『あっさりとした別れ』①
第一章 ~伝説の始まり~
『あっさりとした別れ』
「でもどうしてルックはリリアンと行動してるのかな? キルクとウィンはどうかしたのかい?」
トップは不安そうにリリアンを見る。キルクとウィンというのは、恐らくリリアンと行動を共にするアレーのことなのだろう。
「どうもしてないわ。この街のどこかで羽目を外してるんじゃないかしら。元々私はカンに雇われていて、……」
リリアンは事の経緯をトップにかいつまんで話し始めた。その間に侍従が飲み物を運んできた。ティナ北部特産の甘い香りのハーブティーだ。リリアンが遠慮なくそれを飲み始めるのを見てから、ルックもそれに口をつけた。何度か飲んだことのあるものだったが、精製方法が違うのか、今まで飲んだどれよりも香り高く、舌触りが滑らかで上品な味だった。
「そっか、じゃあルックは運が良かったんだね。リリアンほど護衛が得意なアレーは滅多にいないからね。ほんとは赤の書と青の書なしでもいいように条約を変えたいんだけどね、国王不在で条約を変えることはできないって親族一同大反対でさ。アーティスはまだ新しい国王を立てようとは思ってないのかい?」
トップの問いは二人には微妙な問いだったが、二人とも知らん顔を保った。
「僕は政治家が何を考えてるか良くわかんないです。もう前国王が亡くなってから十年ですから、知り合いはみんな新しい王様を望んでいるんですけどね」
「そうだよね。ビースやアラレルなら血筋には何も問題ないんだろうけど、ビースはともかくアラレルは根っからの戦士だからね」
トップはずいぶんと遠回しに言ったのだが、ルックとリリアンはその発言には苦笑をした。そこで飲み物を運んできたのとは別の侍従が訪れ、ルックとリリアンの部屋の用意が整ったと告げた。
「あ、その前にできたら体を洗わせてもらえるかしら。返り血は浴びてないけど、ここに来る前戦闘をしてきているの」
リリアンは詳しくを語らずそう切り出した。リリアンが切った男は鉄皮で身を固めていたため、出血は少なかった。しかし血を浴びていなくても、体を洗いたくなる気持ちはよく分かる。リリアンは水魔と投げた剣によって二人を殺しているのだ。
トップも彼女の言葉の裏を感じ取ったのだろう。気が付かなかったことをすまなそうに詫び、すぐに風呂場へと二人を案内した。
風呂場は常に湯を張っている豪勢なものだった。呪詛の魔法により、浴槽に入れた水はすぐに適温になるようになっている。呪詛が盛んだったキーン時代の大貴族の家にあったような、とても高価な風呂場だ。それがしかも二つ、男女別れて作られていた。二人は気持ちのいい湯浴みをし、用意をされていた部屋着に着替える。
ルックの通された部屋は、やはり一室とは思えないほど大きな部屋で、部屋のベッドには天蓋まで付いている。様々な彫刻が部屋の至る所に施され、そのどれも良く掃除が行き届いていた。
ベッドには上等な絹で作られた白い寝間着がおかれている。きれいに畳まれたそれを広げてみると、袖を通すのが申し訳ないほど繊細な刺繍を施された服だった。実際に袖を通してみると、布の肌触りがルックの知っている服とはまるで違う。これを寝間着にするのだ。さぞ気持ちよく眠れるだろうと想像がついた。
そしてルックは旅の疲れや、仕事を終えた安堵感から、ベッドへ入った途端に眠りに落ちた。
どれ程眠ったかは分からなかったが、それでもそれほど長い時間ではなかった。ノックの音と控えめな呼び声にルックは目を覚ます。
「お休みのところ恐縮です。夕げの用意が整いました。お越しくださいませ」
この屋敷では聞いたことのないような丁寧な口調だ。ルックは手探りで剣を探し、外で預けてきたことを思い出した。寝ぼけた頭が次第に冴えてきて、ここが安全な屋敷の中だと思い出す。
「今行きます」
ルックは言って立ち上がる。夕げということは、結構長く寝ていたのだろうか。ルックは高価な透明のガラスを張った窓から外を見た。まだ輝きを残した景色が彼の目につく。彼はそこで空腹を感じ、トップが彼らの時間に合わせ、かなり早めのディナーにしてくれたのだと気が付いた。
部屋の外ではリリアンがもう待っていた。ドアの横では恭しく頭を下げる老従がいる。先ほどの声の主だろう。
「おはよう。よく眠れた?」
リリアンが優しく笑って問いかける。
「うん。ふかふかのベッドで気持ちよかったよ。王様にでもなった気分だね」
「ふふ、そうね。私もこんなベッドで寝るのは初めてよ。けど安上がりな王様ね」
少し寝ぼけたルックの発言がいつもと違い年相応に聞こえ、リリアンは笑った。
「それではこちらへご案内いたします」
白髪混じりの侍従が控えめに言う。
「リリアンってトップとは浅くない関係に見えるけど、屋敷に来るのははじめてなんだ」
「ええ、ミアが、あ、今のトップね。彼は最初旅のアレーのミアって名乗ったの。彼、トップになる少し前に外の世界を見てみたいとかって家出をしたの。家出っていってもティナをぐるって一周しただけだけど。
私たちのチームはあのトーナメントより大分早くティナに着いていたの。そこでたまたまミアに出会って、彼に護衛を頼まれたのよ。ひと目で旅のアレーじゃないことは分かったわ。戦闘なんてからきしできなかったし、何よりも着ているものが高価すぎたから。
ふふ、でもなんか憎めない人でね、特に私のチームのウィンっていう人が彼をとても気に入って、一緒にティナ一周の旅行に出たって訳よ」
「ウィンっていうのはチームの女性の人?」
「ええそう。あののどかな顔のどこがいいのか、のぼせ上がっちゃったって訳。あ、ご主人を悪く言っちゃってごめんなさいね」
リリアンは老従に向けて言う。
「いえ、仲良くしていただいているということでございましょう」
「ええ、ありがと。まあとにかくそれで私たちは北部に戻ってくるまで彼が次期トップだなんて知らなかったっていうことなのよ」
廊下はとても長かった。一般の家庭では明かりには普通、燭台やランプを使う。しかしなにもかもが贅沢なこの屋敷では、壁に埋め込まれた宝石に、光籠という呪詛の魔法を籠めた物が使われていた。光籠は一度かければ一年は明かりを生み出し続けてくれるが、普通のランプの油百年分の値だ。それが長い廊下の左右に等間隔で並んでいる。
ようやくの突き当たりに、木でできた彫刻の豊かな扉があった。扉は大きいので、たぶんその彫刻も数年がかりの作品だ。
「お客様をお連れしました」
老従がノックをし、扉を押し脇へ控えて膝を落とした。
部屋の中には王宮もかくやというほどの豪勢な食卓があった。非常に奥行きのある部屋に、これまた非常に長いテーブルがあり、食卓にはなぜか十数名のアレーがついている。一番奥の席にはトップがいる。彼は二人の姿を認めるとすぐに立ち上がり、両脇の空席を指し手招きをした。
「早く早く、せっかくの料理が冷めちゃうよ」
色とりどりの髪が二人を見つめる。その中には新米の門番や、ざっくばらんに話しかけてきた年配の門番、ケレネイと呼ばれていた口の悪いアレーもいた。二人が招かれるまま席につき、トップが乾杯の音頭を取ると、大人数での会食が始まった。ティナで生まれ育ったものの特徴だ。老若男女問わず、部屋のアレーたちはよく話した。非常に賑やかな晩餐となった。
「どういう顔ぶれ? まさかあなたでも屋敷の従者と毎日こんな晩餐をしている訳じゃないでしょ?」
素晴らしい限りの料理を皿に盛りながら、リリアンは問う。食事はバイキング形式になっていて、好きなものを好きなだけ食べられるようになっていた。いくらトップが大金持ちでも、従者にまでこんな大盤振る舞いをしてしまえるほどではないはずだ。アルテス金鉱脈の利権者ですらこうはいかない。
「はは、それはそうだよ。今日は特別だからね」
トップは笑って手をパタパタと振る。
「つまりここにいる人たちが援軍に来てくれるってことですか?」
ルックは特別という言葉にすぐそう思い至って尋ねた。
「うん、僕の雇っている人たちからは彼らが志願してくれたんだ」
「すごいわね。十八人? あなたの家には三十人くらいのアレーがいるんでしょ。半分以上じゃない」
リリアンは部屋の中のアレーを数え言う。行かなくてもいい戦争に半数以上が志願するとなると、トップの人望がうかがわれる。
「うん。あと一人ここにはいない護衛隊長が来てくれるから、全部で十九人もついてきてくれるんだ。あとの三十人も急いでティナ・ファースフォルギルドに依頼する。素晴らしい散財だからね、今から親戚一同の青い顔が目に浮かぶよ」
まるで楽しむかのようにトップはあっけらかんとそう言った。しかしそのトップの発言にリリアンが食事を運ぶ手を止めた。
「今ちょっと不吉な言葉を聞いた気がするけど、聞き間違いかしら。ついてきてくれる? あとの三十人? それってまさかあなたが五十人のアレーに加わるってこと?」
リリアンにしては珍しい底冷えのするような厳しい口調だ。非常に冷ややかな目でトップを睨み付けていた。ルックもトップの発言には驚いたが、トップのような豪族が戦争に参加するのもそれほど珍しいことではない。むしろ兵隊だけ貸し出して自分はのうのうとティナで控えているのは、今まで話した感じで、トップらしくないように思った。だがリリアンの様子を見ると、何かとんでもない事なのだろう。リリアンは決して揺るぎない目でトップを見ていた。




