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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第二章 ~大戦の英雄~
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 この一万を越える軍の中にアレーはほとんどいない。その大半が魔装兵で占められているのだ。アレーにとってルーメスは倒せない相手ではないが、魔装兵にとっては絶望そのもののような存在だ。

 アレーの軍は隊列の最後尾につけていて、ルーメスが現れたのは列の中央よりも前だ。ルーメスが出現した地点から最も近いアレーは、ディフィカとクロックだったのだ。


 二人がルーメスの元に着いたときには、すでに三十人ほどの魔装兵が死体となって転がっていた。腕に自信のある魔装兵が決死の覚悟でルーメスを押さえつけようとしていたためになんとか被害の拡大は防がれていたが、もしルーメスが本格的に暴れ回っていたら、魔装兵の被害も百はくだらなかったかもしれない。


「忌々しいね」


 ルーメスの姿が見えると、ディフィカはぼやいた。そしてルーメスの方へと拳を向けて何かを呟く。するとその拳から、黒いもやが高速で放たれた。ルーメスを押さえていた一人の勇敢な兵士がそのもやに貫かれた。もやはさらに男を貫通し、ルーメスの胸にも大穴を開ける。

 全くの無音で、まるで夢でも見ているかのような光景だった。もやはルーメスを貫くと上へと進路を変えて、空の彼方へ消えていった。兵士は即死した。ルーメスにはまだ息があるようで、忌々しげにディフィカを睨む。


 突然けたたましい音が鳴る。


 ディフィカの立っていた大地が突如として爆発したのだ。ルーメスの魔法だ。しかしディフィカは目にも止まらぬ速さですでにその場を移動していた。皆が気付いたときには、ディフィカは手刀でルーメスの首を撥ね飛ばしていた。


 闇の大神官の強さと言うのは常軌を逸したものだ。どのような手刀で切ればそうなるのか、ディフィカの手にはルーメスの血は微塵も付着していなかった。ディフィカは累々と広がる死体を鼻で笑い、なんの言葉も残さず背を向け歩き去った。

 素手でルーメスを殺した将軍を兵たちは皆、押し黙って見送った。拍手喝采も、労いの言葉もない。ただ自分たちの将に対する恐怖だけが彼らの胸いっぱいに膨れ上がっていた。


 付いては来たもののなんの役にもたたなかったクロックは、慌ててディフィカの背を追った。


「死体など捨ててお行き。早く全軍に伝えるのよ」


 恐らく進軍の命を出したのだろう。ディフィカが様子を見にやって来た、アレーの部隊を受け持つ隊長と話をしていた。


「はっ、仰せの通りに」


 隊長は微かに不満げな表情を浮かべていたが、何も言わずに辞していった。もしも隊長が先程のディフィカの戦闘を見ていたなら、間違いなく恐れおののいてすぐさまディフィカの命に従っただろう。

 クロックは誇らしげににやりと笑った。

 馬車へと乗り込むディフィカを追い、クロックも馬車へと入る。


「さすがですね。まあ、母さんに掛かれば貴族クラスのルーメスでもわけはないんでしょうね」

「その呼び方は止しなさいと言ったはずだよ」


 ディフィカにたしなめられたクロックは、まるで気にするそぶりを見せず続ける。


「けどこんなところにまでルーメスが出てくるなんて、少しやりすぎたんじゃないですか?」


 意外な言葉だ。時の世界から二人を見ていた私は、その発言に驚愕した。今のは間違いなく彼女らがルーメスを呼び出したということだろう。ルーメスがこの時代大量に発生していたのは知っていたけれど、それが人為的なものだったというのは初耳だった。それも歴史的な闇の大神官ディフィカの手によるものだったとは。


 この時代のルーメスの大量発生は、大陸全土で起こっていたものだ。ルーメスの世界は妖魔界などと呼ばれる、人間の世界のすぐとなりに存在する異界だ。


 確かにディフィカならその境界を歪め、ルーメスを大量に呼び出すことも可能かもしれない。しかしディフィカならばそれをアーティーズに限定させることもできたはずだ。わざわざ大陸中に発生させる必要もない。いや、むしろディフィカとはいえ、大陸中の境界を歪めそれをコントロールすることなどはたぶんできない。

 だとすれば恐らく、ディフィカは境界を歪めることに失敗したのだ。


「ふん、うるさい子だね。あの儀式はね、失敗していたのよ」


 私の予想通りで、ディフィカはあっさりと自分の失態を認めた。


「全く忌々しいことよ。誰かがあの儀式に介入してきたのよ」

「誰かだって? 人間にそんなことが可能だというのですか?」

「人間とは限らないわ。それこそあなたの言う貴族クラスの仕業かもしれないし、まあ私の知る限り人間の中にも可能な者はいるわ」


 ディフィカの言葉にクロックは目を丸くした。少し大げさすぎる驚き方にも見えるが、それが彼の癖なのだろう。


「そんな、ルーメスの貴族に可能だとしても、俺たちが儀式を行っていると感知するなど不可能だろ? まさか、……いえ、しかしそれならば母さんは、クラムかダルクの仕業だと言うのですか」

「母さんと言うのはお止し。クラムはわざわざ世界を乱すような男じゃないよ。ダルクの方は分からないところもあるけど、どうかしらね」


 驚きを隠せないクロックに対し、ディフィカは冷静にクロックの言葉を正す。

 世界に歪みを与える儀式というのは、私でさえも初耳だった。そして知っていたとして介入できる自信はない。もしもそれが可能な者があるとするなら、その者は闇の大神官と同等の力を持つということだ。この時代、ディフィカの他に闇の大神官はクラムとダルクしかいない。クラムは争い事を好みはしないが、確かにダルクならやりかねない。


 クラムというのは、フエタラの城でディフィカと会合していた男だ。そしてダルクは、オラークの村を焼き払い、闇の名を世に知らしめた男だ。この時代のダルクがどこにいるのかは知らないが、クラムはヨーテスにある暗い廃坑の中で、進化を止める儀式をしているはずだった。

 つまりクラムはディフィカのアーティス侵略に助力し、進化を止める力を弱めていたのだろう。その間だったからこそ、リリアンはルックに特別なマナの使い方を教えられ、ルーンは治水を広めることができたのだ。

 そしてクラムは再び時を止めると言っていた。私の生きた二千年後の時代で、治水や爆石のような絶大な威力を持つ魔法が知られていないのは、このためだろう。


 意外な事実にクロックが目を丸くしていると、再び馬車は動きだし、進軍は再開した。


「彼らだけじゃないわ。個人の力で介入は難しくても、ヒッリ教が束になって妨害してきた可能性もあるわね」

「ヒッリ教? けれどヒッリ教なんて存在しない神を崇めてる奴らでは? いくら束になったところで、あなたの魔法を妨げられるとは思えませんが」

「ふん。面白い意見だね。どうしてヒッリ教の信者に力がないと思うのかい?」

「だって母さんが言ってたんじゃないですか。実在する神は五つだけだって。ヒッリ教の神はそのどれにも当たらない」

「そうね。確かにあれは神ではないわ。だけど力を持つ存在ではあるのよ。まあヒッリ教にしたところで、私の儀式を知る術などなかったでしょうけどね」

「それもそうだね。何にせよそれなら早く歪みを正さないと、大陸中が混乱するんじゃないのかい?」


 丁寧な口調も忘れ、クロックは責めるように母に言った。クロックにとっては原因などはどうでもよいのだ。ただ儀式が失敗しているとするなら、歪みは大陸中に広がりかねない。それは決してそのままにして置いて良い事態ではない。


「ふん、分からない子だね。私だってこれが本意な訳はないさ。歪みはもう私のどうにかできるレベルじゃないのよ。これ以上歪みが拡大しないことを祈って、自然に収まるのを待つしかないわ」


 無責任な発言のようだが、事実は事実だ。クロックには引き下がるより他にない。自然に大陸全土に広がった歪みが元に戻るなど、何百年とかかることだろう。しかしディフィカにどうにもできないことなら、クロックの知る限り誰にもどうにもできないことだ。クロックは少しぞんざいな母に腹を立てつつも、ただ押し黙るしかなかった。





「なんだと! くそ、ビースめっ」


 キラーズが昏睡状態だと言う報せを受け、ヨーテスの第二王子ジルリーは憤怒した。


「しかしながら殿下。キラーズの状態は、故意によるものではないだろうという話にございます。戦闘で受けた傷により倒れられたということで」

「お前はビースという男を知らんのだ!」


 ジルリーはサラロガの前での丁寧な口調が嘘のように、報告をもたらした細作の女性に当たり散らした。


「アーティスにはよくしつけられた暗殺部隊がいるんだ。事故に見せかけキラーズを葬ることぐらいは訳がない。くそ、くそ、忌々しきはビース。よもやこのような卑劣な手を打ってくるなど!」


 憤慨冷めやらぬ主人に何を言っても無駄だと悟ったのだろう。女性はただ黙ってジルリーの愚痴を聞いていた。

 しばらく興奮しきると、ジルリーは椅子にだらしなく座り、腕組みをし何かを考え始めた。しかし、いくらここでジルリーに名案が浮かぼうとも、それには微塵も意味がない。彼自身は戦場の状況をほとんど知らないのだ。それにここから出す指示では、例えそれがどんなに優れた策であっても、五日近くは遅れてしまう。


 ジルリーはスニアラビスが万が一にも落とせない場合を考えた。サラロガは癇癪を起こせばジルリーをも縛り首にしかねない男だ。スニアラビスに大戦力を投入するというのはジルリーの案だ。失敗は許されない。ジルリーは親指の爪を噛む。余裕で勝利を掴むはずが、このような恐怖を味わうことになるなど理不尽だと思った。


「ビースめ、かくなる上は」

「ジルリー、なりません。もしも本当に暗殺者の仕業だとするならばですが、ビースは恐らく自分がすべての罪を被るつもりでことを起こしているはずです。

 出過ぎたこととは思いますが、もしもあなたが同じことをすれば、サラロガは間違いなくあなたの命で他国への示しとするでしょう」


 冷静な細作の言葉に、ジルリーは言葉を詰まらす。彼は従者に言い諭されたためか赤面をする。それはにわかに怒りに替わり、ジルリーは握りしめた拳を震わせた。しかし、ジルリーが怒りを爆発させるより前に、女性の従者は言った。


「私めにしばらくの暇をいただけないでしょうか」


 唐突な申し出に、ジルリーは応答する言葉が見つからずにモゴモゴと喉を鳴らした。


「意味はお分かりでしょう。私が暇を頂いている間は、あなたと私は無関係です。その間、私がアーティス人の誰を殺そうともあなたに責任はございません」


 従者の発言に、とっさにジルリーは反論を捲し立てようとした。だが、血の上った頭にようやく彼女の言葉が行き届いた。彼は黙り込み、深く考えを巡らせる。冷静でさえいれば、彼は元々それほど目の曇った人間ではない。じっくりと考えた上で彼は結論を出す。


「ビースとライトだ」


 まるで独り言でも言うようにジルリーは呟く。従者はそれで得心し、お辞儀もせずにその場を辞した。首都アーティーズへと向かい、ジルリーの呟いた二人の首を取るのだ。

 そうした後に、女性の従者はジルリーの潔白を証明するため名乗りを上げる。それが意味することをジルリーも女性の従者も分かっていた。そして女性の従者は、自分の命が捨て駒としか思われていないことも分かっていただろう。それでも彼女の忠誠心は揺るがない。自分の命が国のためになくなるのなら、本望だとすら思っているのだろう。

 薄気味悪いことだ。案の定、女性が辞したあと、ジルリーはビースとライトの首が跳ぶのを想像して、くくと笑いを漏らした。

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