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首都アーティーズは防壁を出ると、家々の数が激減する。首都を囲む壁の向こうは広い畑が広がるためだ。
首都のすぐ北に広がるその広大な畑は、名高いディーキス公爵の領土だ。様々な理由で首都で仕事をなくした人たちが、そこで畑を借りて生活している。
国との繋がりが深いディーキス公爵は、職をなくした者たちに働き口を与えることで、街の治安が格段に良くなることを知っていたのだ。首都の間近にこれだけ広大な土地を持っていれば、私腹を肥やそうとすればいくらでも肥やすことができる。それをしないでこの場所をこう使っているのは、公爵の多大な愛国心によるものだと言われている。
その開けた場所からヒルティスの小山はすぐに見えた。さすがにその山の付近まで来るとディーキス領ではなかったが、普通の足なら半日も経たずに着ける位置だ。
ヒルティス山にはルックも以前からよく来ていた。ヒルティスは安全な山で、麓の農家の人もよく狩りや山菜を摘みに出かける。そのため人の姿も比較的多い。子供だけで来たとしても危険はあまりなかったのだ。
けれどここ数日、山へ出かけた人が数人戻ってこないことが続いた。
最初は奇形が現れたのだと思われた。一年前にもここで熊の奇形が現れたことがある。
一年前は奇形の中でも特別強力な個体だったが、本来アレーなら奇形はそこまで危険な存在ではない。農家の人にもアレーはいる。戦闘には不慣れでも、魔法具に身を包めば大抵の奇形なら楽に討ち取れる。今度も周辺の農村から優秀な魔法具を選び、二人のアレーが山に向かった。
そのアレーが這々の体で逃げ帰ったのはつい二日前のことだ。
彼らが言うには、山には人の形をした化け物がいるのだそうだ。
「シュールは今までルーメスを見たことあるの?」
シュールは知的な青年だ。歳はアラレルやシャルグと同じ二十三。灰色の髪に健康そうな顔。可もなく不可もないといった普通の顔だが、落ち着いた表情には優しさと情愛がうかがえる。シャルグと比べると童顔なのだが、その沈着冷静さから決して幼くは見えない。ここ最近では年齢以上にどこか成熟した雰囲気が出てきた。中肉中背で、ルックと並ぶと頭二つほど大きい。
「俺はないな。確かドーモンとドゥールはあったんじゃないか?」
シュールはちらりと後ろを振り向いて言う。後ろではその二人とシャルグが話をしながら歩いている。シャルグの傷はルーンの治水でもう癒えていた。
シャルグは長身だが、ドーモンはシャルグよりもかなり大きい。ドゥールは二人ほどは身長がないものの、身に蓄えた隆々とした筋肉が、実際よりも彼を大きく見せている。三人で並ぶと壮観だった。
「そのときは一緒に木の魔法師がいたとかで、毒霧で弱らせたところをドーモンの鉄球で倒したらしい」
ドーモンの棍棒は非常に破壊力の高いものだ。アラレルが何度も切りつけてようやく倒したルーメスを簡単に葬ったとしても不思議ではない。純粋に力だけなら、ドーモンはアラレルにも劣らないアレーなのだ。
「あれ、じゃあその間ドゥールは何をしてたの?」
「ははは、それはドゥールには聞かない方がいいぞ。ドゥールはルーメスと戦うのを楽しみにしていたそうだからな。ドーモンが一撃で倒してしまったのをいまだに根に持っている。まあ、あのドーモンを小さくさせたいなら二人の前で聞いてみるのもいいな」
シュールは肩をすくめる。恐らく彼自身、面白がってそうしたことがあるのだ。くつくつとにやけながら言った。
「はは、そっか。それならちょっと試してみようかな」
ドゥールは三十中頃の男で、鉄のマナに染まった紫色の長髪を後ろで一つに束ねた、筋骨たくましい男だ。
アレーは本来筋力というものを使わない。もちろんマナを使った体術でも多少の筋力は付くが、それは微々たるもので、ドゥールのように体が膨れ上がるほどの筋肉を持つ者はそういない。リリアンと試合をしたグランもかなりたくましい方だったが、ドゥールのそれはグランの比ではない。
彼は最強の生命体になるというのを至上命題として生きている。そのためにわずかでもの足しにするため、膨大な筋肉を蓄えたのだ。
そんなドゥールには最強の生命体と言われるルーメスとの戦いは、非常に楽しみなものだったのだろう。自分の出る幕がなかったのを年甲斐もなく根に持っているのだ。
「シュールはどうしてルーメスが頻出してるんだと思う?」
ヒルティスはもう見えているとはいえまだ少しある。ルックはその間できるだけシュールと話をすると決めていた。あと一年と少し、ルックが成人するまでにそれほど長い期間はない。そしてその間に今回の戦争がある。戦争ではシュールと同じ部隊に所属できるとは限らない。このチームの子供でいられるうちに、いろんなことを話しておきたかったのだ。
「ルックはどう思う?」
しばらく考えた後、シュールはルックに聞き返す。どう答えるか、面白がっているような表情だ。ルックもそれに応えて、彼の期待に添えるよう考え出した。
「うーん、黒の翼竜が大量に子供を出産したとかかな。あとはどこかで実は異界と繋がっている場所があるとか。どの道突拍子もないこと以外には思い付かないな」
よく大衆向けの読み物に、ルーメスの世界とこの大陸の世界が繋がってしまうという話がある。
実際にマナが異常な集中をして世界の狭間を乱すことはあるけれど、そんなことはほとんど起こり得ないことだ。何体ものルーメスが行き来するほど、長い時間そうしたものが生まれたことはない。
ルーメスが現れるほとんどの理由は、黒の翼竜のせいだと言われている。翼竜は古代からこの大陸に住む生物だ。トップの屋敷にあった燭台のモチーフになっているものでもある。
翼竜はそのほとんどが絶滅している。あまりに強い魔の力を常に放っていて、世界に歪みを与えてしまうため、神々が彼らを討伐したという話だ。
しかし黒の翼竜は、カンとアーティスに跨がるダルダンダ山に今でも存在している。それは自らの体を表裏に分け、この世界とルーメスの世界半々に力を分けたという。そうすることで世界に歪みを与えることを防いだのだ。
つまり、黒の翼竜は異界にもその半身を置いている。ルーメスが現れるのはその半身が異界で活動をしているせいだと言われている。
ただ、この大陸にもう翼竜は一体しかいないのだ。ルックが言うように大量に子供を出産したということも考えにくい。
「そうだな。どうしてだろうな。ビースは否定していたそうだが、俺はカンの呪詛の魔法で呼び出されたんじゃないかと思う。よっぽど現実的だろう?」
実りのある話ではないが、ルックはシュールと話をするのが好きだった。ルックにとってはシュールは自分の兄であり、親であり、教師であった。ただシュールといるだけで気持ちが満たされるのだ。絶対的な信頼を置いているためだとも言える。
シュールの方も、頭の回転の速い少年と話すことは決して退屈ではなかったはずだ。何より彼にとってルックは、自分が責任を持って育ててきた子供だ。ルックを見る目には、落ち着いた愛情が見えていた。




