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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第二章 ~大戦の英雄~
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「アーティスは予定通り軍を三つに分けてシェンダーとスニアラビス、首都アーティーズに配置したようでございます」


 斥候からの報告を受けたジルリーがサラロガに告げる。


「ほう、ならば手筈通りに事が運びそうだな」


 彼らはカン城で晩餐をしながら会話をしていた。今日もまた無駄なほどに豪勢な食事がただ冷めていくのを待つばかりとなっている。

 彼らは軍を指揮しない。軍の指揮はそれぞれ将軍たちに任せているのだ。彼らは高みの見物でただ自軍の勝利を今か今かと待っているだけだ。だが全体の作戦や状況は、彼らの有する密偵や斥候部隊たちによって逐一知らされている。


「疑うわけではないのですが」


 ジルリーは上目遣いにサラロガをうかがいながらそう聞いた。


「悲哀の子というのは本当にそんなに頼りになる存在なのでしょうか。アーティスは意外にもアーティーズを厚く守っています。二百ほどが首都に残っているようでございましょう。悲哀の子の部隊はわずか五名とおっしゃっていたように思うのですが」

「ふん、お主も用心深い男よのう。悲哀の子は確実にアーティーズへ届ける。そのためにはあまり大部隊では意味がないのだ。悲哀の子さえ着いてしまえば、あとの四人はどうなっても良い。いやむしろ悲哀の子自体、あんな不気味な者はアーティーズと共に落ちればよいのだ」


 サラロガは帝王だ。その絶対的な権力により国を丸ごと配下に置いている。いかに根の腐りきった発言と言えど、それに歯向かうものは一人もいない。


「左様でございますか」


 卑屈な目をしたジルリーは、意外にもサラロガの発言には嫌悪を覚えたようだった。しかし彼も外交に長けた男だ。そんなそぶりは微塵も見せず、ただ相槌を打つ。


「ふむ、スニアラビスには二百五十か。面白い結果を期待しようではないか」


 サラロガはそんなジルリーの内心に気付いたのだろうか。それともただ単に何も考えていなかっただけなのか、話題をそらすようにそう言った。




 軽くノックをした後、男はティスクルスの宿の高級な一室に入っていった。


「あなたがリリアンですか」


 部屋の中には、短く切り揃えられた淡い黄色の髪が座っている。クリーム色の髪がよく映える緑の瞳には、世慣れた気配がうかがえる。座っていても背の低いことは見て取れて、女性の中でも小柄な方だ。しかしその気配は、彼女が見た目通りの人ではないと、如実に表していた。


「首相自らお出ましなんて、私も偉くなったものね」


 少し皮肉めかした発言をして、リリアンは立ち上がって男のために椅子を引く。


「失礼いたします」


 男は軽く断り椅子に腰かける。それを見てリリアンも向かいの椅子に腰を下ろした。


「こんにちは。私が今度、トップのティナ軍を指揮するリリアンよ」

「これはご丁寧に、リリアン。私はアーティスの首相を勤めますビースでございます。あなたのお話はうかがっております。何でも私の愚息めよりもお強いかただとか」

「いえ、私はアラレルほどには強くないわ。まあ、あなたの国のシャルグよりは確実に強いようだけど。シャルグは知っているかしら?」


 謙遜を込めたビースの言葉に、リリアンは丁寧に断りを入れる。


 ビースはここにティナ軍の配置を指示しにきた。しかし、ティナの軍はあくまで協力者なので、完全にアーティス側の都合で動く訳ではない。まずは腹の探り合いと言うところだろう。リリアンも一軍を指揮する身としてかなり慎重なようだ。

 二人はしばらく何も語らずお互いの目を見合った。リリアンはビースの目の中からなにかが読み取れないかと考えたのだ。逆に自分は何もやましいところはない。どんなにビースに探られようとも痛くもかゆくもないのだ。


 ビースの目からは、優秀な政治家らしく何も確たるものを読み取れなかった。しかし護衛も置かずにこの場に訪れたということは、信用はされていると思える。

 もちろんここまでの道程に護衛をつけていないということはない。実を言うと宿の前ではシャルグが待機しているのだが、それでもヨーテス人のリリアンに会うのにそばに護衛がいないというのは、非常に大胆な行動だった。しかしそれがリリアンを手玉に取るための罠かもしれない。


 リリアンは結局、ビースの真意を見抜くことができず、やがて小さくため息をついて立ち上がる。


「正直に言うわ。私は危険な戦場にこの軍を向かわせる気はないわ」


 リリアンは探り合いを止め、単刀直入に切り出した。ガラスの張られた窓へ歩み寄り、外の景色に目を落とす。ビースは無言で頷くと、アーティス流の礼儀で自分も立ち上がる。


「今度の戦争に危険でない場所はございません。北や西が敗れれば首都アーティーズもまた危険な場所となります。さらにカンやヨーテスが王道で来るとも思えません」


 抑揚を押さえた声でビースは語る。


「つまりシェンダーもスニアラビスもどちらがより脅威になるかは判りかねます」

「ええ」

「しかし我が国には兵力に余裕はございません。もしここで踏みとどまれぬようなら我が国の勝利はとても危ういものとなります。そうしてそれは貴軍の危機ともなりましょう」

「ええ、そうでしょうね」


 ただ淡々と二人は語る。リリアンが見つめる窓の外には広大な森人の森が見えなくなるまで続いている。


「私とてあなたの軍を危険に晒すような真似をしたいとは思っておりません。しかしあなた方のお力添えなしには、我が国に勝利はないでしょう。

 私はあなた方に、シェンダーに赴いていただきたいと思います。決して安全だとは言えませんが、私は恐らくスニアラビスよりは安全であると思います」


 リリアンはビースの言葉を深く考え、やがてビースの方に向き直り言う。


「私はそうは思わないわ。シェンダーにはカンが来るわ。カンはヨーテスよりも純粋に数が多いでしょうし、戦闘にも慣れているでしょう。つまりシェンダーはスニアラビスよりも激戦になると思うの。あなたはカンやヨーテスが王道では来ないと言うけれど、私にはその根拠が全く分からないわ」


 リリアンはもともと慎重な性格だが、今度は事が事だ。より慎重に考えているようだった。


「カンのサラロガとヨーテスのジルリーはご存じですか?」

「いいえ、今回の戦争を起こした張本人たちだってことぐらいしか知らないわ」

「彼らは、特にジルリーは姑息な男です。何とかこちらの裏を掻こうと考えを巡らせていることでしょう」


 部屋には暖炉があり、薪のはぜる音が響いた。


「ここだけの話です。私はあなたを信頼に足るお方だとお見受け致しました」


 ビースの言葉にリリアンは思うところもあったが、先を促すように何も言わなかった。


「カンは恐らく、ヨーテスを越えかなりの兵力をスニアラビスに送るでしょう。自国にカン軍を闊歩させることにより、ジルリーはサラロガの信任を得、また私の裏を掻くことができます。

 この話はアラレルとその副官とシュールにしかしておりません。逆にそれを利用し私が彼らの裏を掻くつもりだからです。もっとも我が国にはカンやヨーテスほど密偵を放つ余裕はありません。あくまで私の推測ですが、少なくとも彼らが正攻法で来ないことには確信があります」

「あなたそれなら、一番危険と思っているところに自分の息子を向かわせたの?」


 リリアンは今回の戦争の情報を知っていた。と言うより、宣誓の場での出来事は、大陸南部で知らない人はいなかった。


 ビースは非常に切れ者だ。ビースが本気でカンとヨーテスの戦略をそう読むなら、それはきっと間違いのないことなのだ。しかしリリアンはビースが切れ者だったため、その言葉をそのまま鵜呑みにはしなかった。

 ビースはリリアンの知る限り、最も善人の政治家だ。しかしそれでもティナの人とアーティス人を天秤に掛ければ、きっとアーティス人を取る。リリアンを謀り、この軍を捨て駒に使わないとも限らない。ビースは優秀なので、その気になればリリアンを騙すことくらいは訳がないだろう。しかしそこであっさり騙されたのでは、リリアンがトップに代わった意味もない。


 リリアンには分からなかった。どう見てもリリアンにはビースが信用の置ける人物に見えた。


「はい。左様でございます。アラレルはとても厳しい戦いを強いられるでしょうが、それでもあの子ならば乗りきれるのではないかと考えています。

 それにあちらには、アラレルには知らせておりませんが、青の暗殺者をつけました。彼は闇に紛れ、戦いが長引けば長引くほど敵の要人を葬って行くことでしょう」

「それはずいぶんと卑劣なやり方ね。他国にあまりいい印象を与えないんじゃないかしら」

「ええ、左様でございましょう。しかし卑怯と罵られようと構いはしません。私の時代はこの戦争で終わります。後はライト王の時代になるのです。そうなれば、私一人がアーティスにかかる汚名を背負い身を引く事ができます。

 全ての終わった後で私の首の一つでも跳ねれば、他国からの批判は収まるでしょう」


 ビースの目は紛れもない本気だった。リリアンはビースの言葉が示す重たい気持ちに息を飲む。彼のその目がまやかしだとは、リリアンには決して思えなかった。

 首都からスニアラビスまでは通常の進軍速度で十日足らずの道程だったが、シェンダーからではその三倍は時間がかかる。ほとんどの軍をシェンダーに向かわせてしまえば、どんなに急いだところで援軍に駆けつけるには遅すぎる。もしビースの予想が外れなかったら、スニアラビスはほとんど絶望的な状況に追い込まれるだろう。

 それでもビースはアラレルと青の暗殺者ヒルドウを信じると言うのだ。いや、アーティスにはもう博打を打つより他に手はないのだ。カンの魔法具部隊は一万を越える大部隊だ。アレーの数でも二倍以上は差があるというのに、魔法具部隊の数は三十倍以上も差があるのだ。

 カンはこの十年、異常なまでの重税を民に強いた。仮に戦争が長引いたとしても、カンには食糧が尽きるということはない。アーティスとてこの状況を手をこまねいて見ていたわけではないが、だからといってなにか良い案があるわけでもなく、ついにはこの戦争を迎えてしまったのだ。以前ビースがシュールに語ったことだが、アーティスにとっての頼みの綱はアレーの質しかないのだ。


「本当にそれだけなの? それじゃあアーティスに勝機なんて微塵もないじゃない」


 先程ビースはジルリーの作戦を逆手にとるつもりだと言っていた。しかしもしシェンダーではなくスニアラビスに大軍が投入されては、いったいどんな策を用いれば良いと言うのだ。


「あなたはスニアラビスに少数の兵力しか送らないことで、敵の油断を誘おうと言うのでしょうけど、あなたがさっき言った通り、スニアラビスが落ちればアーティスはボロボロと崩れ落ちていくわよ。仮にヨーテスとカンの連合軍が千を越えるアレーの軍だったら、スニアラビスは最悪一日と持たないわ。それに敵が軍を二つに別けてスニアラビスを無視してこないとも限らないわ」

「いえ、それは私はないと思います。スニアラビスにはアラレルがいます。アラレルを無視することなどカンには到底できないでしょう」


 リリアンは頭を抱えた。ビースがアラレルの力を過信しすぎているのだと思ったのだ。だからこそ二百五十の兵で、千を越えるかもしれない大軍を抑えきれると思っている。そうとしか思えない発言だ。

 それは端から見れば、アラレルを死地へ追いやっているようにしか見えない。リリアンは男の気が確かなのを確認するように、ビースへ値踏みの視線を送る。リリアンにはビースがそんな愚か者にも思えなかった。ビースからは決してあきらめの色は感じられない。それどころか、どこか余裕すらもうかがえる。

 もしかしたら、まだ何か切り札を隠し持っているのかもしれない。少なくとも何かしら勝算があるのだ。しかし、リリアンにはこの状況を打破できる手などは思い当たらなかった。


「あなたがスニアラビスに大軍が来るって思っているのを、私は信じられないわ。もしそれが本当ならスニアラビスは確実に落ちる。そうすればアラレルだって死ぬのよ。あなたは最愛の一人息子を殺そうというの?

 もしスニアラビスに大軍が来ても、アラレルなら何とかしてくれるだなんて思ってないわよね。もしそう思ってるなら、あなたは愚か者よ。考え直すべきだわ」


 リリアンの直接的な発言にも、ビースは眉ひとつ動かさない。リリアンはそれで、やっぱりビースには何か奥の手がある、と確信をした。


 そこでリリアンはふと、一つの可能性に行き当たった。それはただ単に可能性に過ぎなかったが、一つ可能性を思い付いてしまうと、人はそれ以外には考えが行き届かなくなるものだ。リリアンはその可能性を確認せずにはいられなくなる。


「一つ聞いていいかしら。スニアラビスに向かった軍に、ルックはいるの?」

「ルックですか? ああ、あなたは確かルックに縁があるのでしたね。ルックは確かにアラレルの軍におります」


 リリアンは千の軍を二百五十の軍が打ち破るのに、ルックの力があれば可能なのではないかと考えたのだ。ルックの力、ルックのルードゥーリ化だ。リリアンはルードゥーリ化を見たことはないが、確かにそれが噂通りの力を発揮するものなら、不可能でもないかもしれない。


 実はビースはルックのルードゥーリ化の事を、それほどあてにはしていなかった。ビースがあてにしているものはルーンの治水だ。つまりこれはリリアンの勘違いだったのだが、リリアンにはそれで辻褄が合ってしまうように思えた。


 リリアンはまた深く考え込むと、やがて結論を出した。


「分かったわ。私たちはシェンダーに向かいましょう。あなたのことは信じるわ」


 リリアンの言葉は、ビースにとっては嬉しい誤算だった。ビースはリリアンを口説き落とすのに、様々な筋書きを頭の中で組み立てていたのだが、それはどうやら無用なようだった。


「ありがとうございます。私の命が続く限り、このご恩は忘れません」


 ビースは本心からそう言う。ビースの目にもリリアンの目にも、この絶望的な戦争にあきらめの色はなかった。

 二人はまだ知らないのだ。


 リリアンの向かう先にいる、カンの大将軍の絶望的な強さを……

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