『動き出す黄札』①
本日夜にタイトルとあらすじを変更します。これでよっぽどのことがなければ固定するつもりです。
第一章の前か序章の前にキャラクター紹介も載せます。
よろしくお願いします!
第二章 ~大戦の英雄~
『動き出す黄札』
暗い部屋で、まるで光でない明かりに照らされたように、二人の男女だけが浮き出て見える。テーブルに一つ燭台が置かれ、それほど広くはないであろう部屋すら照らしきれない、脆弱な光を灯していた。
「スニアラビスの砦で変わったことが起きたようです」
男は丁寧な口調で女に言った。丁寧な口調でも、男の態度にへりくだっているような様子はなく、ただ淡々としていた。
「私も知らない魔法具でカンとヨーテスの連合軍に痛手を負わせました」
男の口調にどこか責め立てるような響きが生まれる。
「まさかこんなに早く影響が出るものなの」
女は三十過ぎに見える姿からは想像もできない、ゾッとするような重たく暗い声で言う。
「恐らくは二百年抑圧していた反動でしょう。負傷した敵の将軍が、わずかな間に全くの無傷で戦闘に参加していたという噂もあります。これも未知の魔法によるものでしょう」
男の声はすぐに落ち着きを取り戻し、再び淡々と言う。
重たい闇ののしかかる中、嫌にはっきりと浮かぶ顔は、皺の刻まれた壮年の顔だった。黒い髪にさらに黒を塗り立てたような黒髪に、その髪よりもなお深い黒をたたえた瞳。寒気のするような威圧感に、座していても分かる長身。わずかな仕草も見せないまるで彫像のような男は、どこか退廃とした雰囲気を醸し出していた。
女はやはり黒髪で、艶のない、しかしまとまりのいい髪を床まで届くほどに伸ばしている。見た目の年齢とは裏腹に、彼女は何度も何度も繰り返し上塗りされた憎悪が滲み出てくるような雰囲気を持っていた。一体どれ程の時間暗い感情を与え続ければこうなるのだろう。眉間の深い皺さえなければ間違いなく美人と言われるはずのその顔は、しかし心の弱いものが直視できないようなおぞましさが漂っていた。
「ふん、たった二百年ほどでこうまで人は悪化するというの。もしもお前がいなければ、とっくに人など滅んでいるのかもしれないね」
知らぬものには二人の会話は全く理解できないものだろう。謎めかした二人の会話は、部屋の暗さ以上に暗い気配を持っていた。
「クラム、行くのかい?」
女は聞く。クラムと呼ばれた男はゆっくり頷く。
「ええ、儀式の間に戻り、どのような変化が起こったかを調べなければなりません。そして私は再び時を止める」
言った瞬間、燭台の明かりが消え、男の気配がふつと消える。部屋は闇に包まれて、女は静かに目を閉じた。瞑想をするようにじっと身じろぎをせず、かなりの時間を彼女はそのままの姿勢で過ごした。
「ディフィカ大将軍、進軍の準備が整いました。ご指示を」
部屋の外から若く明るい声が呼び掛ける。彼女、ディフィカはその声に反応して立ち上がる。すると部屋の中に充満していた深い闇が消え、カン南部のフエタラ城の一室が姿を見せた。
ルックとルーンは西に向かって駆けていた。マナを使った走法で、一歩一歩が非常に長い。普段はマナを使い果たすのを避けるため、あまり使用しない走法だが、今は一刻を争う。一日に十数回は休みをとらなければならないが、歩いて向かうより何倍も速く移動できる。夜闇に紛れてスニアラビスを抜け出した二人は、南に陣取る敵軍をあっという間に遠ざけて、明るくなる頃にはかなりの距離を稼いでいた。
「ねぇルック、そろそろ眠らない? 私眠くなってきちゃった」
リリアンに教わった体術があるため、ルックは比較的余力を残していたが、ルーンはフォルの資格も持っていないのだ。疲れが限界に達しているのだろう。
「そっか、分かった」
ルックは言うと、西南西に見える一軒の家を見やった。頼めば一日の宿くらいは面倒を見てもらえるだろう。
ルックは少し左に指針を取り、その家へと向かって行った。恐らくはここら辺一帯の土地を切り盛りする地主の家だ。たくさんの使用人を住まわせているのだろうその家は、ルックたちの家の十倍はある二階建ての建物だった。木造建築が主流の首都からは相当離れているはずなのに、その家は土台を除きほとんどが木で造られたものだった。ルックはその家の前に立ち、大声で呼ばわった。
「ごめんください! 僕たちはこの度の戦争で伝令に遣わされているものです」
ルックが声を掛けしばらくすると、一人の老人が戸を開けた。小柄で、十三歳のルックとそう身長の変わらない老人だ。
「ほう、お前さん今なんとおっしゃった?」
この家の下働きの老人なのだろう。ほとんどの髪が抜け落ち、残った部分も真っ白になっている老人は、何かを意外に思ったようでルックたちを見て目を丸くしている。
「僕たちは今伝令でシェンダーへ向かっているところなのですけど」
ルックは老人が何を意外に思ったのか分からず、詳しく自分たちの素性を述べた。
「その前じゃ、お前さん今戦争と申したな。またアーティスで戦争が起こっておるのかの?」
老人の言葉はルックを大いに驚かせた。しかし考えてみれば外からの来客などほとんどない農家だ。しかも今は刈り入れ時でもなくて、そんなときは農家から街へ繰り出すということもほとんどないのだろう。
「そっか、知らなかったんですね。今カンとヨーテスの連合軍がアーティスに攻めてきてるんです」
「なんとなんと、そうじゃったのか。ああ、客人をこんなところで立たせていては我が農園の恥となるの。どうぞお入りください。すぐに何か食事の用意をさせましょう」
下働きかと思っていた老人は、どうやらここの隠居だったらしい。老人に連れられてルックたちは家の一室に通された。
広い食堂のような場所だ。いや、むしろまさにここはこの家の食堂なのだろう。大きな食卓が全部で八つ、どれも簡素なクロスを掛けて置かれていた。扉から入って左側はほぼ一面壁がなく、日が降り注ぎとても明るい印象を与えていた。
「今ちょうど朝食の用意をしていたところなんじゃ。本来ならお客人は客間に通すものなのだろうが、今はしばらく客間を手入れしてなくての。いつもいざというときのためこまめに掃除するよう言っておるのだが、そのいざも実に一年ぶりのことなのでな。
ほほ、まあ一年前も同じ理由でここに通させていただいたのじゃが」
老人は久しぶりの客人を喜んでいるのかとても饒舌だった。
「いえ、充分です。ましてお食事まで貰えるなんて願ってもないことです」
ルックの後ろで、意外にも流暢な言葉遣いのルーンが言った。まるでビースや貴族を前にしたシュールのような口調だ。
「ほほほ、礼儀正しいお嬢さんだ。さ、どうぞこちらへお掛けなされ。わしの名はダットム。お前さんたちの名前をお伺いできるかね?」
「ありがとうございます。僕はルック、こっちはルーンです。普段は首都アーティーズでフォルキスギルドの組合員をしています」
老人へと自己紹介をすると、ルックはテーブルについた。何かこだわりがあるのだろうか、椅子もテーブルも全て木造だった。よくよく見ると、部屋の隅にもいくつかの木彫りの彫刻が置かれている。
「さて、お前さんさっきカンとヨーテスが攻めてきていると言っておったの。おお、これはマゼンド」
ダットムが話を始めようとしたそのとき、ちょうど食堂に女性が一人入ってきた。マゼンドと呼ばれた彼女はおっとりとした雰囲気のふくよかな女性だった。歳は四十中頃といったところだろう。彼女は目を丸くしながらゆっくりとした口調で話し始めた。




