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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第二章 ~大戦の英雄~
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 スニアラビスの砦の前ではカン・ヨーテス連合軍の千数百名が夜営をしていた。昨夜の敗北で失われかけた兵士の士気を再び高揚させる演説を終え、ヨーテス第一軍隊長であり、カン・ヨーテス連合軍将軍でもあるキラーズは自身のテントで一息ついた。なんとか兵士たちの士気は取り戻せたが、昨夜の戦闘で頭に受けた傷がずきずきと痛む。


「お疲れのようですね。頭の傷が障るのですか?」

「いや、なんということはない。それよりも少し強めの酒を用意しろ」


 テントで控えていた従者は心配そうな顔でキラーズを見下ろしていたが、将軍の命に逆らうわけにもいかず、テントの隅の酒樽から質素なジョッキに酒を汲む。強めと言われたので従者はそれを水で薄めはせず、そのまま将軍の元へと運んだ。


「すまんなシャルグ」


 青髪で長身痩躯の、シャルグと呼ばれた従者は、気づかわしげな目で飲みすぎに注意するよう指摘した。青年は長身だったが、顔には大分幼さを残している。きっと十六か七といったところだろう。青年は一礼をしテントの隅で待機した。キラーズはジョッキの酒を軽く煽ると、後頭部を気づかわしげにさすった。

 天幕の中には青年の他にも中年の女性が控えている。彼女もまたキラーズを気づかわしげに眺めていた。


 キラーズは軍からの信奉が非常に厚い。彼自身が優秀な戦士だということもあるが、何よりも豪快に見えて細かいところに気を配れる性格が好まれているのだ。そのため、女性の目にはまるで自分のことのように気づかう色が見て取れた。しかし、その女性もキラーズも気付いていないようだが、青年の目には女性のそれとは違う光があった。


「キラーズ、第三軍隊長ジリスウがお見えです」


 キラーズが三口目を呑もうとしたときに、外の見張り番から声がかかった。キラーズは女性のアレーに目配せすると、女性は頷き、テントの入り口を開いた。入り口からは三十後半のがたいのいいアレーが現れた。


「おお、これはジリスウ。何かあったか?」

「キラーズ、呑んでるんで? ちょっとあの石投のことで俺の意見を言いたいんですが」


 礼儀作法など知らないがさつな男に見えたが、ジリスウはそれなりの敬意を込めてキラーズに話しかけた。


「ジリスウ隊長、あなたも呑まれますか?」


 青髪の青年はすかさずジリスウにそう問う。しかしジリスウは、答えるより先にキラーズへ問いかけの視線を送った。


「ああ、そうか。ジリスウはシャルグを初めて見るのだな。これはシャルグ。なかなか気の利く男でな。医術の知識もあって重宝しているのだ。国境線に詰めていた兵士の一人で、気に入ったんでな。側に置いている」


 キラーズの言葉は特に裏のないものだった。しかし、ジリスウは妙に訳知り顔で頷いた。青年は非常に顔立ちがいい。恐らくジリスウはキラーズに変わった趣味があるのだろうと考えたのだ。


「そうか、それは失礼しました。ははは、よもや敵国の憎き黒影と同じ名とは、お主も不幸よの。おいシャルグ、せっかくだから俺も一杯頂こう」


 青年は言われて、礼儀正しく頷いた。青年もキラーズもジリスウが何を考えたのかは分かったが、わざわざ否定をする気にもなれなかった。

 青年はジリスウと初対面だったが、すぐにジリスウがあまり賢い方ではないことを看破していた。そして酒を汲みに隅の酒樽へと歩み寄り、二人と女性の従者からも見えない位置に立つと不適な笑みを浮かべた。しかし彼はすぐにその顔を引き締め、ジョッキに酒を満たしてジリスウの元へ運んでいった。

 ジリスウは何も言わずにジョッキを受け取り、ごくごくと音を立てジョッキの半分程を一気に飲んだ。


「いい飲みっぷりだな。で、ジリスウ。石投の件で話があると言うのは?」


 キラーズの頭の傷は石投の魔法により受けたものだ。ジリスウの話と言うのはその傷をつけた石投のことだろう。ジリスウはにわかに神妙な顔を作り、まるで親に褒めてもらいたがる子供のように得意げな表情で言った。


「ずばり言いますと、あの石投はこちらの軍に隠れている間者の手によるものだと思います。キラーズは後頭部に石投を受けていました。あなたは敵に背を向けるような人ではない。なので、えーとつまり」


 キラーズの反応が思いの外大きくなかったためか、それとも強い酒に意識を奪われたためか、ジリスウはかなり曖昧になって話を終えた。


「はっはっは。いや、さしもの私も撤退するときには後ろも見せるぞ。気づかってもらったことは嬉しいがな」

「はっ、面目ないです。どうも皆に言われることなのですが、考えが足りないようです」


 先程までの自慢げな表情をしまい込み、ジリスウは赤面しながら釈明をした。


「いやいや、気にするな。ジリスウは剣の腕を買われて軍隊長になったのだろう。お前が活躍する場は戦場だ。二つも三つも望みはしないぞ」


 優しい口調でキラーズはジリスウを慰める。そしてくくと笑いながらジョッキの酒を一気に飲み干す。ジリスウの目はキラーズを尊ぶ光をたたえる。ヨーテス軍はキラーズがいる限り決して揺るがぬ一枚岩だった。

 青年はキラーズの飲み干したジョッキを受け取り、再び天幕の隅で酒を汲む。従者の女性と、ジリスウ。そしてキラーズ。三つの目がある中で、青年は不審に見える動作を一切せずに酒の中になにかを入れた。青年は眉一つ動かさずそれをキラーズの元に運んだ。


「ほどほどにしてくださいね」


 青年は優しく声を掛け、キラーズは心配無用とばかりにその酒を一気にあおった。


「おい、シャルグ。俺にも一杯汲んできてくれ」


 ジリスウは言ってシャルグに空のジョッキを差し出す。

 そのときだった。突然小さな呻き声と共にキラーズが崩れ落ちた。まるで風の止んだ旗が力なく垂れるように、キラーズの中から活力が抜け落ちた。


「キラーズ!」


 ジリスウから手渡されたジョッキを落とし、青年はキラーズに駆け寄る。キラーズは後頭部に手をやり呻き苦しんでいる。青年と倒れたキラーズを見ながら、ジリスウはとっさに何が起きたのか理解できずに呆然としている。


「メシャリナ! すぐに綺麗な水をお持ちください!」


 青年の指示が飛ぶ。こんな場面で医療の知識があるものに逆らうものはいない。大分歳も上で、キラーズに仕えてから長いだろう隅に控えていた女性は、急いで天幕を飛び出した。

 しばらくすると、キラーズが倒れたという噂が軍全体に広がったようだ。何人もの連合軍の主要人物がキラーズの天幕に訪れてきた。


「彼は?」

「ああ、キラーズの従者のシャルグだ。忌々しいアーティスの黒影と同じ名だが、医療の知識があるんだ」


 黒影と言うのは今はアーティスで待機しているシャルグの通り名だ。もちろん青年はそのシャルグとは別人だ。しかし、シャルグのことを知っていたためその名を借りることにしたのだった。彼の本名は今やシャルグ以上に知られ渡っているのだ。


 青の暗殺者ヒルドウ。馬鹿正直にその名を名乗ってしまっていたら、この軍に潜り込むことなどできなかっただろう。


 そう彼は、ビースの放った刺客だったのだ。

 彼は最初、二千の軍勢というのに驚いた。しかしどうにか首尾よく主要人物の元へ潜り込むことができた。万事が上手く行っていた。どう自分から疑いの目を背けキラーズを暗殺しようか考えあぐねいていたときも、ジリスウが現れ道を示してくれた。ジリスウのあの言い方では、誰もヒルドウがごく最近キラーズに近づいたとは思わないだろう。さらに言うなら、どうにかジリスウをこの軍のトップに置くことができたなら、この作戦は大成功と言える。

 ヒルドウにとってジリスウは大変貴重な存在だった。


 ヒルドウは治療を続ける手を少しも止めずそんなことを考えた。数人の衛生兵が彼に手を貸していたが、どれもヒルドウほどの腕を持ち合わせてはいない。このままキラーズには昏睡状態のまま一命を取り止めてもらう。そうすることによって名指揮官の命を救ったものとして、よりヒルドウは動きやすくなる。


 出来過ぎなくらい、事は完璧に進んでいた。

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