⑨
「リージア! ああ、いつから起きていらっしゃったの?」
ヒリビリアは今までの気品を感じた態度をどこかへ隠し、リージアに泣きついた。
「情けない声を出さないでちょうだい。最初から全て聞いてたわよ。
あなたがビースね。そしてそっちの黒い子はシャルグ、黒影ね。簡単に自己紹介をさせて貰うわ。私はリージア。この森人の全ての集落の最長老よ。他にもいくつか肩書きはあるけれど、今重要なのはこのことよ。つまりこの子たちに何を依頼しようとも私を通さなければ何の意味もないということ」
リージアはてきぱきとした口調で言う。
「左様でございましたか。それは失礼いたしました。……では改めてあなた様にご依頼申し上げます。森人に今度の戦争にご助力いただけないでしょうか」
それに応じて、微塵も表情を崩さずにビースは言った。伝説を前にしての悠然とした態度は、さすがはビースと言ったところだ。
「全く。今まではあなたたちの力だけで乗り切ってきたじゃないの。十年前も、八十二年前も」
「面目ございません。ただ、八十二年前のときは、カンの王も和睦に応じる男だったと聞いております。しかし今のサラロガは道理の通じる相手ではありません。
八十二年前に結んだ条約は、アーティス国の我々の統治を認めるという一文が確かにございましたが、サラロガはそれをいともあっさり反故にしたのです。
しかしそれでも十年前はサラロガもまだ体裁を気にしておりました。一年あまり、決して向こうからは手を出さず、挑発を繰り返し、我々から手を出させることを企みました。我々はそれを利用し、カンの兵糧が尽きるのを待ちました。カンは裕福な国ではございません。我々の辛抱は功を奏し、業を煮やしたカンは食糧のないまま強引に我が国へ踏みいって参りました。
それでもカンの勢いはすさまじく、我が国は首都まで攻め入られました。ご存知のこととは思いますが、我が国は王を討ち取られ、壊滅寸前の状態にまで追いやられました。
死に際の窮地を救ったのは、アラレルとシュール、そしてここにおりますシャルグでございます。まことに恥ずかしながら、私は幼いときから知るその三人が、そこまで強くなっていたことには気付いておりませんでした。十年前ですら、私の采配だけではカンは退けられなかったということです。
そして今回は、カンも挑発などせず侵略してきております。この十年で蓄えた食糧も大量にあることでしょう。さらにはヨーテスまでもがカンに付きました。
聞いていらっしゃったのかもしれませんが、アラレルはほとんど無謀ともいえる戦いを強いられています。打てる限りの手は打ちたいと思っているのです。私とて、我が子がかわいくないわけではございません」
ビースは真剣な目でリージアを説こうとした。リージアの強い反発があると考えたのだろう。しかし、リージアはどうでも良さそうにあくびを一つし、言う。
「あーあーあー、年寄りは話しが長くてやね。そんな昔の話なんか私は知らないわよ」
半分ほどの年齢のビースを年寄りと言い、さらに自分から振った昔の話を知らないとのたまう。シャルグはリージアのあまりに規格外な発言に目をむいた。
「それは大変失礼いたしました」
されどビースはどんな表情も顔には出さず、ただ静かに詫びた。
「ふーん、まあ初めて見るけどなかなか良い坊やじゃないの。全く、ヒリビリアがほの字になるのも頷けるわね。こちらとしてもむざむざカン人に侵略されるのは許せないわ。だけどあなたも、息子を使って脅迫するなんてひどい男ね。森人の森にはアレーはそんなにいないけど、仕方ないわね、軍を出すこともやぶさかではないわ」
まとまりのないリージアの話し方にはシャルグはまた辟易したが、最後の言葉だけは決して聞き漏らさなかった。
森人の森の最長老が軍を出すことを認めたのだ。
「リージア! でも……」
「でも? 意見を求めてきたと思ったら意見をするっていうの? 変わった子ね。でも何? 早くおっしゃい」
「いえ、そんな意見というほどのことではございませんの。ただ皆の意志も聞かずにそのようなご決断をされては、光の教えに悖ることのように思われまして」
まだ完全には動揺から立ち直っていないヒリビリアは、少しつっかえながら訴えた。だがリージアは、まるで小馬鹿にでもするよう鼻で笑った。
「あなた分かってるの? あなたのために進軍するのを拒む者なんてこの森人の森には一人もいないわ。言えばアレーどころかキーネまでも参戦しかねないわ。それこそ光の神の教えなのだから」
後半リージアは威勢の良さを少し陰らせ言う。後半の部分には少しの苦い思いがあったのだろう。
光の織り手・リージアは、私がルックの前に傍観をしていたザラックと共に行動をしていた一人だ。ザラックと旅をしていた頃はまだ十にも満たない年齢だったが、今のリージアとは話し方も表情もほとんど変わらない。だからこそ、リージアの考えていることが私には容易に想像が付いた。光の神というものがいかなるものかを知っているリージアには、光を信奉している森人たちを苦く思うところがあるのだ。
しかしそんなことは露ほども知らないヒリビリアは、リージアの言葉の裏の機微を感じ取らなかった。ただリージアの言葉が事実であると認識し、戸惑いながら押し黙った。
「ただ、あなたの言うとおりあなたの命はシーシャの命でもあるわ。シーシャにはとても辛いことでしょうけど、そうね、不躾に言ってしまえば諦めて貰うしかないわ。けどシーシャはもうその覚悟があるのよね?」
リージアの言葉が内気な闇の少女に投げかけられた。シーシャはリージアと目を合わせ、黙って頷く。無言であるが故、シーシャの強い決意が見て取れた。
「あとはヒリビリア、あなた次第よ」
リージアはヒリビリアに決断を求めた。ここまで言われてしまえば、ヒリビリアに否定することなどできないだろう。しかし、ヒリビリアはまだ戸惑ったまま、是とも否とも言えずにいた。それを見たリージアは長いため息を吐く。
「全く、仕方のない子ね。二十年くらい前まではもう少し骨のある子だと思っていたけど、どうして人は歳を取るとこう弱くなってしまうのかしらね。
他でもない、あなたの息子のためでしょう?」
リージアの最後の言葉は、シャルグを愕然とさせた。あなたの息子とは、話しの流れからしてまず間違いなくアラレルのことだった。しかし、シャルグを除く面々はすでにこの事実を知っていたのだろう。皆押し黙ってヒリビリアの決断を待った。
ビースに問いたいことは山ほどあったが、今がそのときでないのは明らかだ。シャルグは何も口出しはせず、みなにならってヒリビリアを待った。
ヒリビリアはそれでもすぐには首を縦に振ろうとはしなかった。けれども最後にはシーシャの目を見て、シーシャが堅く頷くのを確認してから参戦を承諾した。
「ふん、ようやく話しがまとまったわね。じゃあ早速あなたたちは全ての集落に伝令を出して。私はそこの黒い子に目の技法を教えるわ」




