5-23
ニイトたちはキューブから迷宮の様子を鑑賞している。
大型スクリーンの視点はローラの斜め後ろから見た景色を映し出す。まるで主人公の背面を映すゲーム画面のようだ。
迷宮の穴は真っ黒な水面のように僅かに揺れていた。パーティーメンバーが一人ずつ、池に飛び込むように入水していく。
ローラも飛び込むと、視界が一瞬ぼやけて、水中に潜ったような着水音が広がった。
「あれ? 音も聞こえるようになったんだ。臨場感があっていいな」
『成長したのよ。言っておくけど、あんたのセリフもまる聞こえなんだから、下手なことは言わないようにすることね』
「それはそれで嫌な感じだなぁ……」
すぐに水の底が抜けたように浮遊感を取り戻してローラは着地する。周囲は石造りの建物の屋上のような様相だった。ところどころ神殿のような石柱が等間隔で立ち並んでいる。
上を見上げると、入ってきた円形の穴に沿って水の膜のようなものが浮遊していた。この薄い水膜が迷宮の門。外の世界からは真っ黒な水溜りにしか見えなかったが、内側からは光を透過していて、水中から波打つ水面を見上げているようで意外と綺麗だ。
水面からは幾つもの階段が円周に沿って繋がっていて、帰るときはこの階段を登って水面を乗り越えるようだ。
迷宮の入り口となる帰還ポイントの周囲には広大な空間が広がっていた。
なだらかな斜面を降りた一行は、いよいよ迷宮内の大地を踏みしめることになる。
モニター越しにその光景を見ていたマーシャが驚く。
「地下にこんな広い空間があったのですね」
その言葉は半分正しいが、半分は正しくなかった。
「待て、上を見ると空のように抜けているぞ。あのあたりは本来城壁や街並があった場所だ」
「ホンマや! ってことは、迷宮は地下にあるわけやないってことになるわな」
おそらくノアの転移に近い仕組みによるものだろう。魔法の技術を極めればワープのようなことも可能なのかもしれない。
ローラたちは隊列を組んで迷宮内を進んだ。先頭に三人の大きな男。その後ろにローラともう一人の男が続く。
「ずいぶん寂しい場所のようだな。草木が見当たらない」
森を故郷にもつオリヴィアが率直な感想を述べる。
たしかに硬い岩盤がむき出しの荒野は土が見当たらず雑草すら生えていない。風がふけば砂塵が舞い上がるだけだ。
「どことなくわたしの故郷に似ています」
「マーシャの故郷はこのような環境だったのか!?」
「はい。瘴気によって太陽は隠れて、ほとんどの生物は死に絶えてしまいました」
「何やて? そないに過酷な世界で生きとったんか!?」
言われてみれば生命の息づかいを感じさせないこの光景は、マーシャの故郷である滅亡した世界と似ている。上空から淡い光が降り注ぐ分だけ開放感はあるのだが、彼女の世界にすらあった土がない分、干からびた印象が強く残る。
「あんさん、苦労してはったんやな?」
「でも、ニイトさまが救い出してくださいました。そして緑溢れる世界と豊かな生活を与えて頂きました」
うるうるとマーシャに見つめられるニイト。
すこぶる可愛らしいメス顔なのだが、あまりにも心酔されすぎてちょっと怖い。
そうこうしていると、モニターの向こう側で変化が起こった。
パーティーの眼前の地面が突然盛り上がったのだ。
ローラたちに警戒が走る。
現れたのは大人の背丈くらいのゴーレムだった。
表面を魔力の光が覆った二足歩行する岩の塊が、腰を回転させながら両腕を振り回す。
すぐに前衛の三人が正面にブロックを作り、ゴーレムの侵入を阻む。その間に詠唱を終えた後衛が元素魔法の一つ〈石槍〉でゴーレムの関節を貫く。
関節の間に石槍が刺さって、ゴーレムは動作不良を起こしている。その機に乗じて防御壁を張っていた前衛が攻撃に移る。槌や槍に〔変形〕させた魔力塊でゴーレムの各部を破壊した。
バラバラになって崩れるゴーレム。
胸の辺りが割れると、中には小さな魔石が心臓のように埋もれていた。
一人がそれを回収すると、ゴーレムを包んでいた魔力光が消え去って、ただの石くれに戻った。
「まだ近くに仲間がいるかもしれない。警戒は怠るなよ」
パーティーのリーダーが部隊の緊張感を引き締めて、探索は続行される。
「今日はどこまでいくのかしら?」
ローラが前を歩くリーダーの背に尋ねる。
「できれば二層までいきたい。そこまでいけなくても中間層のマッピングは済ませたいところだ」
「前回のアレっていつだったの?」
「五日前だ。まだアレが起こってから日が浅いし、未踏破地区も多いだろう。掘り出し物があるかもしれない」
二人の会話を聞いていて、ニイトは不可解な印象を得た。
迷宮は何層にも別れた構造になっていて、層と層を繋ぐ中間層が存在する。そこまではわかるのだが、問題は中間層のマッピングが済んでいないという発言だ。
もう何百年も迷宮探索を続けているはずだから、低層のマッピングが終わっていないなどということはあるまい。
そして気になる『アレ』という発言。
「ノア、どう思う?」
『考えられる可能性の中で最も自然なのは、迷宮は定期的に地形が変わるということかしら。“アレ”というのが何を指すのかはわからないけど、それが起こると未踏破地区と掘り出し物が増えて、さらに地形把握をやり直す必要が出てくると考えるのが妥当よね』
「やっぱりそう思うか」
迷宮にはニイトの想像を超えた不思議な性質があるのかもしれない。
1~2時間ほど経過した頃合で、パーティーに変化があった。
「ここだ」
迷宮に入ったときと同じく、円形の黒い池に到着した。下層への入り口なのだろう。
「ずいぶん楽に到着したな。いつもだったらスカルの群れに一度は遭遇するはずなのに」
「今日は運がいいのだろう。ツキがあるうちに進もう」
順に降りていくと景色が変わった。
今度は全方位が石壁に囲まれた広い空間だった。
四方の壁にはそれぞれ異なるドアがあり、最初から道が分かれている。
「別の班が南と東に行ったそうだ。オレたちは北へ向かおう」
ローラたちのパーティーは北のドアを潜って次の部屋に入った。
そこは同じく石壁に囲まれた空間だったが、前の大広間と比べるとだいぶ小さな部屋だった。壁には等間隔でたいまつのような火が点っている。燃料などないはずなのに燃え続けるのは魔力を糧にしているからだろう。
「どっちに行く?」
今度は前と左の二つに道が分かれている。
「左に進もう。道に迷ったら右手伝いに戻れば帰れる」
出会い頭に敵と遭遇したときに魔法を撃ちやすい左側へ進むのがメイジの習性だ。
次の部屋に入ると、今度は直進。その次の部屋は右へ曲がる道と、部屋の中央に開いた地下へ下りる穴があった。高低差がある場合は先に同じ階層を回ることが多いので右へ行く。
次の部屋はまた二股に分かれて左へ。行き止まりだったので来た道を戻って、前の分かれ道を右へ進む。
このように、一層と二層を繋ぐ中間層と呼ばれるエリアは、無数の小部屋がランダムで連結したような入り組んだ迷路になっていた。
「待って! そこの床、おかしいわ!」
ローラが床の一部に不自然な亀裂を発見した。
「私が確かめるわ。――マン・ラド」
ローラがルーンを唱えると、土の人形が現れて前方に歩いた。そして不自然な床をふんだん瞬間、足元から槍のようなトゲが突き出して人形の腹部を突き刺した。
「ニードル系の罠ね」
次に来る人のために、罠の場所を染料で色づけしておく。
迷宮にはトラップの類もある。最も簡単な判別法は身代わりを使って自爆することだが、それができない場合は専門の罠解除師を連れてくる必要がある。大抵の場合、一つのパーティーに一人はトラップの知識を持つ人を同行させている。
「先に進みましょう」
しばらく進むと、奇妙なオブジェクトを発見した。
骨を編みこんだ箱のような物体だ。
「おい見ろ、宝箱だ! 今日はついてるぜ」
「どうやらスカルの貯蔵箱のようだな。開けられるか?」
「やってみよう。……偽装系だな。トラップは鳴子のようだ。周囲に警備兵が巡回しているはずだ。警戒を頼む」
仲間の一人が解除に向かう。骨の隙間から見える内部にはたくさんの魔石が詰まっている。
骨の箱には開け口が見当たらない。こういう場合は骨の継ぎ目のどこかが外れるようになっていることが多い。
男は取り外す骨を慎重に見定める。もしも失敗したらトラップが発動し、周囲を徘徊するスカルたちをおびき寄せるだろう。
数分ほど経過したが、まだ罠は外せない。するとローラが不穏な音を拾った。
「――っ!? 遠くで足音がするわ。巡回のスカルが戻ってきたみたい!」
「一度引く! おい、戻ってこい」
骨箱に熱中している男を呼ぶが、集中しているのか動く気配がない。
「おい! 聞いているのか! ヤツらが戻ってきた!」
「待ってくれ、後少しなんだ! ほら、外れた!」
ギリギリのタイミングで骨箱が開いた。急いで中のお宝をかき出す。
「ダメだ、もう間に合わない! 行くぞ!」
「待ってくれ、まだこんなにたくさん残って――!」
欲をかいたことが仇となった。手元が狂って、外してはいけない骨のパーツを動かしてしまった。
瞬間、カラカラと骨が激しくぶつかり合う音が部屋中に響く。
「しまったッ!!」
「バカヤロウ! 逃げるぞ!」
パーティーは一目散に来た道を戻ろうとするが、
「ダメっ! こっちから無数の足音がする!」
強引に突破をして、来た道を引き返すのが理想的。だがもし敵の数が多く、狭い通路で挟み撃ちになったら? リーダーは一瞬の判断で別の道を選択する。
「くっ! マズイな。奥へ進むしかない!」
退路に敵が回りこんできたのは痛恨だった。マッピングの済んでいない道へ逃げるしかない。
三叉の分かれ道。しかしそのうち二つにはスカルの姿が見えた。
魔力の力で骨だけとなって動き続ける魔物。人の頭蓋骨のような頭部からカタカタと歯を鳴らす音が広がり、窪んだ眼窩に赤い妖光が灯る。
首から下は様々だ。カエルのような骨格で跳ねるものもいれば、ムカデのような多足で這うものもいる。頭部だけが共通して人骨に似ているのでスカルと呼ばれるのだ。
それぞれに10体近くはいる。少数であれば殲滅するところだが、数が多すぎるので同時に相手取るのは得策じゃない。
「こっちだ!」
残りの一つの道を進むしかない。後ろからはスカルの群れが走って追走してくる。
骨だらけの体ゆえに走る速度はそれほど速くはない。しかし魔力で動く体は疲れを知らずに走り続ける。
「くそう、どうなっていやがるんだ! この辺りにスカルが密集してやがる」
「1層で見かけなかったのと関係があるのかもしれない」
「どんな?」
「わからないが、今は窮地を脱することを考えるのが先だ」
走って、走って、走って。
スカルのいない道を走り続けた先に辿り着いたのは絶望的な光景だった。
「くそう! はさまれた!」
一本道の向かいからスカルの群れが押し寄せる。
「正面を突破するしかない!」
前衛三人が突進する。後ろからも軍勢が迫っている以上、時間をかけて慎重に戦う余裕はない。全力の攻撃で突破を試みる。
打撃力を高めた魔力の大剣や槌が、スカルの頭部を砕いていく。骨粉や破片と混じって魔石が飛び散るが、集めている余裕はない。
「後ろの道は塞ぐわ!」
ローラが来た道の扉を魔法の土で埋める。魔力が抜ければいずれ消えてしまうが、敵が侵入してくるまでいくばくかの時間を稼げるだろう。
「よし、突破した! 走れ!」
前衛が撃破に成功し、開いた道を突っ切る。
しかし、その先の大きな部屋には数十体ものスカルが待ち伏せていた。
「嘘……だろ、おい……」
最悪の展開だった。だが、
「諦めないで! 私が前に出るわ!」
覚悟を決めたローラが進み出た。




