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一度キューブに戻って【転送】スキルと【移住】スキルを取得。20万ポイントが一気に溶けたが、これで人や物資をキューブ内に直接移せるようになった。
そのとき、ニイトは違和感を覚えた。何かと探れば、
「あれ? こんなところに扉なんてあったっけ? それに窓もあるぞ!」
キューブには窓もドアもなかったはずなのに、いつの間にか出現していたのだ。
『あら、気付かなかったの? 注意力が低いわね』
「いつからあったんだ?」
『あんたが庭を作成したときにできたのよ。とりあえず座標はわかりやすいように正の値にしてあるから、北と東にそれぞれ扉と窓を一つずつ取り付けてあるわ。そこから庭へ出られるわよ』
「マジか。ちょっと見てくる」
空間を拡張するなんて途方もない労力がかかるのかと思いきや、ノアにとっては一瞬でできることらしい。仕事が速いことで。
ニイトがドアを開け放つと、たしかに石版のある部屋とは別世界が広がっていた。一言で言えば、
「真っ白?」
一面が弱い蛍光灯の光で照らされたような、影も形もないデジタル空間のよう。まるで何かを設計する前のニュートラルなコンピューターグラフィック画面みたいな無機質な領域が広がっている。
庭と聞いていただけに、ニイトはイメージの乖離にしばらく硬直した。
「なあ、ノア。これって本当に庭なのか?」
『ええそうよ。今はまだ何も設定していないから不自然に感じるかもしれないけど、環境や背景を設定すればそれなりに見栄えは良くなるわ』
「へー、たとえば?」
『そうね、リストを出すわ』
ニイトの前に光のディスプレイが現れる。以前、服を選んだように背景のデザイン候補が並んでいる。
「へー、石版から離れていても、ノアのシステムって使えるんだな」
『キューブ内ならどこでも使えるわよ。あと、あたしの声も届くでしょ? あんたの頭に直接音声信号を送ってるのよ』
そういえばさきほどから庭にいるのに普通にノアと会話できていたことを思い出す。
「じゃあ、これと、これと、これくらいかな?」
目ぼしい項目を選択すると、またもや光の球体が飛び出てきて、選んだ背景のイメージを球体の中に映し出す。球体を大きく広げるイメージをすれば全体像が拡大されて把握しやすい。
「よし、これに決めた」
『1万ポイントくらい使うけど、いいかしら?』
少々痛い出費だが、これからドニャーフ族たちがここに住むことを思えば、調べておかねばならないことだろうと考えてニイトは許可した。
『それじゃ、いくわよ』
ノアが合図すると真っ白いデジタル空間みたいだった領域が、コーヒーに溶けるミルクのようにぐるぐる、ぐにゃぐにゃと歪み始める。複数の絵の具が混ざったようなマーブル色の渦が辺りを包み、やがて収束する。
「おぉおおお!? 庭になった!?」
土色の地面。まばらに生えた雑草。玄関口は石畳で舗装されていて、そこから一定の間隔で地面に埋め込まれた飛び石が道を作っている。
どれもこれも本物にしか見えない。
「すげーリアルだな! 手触りも……あれ?」
生まれた景色は見た目こそリアルそのものだったが、実際に触ってみると物体を通り抜けてしまう。
『あくまで背景だから、実際に触ることはできないわ』
「何でだよ! ここにあるのに?」
『あるように見えるだけ。実際に草や石が存在しているわけではないの。もしも触れられるようにしたいなら、本物の鉱物や植物を持ってきて自分で配置するしかないわ』
「これが、偽物なんて……」
ニイトの目にはどう見ても本物の景色にしか見えない。コンピューターでは再現できないほどの小さな岩の汚れや削れ具合、僅かに虫に食われて茶色く変色した草の葉の先端。どこをどう見ても現実にしか見えない。
それほどに完璧な景色だったことが、逆に気持ち悪かった。自分が幽霊になってしまって物体を透過しているような錯覚すら覚えたからだ。恐るべきノアシステムの再現能力。
もしも現実世界に存在する膨大な情報量を全て再現したVRグラフィック技術が未来の世界に登場したら、きっと誰しもが今のニイトが感じている感覚を共有できることだろう。
「まあ、このくらいリアルな景観なら、あの子たちも満足してくれるかもしれない。そうだ! あの子たちは洞窟キノコが主食らしいんだけど、それに適した環境って作れる?」
『できるわよ。けど、キノコの栽培にはある程度の光も必要だと思うけど?』
「ヒカリゴケを一緒に栽培していたから、それで賄っているんじゃないかな?」
『なら空調と湿度の調整だけで済むから、少ないポイントでできるわ』
ノアにキノコ栽培部屋の作成を任せて、ニイトは再び荒廃した世界へ戻る。
戻ってくると、さっそく食料のモフタケを菌床とヒカリゴケごとキューブに作成した栽培部屋に【転送】する。
転送するときもあーくんが活躍した。箱の輪郭を形成する色が青く変化して、光文字による表示も【売却】から【転送】に変わった。これなら間違えて売ってしまう事故もない。
あとはノアに任せておけばおそらく品種に適した生育環境に調節してくれるはずだ。
ついでにときどき食べるという猫草のような植物も丁寧に根を掘り起こして送る。さっき作った庭の隅にでも植えつけてもらおう。
その後、残りの居住区画を回って可能な限りの資源を漁った。
現在、残りポイントは約10万。
「ダメだ。これじゃ、足りない……」
最低でも後10万はないと全員を移住させられないし、その後の生活費もかかる。一人一日500ポイントに切り詰めたとしても30万ポイントは必要。できればその倍は欲しいところ。
「ニイトさま……、生命力集めが芳しくないのでしょうか?」
「うん。正直に言うと、まだ全員を保護できるだけのポイントが集まっていない。移住の為に全てのポイントを使ったとしても、半数くらいしか助けられない」
「そんな……」
マーシャは沈痛な面持ちで口を押さえた。
「たとえ半数であっても、どうかお救いください。もしものとき、わたしはこの世界に残ります」
「何を言っているんだ! まだ時間はある。結界の外で稼げば間に合うはずだ。俺は全員を助ける。マーシャだって必ず救ってみせるさ」
ニイトが改めて決意を伝えれば、マーシャは「はいっ」と柔らかく目を閉じた。
「マーシャは結界の中で待っていてくれ」
「わかりました。お待ちしております」
ニイトはマーシャを残して一人で結界の外に出た。すると奇妙なことに族長のロリカが待ち構えていた。こんな場所でいったい何をしているのか。
「救世主ニイト殿。どうしても話さなければならぬことがあるのじゃ」
ロリカの神妙な顔つきを見て、これから話される内容がただ事ではないとニイトは感じた。
「何だい? みんなの前では話せないことか?」
「……ニイト殿、おそらくじゃが、わらわは今日死ぬ」
……何……だって?




