③
ダットムの話は大変興味深いものだった。カンの将軍というのは、恐らく青の暗殺者が任務を失敗したという者だ。そしてアラレルが不安要素に数えていた人だ。それが闇の者だということは、たぶんまだアーティス軍には知られていない。このことはなんとしてでもシュールに伝えなくてはならない。
「ありがとうございます。とても貴重なお話でした。もしかしたらアーティスにとって何よりも得難い情報になるかもしれません」
ルックの言葉にダットムは物悲しい表情をした。ルックにはどうして老人がそのような表情をしたのかがすぐに分かった。少しでもアーティスの現状を理解しているものなら分かる。カン・ヨーテス連合軍とアーティスとの差はあまりにも大きなものなのだ。今こうして話をしているルックが、この戦争が終わったあとに生きていられる可能性はとても低い。負ければ当然、例え勝ててもだ。
しかしそのようなことをダットムは口には出さず、ただ何も言わずに頷いた。
そうこうするうち、皆のテーブルに食事が行き渡る。ダットムは思い付いたように食堂を見渡し、舌打ちをする。
「なんじゃ、またカイラルクは寝坊をしておるのか」
「ああ、そうでしたわ。あの人昨日呑みすぎたせいで調子が悪いんですって。朝のご挨拶はお父様にお任せすると言っていたわ」
「全く、全くもって情けない。今日は客人がいらしておるというに」
ダットムは残念そうに首を振りながらお茶の入った木のコップを置いて立ち上がる。
「ええ、お早う。今日もカイラルクは呑みすぎておるようでの。代わりにわしが挨拶をさせていただくとしよう。
天の高みにおわすシビリア神に敬意を。大地を育むシビリアの母に感謝を。今日も一日が平穏無事に過ぐることを祈ろう」
ダットムは朗らかに言う。それは簡略化されたシビリア教の挨拶だった。田舎では都市部よりも敬虔な者が少ないと聞いていたが、ルックはここでその文句を聞けたことを少し嬉しく思った。シビリア神はアーティーズ山の頂上に住んでいるといわれている神だから、アーティス以外にはほとんど信者がいないのだ。初めて訪れた場所でも、ここは間違いなくルックの国だった。
ダットムが席に付くと食事が始まった。よく煮込まれたシチューは、肉はほとんど入っていないものの、良く味の染み込んだ美味しいものだった。パンもふっくらとして温かく、微かな甘味がありシチューに良く合った。
「おいしい! どうやって作ったらこんなにふっくらとしたパンになるんですか? ずいぶん腕のいい料理人なんでしょうね」
ルーンは馴れてきたのか、多少砕けた口調でマゼンドに話しかける。マゼンドも嬉しそうに笑んで、まるで仲のいい友達といるようにはしゃいでいる。
「まあ、ありがとう。これは私の母が考え出した作り方ですのよ。ルーンもお料理はされるの?」
「いえ、少しはできますが、ほとんど食べるのが専門です。でも私のチームに料理が好きな人がいるの。良かったら後でその作り方を教えてもらえませんか? 教えてあげたらきっと喜ぶと思います」
「まあ、そうね。きっと母も喜んでくれますわ。なんと言っても母は自分のパンが生涯一番の自慢だったんですもの」
ルーンはもちろんのこと、おっとりとしたマゼンドも非常によく話した。ダットムとルックの二倍は話していたことだろう。
「そう、お母様はもう亡くなられているんですね。こんな美味しいパンをお作りになるんですもの、きっと素敵な方だったんでしょうね。マゼンドにはお子様はいらっしゃらないんですか?」
「あら、子供はいますのよ。まあ、子供と言ってももうあの子も今年で二十四になるはずですけれど。あの子はわたくしと違って奔放な子でね、旅に出るとか言ってもうかれこれ十年は戻ってきませんの。キルクって言うんですけど、どこかでお会いになったことなどございませんか? 安否の一つも知らせてこないんですのよ、全く」
マゼンドの言葉にルーンは首を振る。元々あまりアーティーズから出ないルーンには知り合う旅人は多くない。しかし、横でちらりとそれを聞いたルックは、ふと自分に思い当たる節があるのに気が付いた。
「あの、マゼンド。そのキルクって言う人はもしかしてアレーですか?」
ルックは思わずマゼンドとルーンの話に割り込んだ。ルックの言葉にマゼンドは目を丸くする。少し怒ったように言ってはみても、やはり息子のことは心配だったのだろう。返す言葉も見付からないほど動転しながら、マゼンドは先を促すような懇願の目を向けてくる。ダットムもこれには相当驚いたようで、思わず椅子から立ち上がっていた。
「なんと、まさしくキルクはアレーじゃ。お前さん、知っておるのか?」
「いえ、僕は直接見たことはないですし、正直あまりよく知らないので同じ人かどうかまでは……」
ルックも二人の反応には驚いた。とっさにぬか喜びをさせてはいけないと思って、引っ込み思案になった。しかしダットムとマゼンドにこうまで期待の目を向けられたら、もう引っ込むわけにもいかない。
「あの、年齢もよく知らないんですけど、僕の知り合いに、キルクと言う名前の人とチームを組んで、大陸中を旅しているって人がいるんです」
「おお、大陸中をとな。あの子の言い出しそうなことじゃわい。して、それ以外にはなにか聞かなかったかの?」
藁にもすがるような思いだったのだろう。ダットムは必死でルックに問いかけた。
「えっと、ほとんどその人については話を聞かなかったので。あ、そうだ、確かその人はもともとアーティス人だって言っていました」
「おお、なんと!」
この狭いアーティスで同じ名前のアレーなどそうはいない。それもシュールやグランの様なありふれた名ならまだしも、キルクという名ならなおさらだ。ルックの言葉はもうダットムたちにとっては決定的なものだった。
「して、してそのアレーのチームは今はどうしておるのじゃ? 無事でおるのかの?」
ダットムは身を乗り出してルックに問う。マゼンドは大粒の涙を流し、なにも言葉にできないようだった。そんな様子に気が付いたのだろう。いつしか食堂中がルックの次の言葉に注目していた。
「その彼は今シェンダーにいるか、向かっている途中だと思います。ティナの軍に加わってこの戦争に参加しているはずです」
戦争のことはまだ食堂にいる他の人たちは知らないことだったが、その事よりも家主の家族が無事でいるというのをみな喜んだ。まるで祭りのように食堂は賑やかになる。
「あ、わ、わたくしカイラルクにこの事を伝えにいかなくてはなりませんわ。まあ、でもお食事が途中ですしどうしましょう。ああ、早くしなくてはいけませんわ。どうしたらいいのかしら」
マゼンドは大分混乱しているようで、椅子を立ったり座ったりを繰り返す。
「これマゼンド。落ち着きなさい。カイラルクに伝えるのはもう少し後でも良かろう。それよりもルック、本当にありがとうの。わしらが最も待ち望んでいた情報をお前さんは運んできてくれたんじゃよ」
ルックはダットムにそう言われ悪い気はしなかったが、それと同時に不安も頭によぎった。それは恐らくダットムも同じことを考えただろうし、今は動転して気付いていないマゼンドも、いずれはきっと感じる不安だ。キルクもこの戦争に身を投じているということは、決して生きて帰れる保証はないのだ。考えなしに、朗報と一緒に悪い報せまでも伝えてしまったことを、ルックは申し訳なく思った。
やがて食事は終わり、ルックとルーンは寝室をあてがわれ、ほとんど会話を交わすことなく寝入ってしまった。まだシェンダーまでの道は長い。しっかりとしたベッドで眠れることなど、そうはないだろう。
彼らは旅の疲れを癒すと同時に、これからの旅の英気を養うために深い眠りへと落ちていった。




