⑥
今週の日曜日(2017.4.23)にタイトルとあらすじを変更します。検索で青の旅と入力しても出てこなくなる可能性があります。申し訳ございませんがよろしくお願いします。
「聞こえる?」
諜者には確実に向かないおしゃべりなルーンが、ルックに小声で問いかける。ルックは少し可笑しくて、小さく笑ってルーンにうなずく。
「私はヨーテス第一軍隊長にして、我らの軍の将軍、ヨードラス領を納める伯爵でもあるキラーズだ」
ルックの耳に野太い男の声が響いた。これは間違いなく耳をすまさなくても聞こえるどら声だった。
「ああ、どうも。僕はアーティス国のアラレルだ」
どこか和やかな口調でアラレルの声が聞こえる。
「御高名なる勇者アラレルにお目にかかれ光栄だ。時にここには三百ほどの軍が詰めていると聞くが、お間違いないか?」
「ああ、大体そのくらいだったと思うけど」
「我々は今ここを通りアーティーズへと向かおうとしている。貴君らの軍はここを動かず静観していただきたい」
横柄な口調でどら声が言う。
「ははは、それはどうだろう。たぶん無理なんじゃないかな」
男の発言はルックにもルーンにもとても滑稽に思えた。もしそれを黙って見過ごすようなら、ここまで来た意味もない。しかしアラレルはそれに驚いた風でもなく、笑って流した。その態度はキラーズにとっては少し腹立たしいものだったのだろう。どら声に怒気を交え、しかし決められた台詞をなぞるように言う。
「さすれば、我が軍総勢二千に、貴君の軍は踏みにじられる結果となろう」
二千と言う言葉にルックもルーンも度肝を抜かれた。ヨーテスはアルテスを除くすべての大国と国境を面している。カンからの侵略の恐れはないにしても、フィーンやオラークなどは虎視眈々と他国の領土を狙っている。二千もアーティスに向かわせてしまえば、大国ヨーテスと言えど国には百も軍人は残らないはずだ。アーティスと違いアレーの軍を持つヨーテスは、総勢二千というカンやアルテスに次ぐ、巨大なアレーの軍を抱えてはいる。しかし貴族の領土を守るアレーを計算してもその数は異常だった。
「二千って聞けば僕が焦ると思ったのかい? カンとヨーテスの連合軍でしょ、その二千っていうのは。そっちの情報は筒抜けなんだな」
アラレルは穏やかな口調でキラーズに言う。だがそこで、勇者は途端に語調を鋭くし言い放つ。
「こっちからも忠告するよ。その二千の軍をただの屍の山にされたくなかったら、いますぐ侵略行動をやめるんだ」
アラレルの言葉にはキラーズは心底腹が立ったのだろう。しばらくすると赤い顔で部屋を出てきた。ドアの前にいた二人には目もくれなかったようだ。
キラーズが立ち去ると、アラレルはすぐに全軍に通達をした。砦にはにわかに緊張が走り、ルックとルーンは自分たちに支給された赤茶の短衣を取り出した。左胸には紋章がある。これがアーティス軍である証しになるのだ。
「二千って、カンとヨーテスの連合軍だなんて、私そんなの聞いてないよ。それにさっきの使者って敵の重要人物なんでしょ? だったら捕まえて人質にしちゃえばいいじゃない。アラレルは本当に勝てるつもりでいるのかな。私まだ死にたいなんて思ってないよ」
「よく分かんないけど、多分戦争を始める前の決まり事ってやつなんじゃないかな。つまり警告に応じなかったから倒しましたって言い訳するためだとか。だからそれで来た人を捕まえたり、殺したりしちゃいけないんでしょ」
ルックは死を覚悟していないルーンの発言に一抹の不安を覚えたが、それについては何も語らなかった。いや、何を言っていいのかが分からなかったのだ。それでルーンの不安を煽るのも不味いと思えたし、上手い言葉が見つからなかった。
ルーンはまだ腑に落ちないように何かを言っていた。その隣でルックはこの状況について深く考えを巡らせていた。こちらに二千の軍を遣わしたと言うなら、それにどれほど魔装兵が混ざっているかにもよるが、シュールたちの方にはそれほど脅威となる軍を送ってはいないはずだ。ならシュールたちが手早く敵を打ち倒し、こちらへ援軍に来るまで持ち堪えるべきだろう。そうすれば敵を挟み撃ちにする形になり、数の差はあれど有利に事を進められるかもしれない。
しかし、シュールたちのいるシェンダーからここスニアラビスではかなり距離がある。一体どれだけ持ち堪えればいいのか見当もつかない。
ルックはここに来て初めて、この戦争がどれほど絶望的なものだったのかを思い知った。そしてそれと同時に、アーティス城でビースが現れる前、シュールがルックに何を言おうとしていたのか分かった気がした。シュールは彼に、逃げろと言いたかったのだ。愛する国や、ライトを見捨て、ティナにでも落ち延びてほしいと思っていたのだ。
ルックにはもちろんそんなことは到底できない。もしそうしたところで、一生後悔することになる。シュールにももちろんそれは分かっていた。それにルックは十年前の戦争で、カンの第二軍を全滅させていたのだ。ルック自身アーティスにとって大きな戦力だ。ルックを逃がすということは、アーティスにとってもデメリットでしかない。シュールのあの深い迷いは、そうした葛藤から生まれたものなのだろう。
「ルーン、必ず生きて帰ろうね」
「どうしたの? そんなの当たり前じゃない」
ルーンはまるで安請け合いでもするようにそう答えた。
翌日、敵の軍は現れた。砦を包囲するとはいかないものの、二千の軍というのはさすがに壮観だった。しかも、ざっと見たところ魔装兵とおぼしき者の姿が一人もない。二千人、丸々アレーの軍なのだ。
敵は手始めに大岩の石投で砦の門を攻撃してきたが、これは門に掛けられた帰空の魔法に阻まれ、門に当たった瞬間マナへと帰った。敵はそれを見るとすぐに破城縋を持ち出し、数十人のアレーで息を合わせ突進してくる。
けたたましい音が響いた。しかしその第一撃に門は持ち堪え、スニアラビスからも反撃が始まった。魔法具部隊による何百本もの矢や、ルックたち大地の魔法師による石投の雨が敵軍に降り注いだ。敵は何度も繰り返し破城縋を打ち付けようとしてくるが、降り注ぐ凶器の中ではなかなか思うようにもいかない。
敵は一旦後ろへ下がる。そして紫色の髪の者が集い、破城縋を持つ。鉄皮で守りを固め突撃してくるつもりなのだろう。
アーティス側はそこで一度門を解放した。そこからミストスリ商会の百名のアレーを従えたアラレルが飛び出し、鉄の魔法師たちに襲いかかった。鉄皮の魔法をものともせず、アラレルは敵を切り裂いていく。すぐに敵側も多量の部隊をアラレルに向け送るが、そこに様々な種類の魔法が援護に入る。しかし敵の数は二十倍だ。すぐに百名のアレーは囲まれる。
そこでアラレルは突然左の拳を突き上げる。すると途端に百名のアレーが身を翻し門の中へと姿を消した。カン・ヨーテス軍はもちろんそれに追いすがろうとする。だが、門の前にアラレルが立ち塞がり、幾十本もの剣を華麗に捌く。小さな門ではないが、アラレルがまるで壁のように一人の兵も通さない。
門が閉まる。アラレルだけが二千の軍の中取り残されたが、すぐにアラレルも防壁の上まで飛び上がり身を引いた。いくらアレーといえども、普通なら防壁の上まで飛び上がる脚力はない。アラレルを追うことは誰にもかなわなかった。しかし、数人が逃げるアラレルに自分の剣を投げつけて、その内の一本がアラレルの肩に深々と刺さった。
「愚か者め! 奴は自分の力を過信するあまり深手を負ったぞ」
姿は見えなかったが、キラーズとおぼしき声が高々と言う。しかし彼らの軍は無闇に防壁まで近づきすぎた。防壁の向こうでは大地の魔法師たちが待機していた。敵軍が立っていたのは隆地や降地の射程圏内だ。突然窪むやら突き上がるやらする大地に敵は完全に足を取られ、そこに防壁の上から煮えたぎった油の雨が降り注ぐ。
「くっ、小癪なっ。退け!」
敵もすぐに号令をかけるが、すでに数十人のアレーが動かなくなっていた。敵はなんとか後退すると、作戦を練り直すため距離を取り、鳴りを潜めた。




