き通って耳に入った。
「おまんら米さ知ってるだか?」
「ああもちろん知ってるさ。何せ、俺たちはその米を探しに来たんだから」
「そりゃ、不思議なやっちゃな。米は神さまがおだに授けて下さった慈悲だべさ。なしておまんらが米のこと知ってるだ?」
アダムの言いぶりだと米は特殊な食べ物みたいだ。
「風の噂で米という食べ物の存在を知ってな。一度食べてみたいと思ったんだよ。それより神に授けられた慈悲ってどういうことだ?」
するとアダムはばつが悪そうに俯いたが、やがてゆっくりと語りだす。
「おまんらはおだの恩人だから話すけんども、じつはおだ、過去に神さまの言い付けを破っちまったんだ。そんでおだは祝福を外されて、神さまの元から離れなぐてはいけんくなって、外の世界さ放り出されただよ。うぅぅ……」
いきなり泣きはじめるアダム。
困惑して横を見たニイトは、更に困惑する。
「かわいそうですぅ……。神さまと離れなければならないなんて、耐え難い苦しみですぅ。もしもわたしがニイトさまと引き離されたら、とても生きてはいけません」
マーシャがもらい泣きしていた。というか号泣の一歩手前まで来てる。こんなに悲しそうなマーシャは初めて見た。それとさり気なく神扱いするのやめて下さい切実に。
「おぉぉ、マーシャといったがの? おだの気持ちさ、わかってぐれるか」
「はい……。とても辛かったでしょう。きっと世の中で一番悲しいことですから」
マーシャはアダムの毛むくじゃらな手を両手で包み込んで優しい言葉をかけた。
ニイトは、そんな大げさなと思ったが、二人が意気投合しているのを見ると自分の感覚の方ががおかしいのかと錯覚する。多数決の罠というやつだ。自分が少数派だと多数派のほうが正しく見えるという厄介な現象である。
ま、しかし、マーシャがそれだけ自分の傍に居たいと切に願っていると解釈すれば、それはとても喜ばしいことにも思えるので一概に否定はできないところが難しい。
「それで、お米とはどんな関係があるんだ?」
「んだ、おだが神さまの元を離れるときに、これを持っていけと稲藁をわだされたんだ。これを何年も食べ続けだら、いつかまた祝福さ受けられるようになるだて。そんでもう一度御国に入れるんだべさ」
いまいち話が飲み込めないが、お米があるのなら少し分けてもらいたいところ。そのためにできることは何だろうか。
「ニイトさま、どうかアダムさんを助けてあげて下さい。わたしにはとても他人事には思えないのです」
「そりゃあ、構わないけど……」
「おお! おだを助けてくれるだか!?」
そのときニイトはひらめいた。助けてあげるからお礼にお米を少し分けてくれと言えばいいじゃないか。マーシャ、ナイスアシストだ。
「助けるって、何をすればいいんだ?」
「冬越しのための食料を集めるだ。今年は米が十分に植わんねーから、今がら集めねぇと間に合わねぇだ」
「てか、今の季節って?」
「冬が過ぎたばかりだべさ」
2~3月くらいだろうか。冬が終わったばかりなのに、もう来年の冬に備えないといけないのか。かなり厳しい食料事情のようだ。
「それじゃ、あと30~40日で米の種まきを始めなきゃいけないのかな?」
「んだんだ。それまでに足りねぇぶんの食いもんを探さねぇど」
ニイトは少し考えてからヒエやアワなどの雑穀を【購入】してさり気なくアダムに渡す。
「なあアダム。良かったらこれを貰ってくれないか?」
麻袋に詰めたそれらを差し出すと、毛むくじゃらは驚いたように袋の中身を覗き込んだ。
「こいつは、ヒエとアワじゃねぇでか?」
「知ってるのか?」
「もちろんだべさ。米と一緒によく生えてくるだ。しっかし、なしてこの季節にこないたくさん持ってるだ?」
「去年豊作だったから余ったものを持ち歩いていたんだよ。食料に困っているみたいだから、これを足しにしてくれ。他にも余った種が幾つかあるから、希望があれば可能な限り譲ろう」
「おまんさん……!? なんちゅうお人好しなんだべさ! おだの命を助けただけでなく、村の命まで助けてくれるだか!」
アダムはガバッとニイトに抱きついた。髭がゴワゴワして痛い。
「おい、やめろ。俺は男に抱きつかれて喜ぶ趣味はない」
「えっ!? そうだったのですか!?」
「えっ!?」
なぜか驚くマーシャ。その反応に驚くニイト。
妙な空気が流れたがアダムが吹っ切る。
「んでば、おだはニイトに貰った種を村に持ち帰るだ。おまんらも一緒に来ないだか? おだの命の恩人だて、家族に紹介いてえ」
アダムの誘いに乗って、ニイトは村まで帯同することにした。




