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ティナは大陸中で一番計算されて造られた街だった。
街を縦断する大通りが山の麓から南にまっすぐ伸びていて、アーティスからの物資を乗せた馬車が、頻繁に行き来している。家は様々な色の石を組み合わせて造られているものが多く、職人や、芸術家が多く住む街だからか凝った造りが多い。
また、ティナはアーティーズ山の麓以外は全く緑がない土地だった。
よっぽどの金持ちが庭に輸入した植物を植えることはあっても、この土地ではなぜか植物を育てることができない。そのため街が殺風景にならないように様々な工夫をこらしているのだ。
ティナ半島の北の方は、観光客もたびたび訪れて、特にティナ・ファースフォルギルドのトーナメントの際には、街の外からの来客が多い。そのため宿や酒場といった場所が多く、観光客の少ない今の時期でもそれなりに賑わっていた。
ティナ半島の南の方は、芸術を愛する陶芸家や画家の住まいが多い。彼らが自分の作品を売りに出したいときは、人出の多い街の北部に売りに行くか、やはり北部のトップの元にやってくる。そのせいもあって、南は静かで落ち着いた雰囲気の街並みになっている。
そしてそのさらに南に行くと、人との関わりを嫌うような世捨て人がいることもあるが、ほとんどの場合は誰も住んでいなかった。緑がないので、家畜も野生の動物もいないし、周りが滝の壁になっているので、魚も取れない。人が住むにはあまりにも不便なところなのだ。
ルックたちは、林での戦闘から先は何事もなくトップの屋敷にたどり着いた。トップの屋敷は非常に大きく、敷地の周りは高い塀で囲われていた。中に小さな村が入れるのではないかと思えるほど、長い塀だ。その塀の端から正門にたどり着くまで、向かいにある三十軒ほどの家を通りすぎた。
「そういえばリリアン、トップの事を知ってるって言ってたけど、どういう関係なの?」
「ああ、去年のティナ・ファースフォルギルドのトーナメントの少し前にね、護衛をしたことがあるのよ。まだそのときはトップじゃなくてトルアって呼ばれてたけど」
トップと言うのはアーティスとの交易をする商人の家に代々受け継がれている名前だ。代々家長となる長子はトップと名付けられる。そうすることで初代トップの名声にあやかろうと言うのだ。そのため一時代に三人のトップが存在することも珍しくはない。
先代は大家様や老トップと呼ばれるが、子供は例えいくつになってもトルア(少年、二代目という意味)と呼ばれるのだ。現トップも少なくとも二十は越えていたのに、それでも去年まではトルアと呼ばれていたらしい。
正門には二人のアレーが護衛に立っていた。彼らは厳めしい顔でそこにいたが、二人の姿、特にルックの姿を認めると笑顔を見せた。
「ルックですね? アラレルから話は聞いてます」
若い男だ。十代後半といったところだろう。ルックに若さの溢れる威勢のいい声で話しかけてくる。ルックもリリアンも無事にここまでたどり着けた安心感もあって、元気のいい青年に好感を持った。
「そちらは誰ですか? 男性三人で来るって聞きましたけど」
「こんにちは。私はリリアン。事情があって今彼の護衛をしているわ。もし良かったらトップに確認を取っていただけるかしら。彼は私を知ってるし、私ならきっと信用してもらえるわ」
「そうだな。別に疑う訳じゃないんだが、門番と言う立場上、慎重にならざるを得ないからな。お前行ってちょっと聞いて来い」
すぐにでも二人を通そうとした若い門番をたしなめるように、年配の男がそう言った。
「はい、分かりました」
若い男は笑顔で頷き、門の中へと駆けていく。
「悪いな。お二人さん。やっこは新米でね。教育のためにもちょっと付き合ってくれ。確認が取れ次第すぐに部屋へ案内するからさ。知っちゃいるかもしれないが、トップは年中暇な男だ。そう時間をかけずに戻ってくるさ」
丁寧な口調の新米と違い、男はざっくばらんに話をし出した。
ここは大陸中で最も南に位置する土地だ。この大陸は太陽に近い北へ行けば行くほどに気温が上がり、南へ行けば行くほどに気温が下がる。だからティナというのは最も気温の低い土地だった。門番の男は朝の肌寒い時間に待たせることを申し訳なく思ったのだろう。客人を退屈させないよう、二人に気をつかってそのだみ声で話し続けた。もっとも今は終わりかけとはいえ暖季で、それほど冷え込んではいない。二人は特に寒さを気にせず男の話に耳を傾けた。
しばらくすると若い門番を引き連れ、トップ自らが二人の前に姿を表す。
若いアレーと談笑しながら近づく彼は、驚いたことに彼自身アレーだった。ピンク色の長髪が良く似合う男だ。明るい表情を見せる細身の輪郭に、あまり引きしまってはいないが、たるんでもいない肢体。アレーだが明らかに戦士ではないと分かる男だ。歳は二十代という話だったが、目が大きいせいか少し幼く見える。
「リリアン! すごい、本当だ! 昨日はアラレルに今日はリリアンか。最強のアレーのリレーだね」
「久しぶりね。その様子だと変わりはないみたいね」
トップはとても嬉々としてリリアンを迎えた。リリアンも笑顔でトップに応える。若い門番は先輩に手招かれている。
「わざわざ知らせてくれてありがとね」
「いえ、喜んでいただけて僕も良かったです」
トップと若い門番は気さくに言葉を交わした。
トップは歳の割りには幼いしゃべり方をする人だったが、礼儀を知らないわけではないようだ。ルックへ挨拶と労いの言葉をかけ、すぐに屋敷へと案内をした。
屋敷は門から大分歩いた所にあった。砦が建てられるくらい広い敷地だ。さすがはティナ一番の豪族だと言えた。
「お、トップ。想い人には会えたのかい?」
ルックの身長の三倍はあるかと思われる屋敷の扉の前にも、二人のアレーが立っていた。二人の内のトップと同い年くらいの男がにやにや顔で声をかけてくる。
「ケレネイ、お客さんの前で失礼なこと言わない。もちろん僕はリリアンを想ってるけど、リリアンがそれを嫌がるかもしれないだろ?」
「はははっ、違ぇねえ」
なんとも主従の仲がいい屋敷だ。もう一人のアレーもにこにこ笑いながらそのやり取りを眺めていた。そちらは五十近い女性だ。
「あ、二人とも屋敷の中は武器の所持は禁止だよ。良かったらここで預かるよ」
女性は弾むような声でそう言った。リリアンは腰に差した二つの鞘を外し女性に渡す。短い方はライトの剣により切られ、まだ修繕されていないのだが、そう説明するより渡してしまった方が楽だと考えたのだ。
ルックも背中に回した大剣を外し、鞘にくくった袋を腰のベルトに付け替える。少し大事な剣を渡すのにためらいはあったが、ここまで来ればもう敵襲に遭う心配もない。よろしくお願いしますと言い、ルックは女性に剣を渡した。
「さ、どうぞお入り下せぇ」
丁寧なのかぞんざいなのかよく分からない口調で男のアレーは扉を引いた。屋敷の中はこれまた非常に広大で、玄関だけでさながらちょっとした聖堂のようだった。
「二人ともトンネルを抜けてから休んだ? もしまだなら今日は是非泊まっていってよ。最高のディナーを用意するよ」
「恐縮です。御言葉に甘えさせて頂きます」
本来ルックはここに青の書を運ぶだけで、後のことは全てシャルグに任せるつもりだった。賢く、歳の割に大人びたルックだが、礼儀作法はそれほど心得ていなかった。多少堅苦しい言葉遣いになったのも無理はないことだった。
「やだな、そんなかしこまらないでよ。そんなんじゃこんなしゃべり方してる僕が申し訳ないよ」
「そうね、それにトップはそんな難しい言葉きっと分からないわ」
「ははは、そうそう」
トップはリリアンの軽口を笑って肯定した。ルックはトップが自分にかなり気をつかってくれていると気付いて、少し赤面した。口調からはとても想像できないが、トップはできた人間だった。ルックは自分一人がひどく子供に思えたのだ。
「ありがとうございます。実はあんまり丁寧な言葉は得意じゃないんで助かります」
「いや、充分充分。今部屋を用意させているから、その間青の書の受け渡しをお願いしていい?」
トップは言った。青の書を受け取ってからまだ三日しかたっていないが、濃厚な三日間だった。トップの言葉には肩の荷が急に軽くなったのを感じた。そんなルックをトップは客間へと案内した。
当たり前のように、客間も広く、部屋のいたるところに高価な調度品が飾られていた。特に見事な彫刻を施された長いテーブルの上には、一際目を引く置物がある。
金細工の巨大な生物に一羽のしだり尾の鳥が巻き付くように飛んでいる、何かを象徴するような燭台だ。鳥は赤い水晶で作られていて、それ単体では小さな彫刻品なのに、羽の一枚一枚まで精巧に刻まれている。金の生物は蝙蝠のような羽がある、爬虫類とおぼしき生物で、今にも動き出しそうな躍動感がある。それは羽を広げ、首を捻ってその鳥を見ている。長い鳥の尾からはキラキラと輝く幾種類もの宝石がちりばめられていた。それは下へ行くほど広がっていき、鱗の生物の足もとまで来ると、その太い足を覆い隠していた。
まるでキラキラと輝く泉の中で、鳥と幻獣が戯れているかのような姿だ。高い天井の南側には明かり取りの窓があって、今は役割を果たしていない燭台を優しく照らしていた。間違いなくとんでもない額の品なのだが、それをこんな客間に置いているということは、この建物の中では珍しくはない程度の品なのだろう。
トップはその燭台の乗る長机に二人を座らせ、扉の向こうで侍従に何か声を掛けてから自らも座った。
「もうすぐ何か飲み物を運んでくるから」
トップは言ってこちらを見た。ルックは軽く頷いて、腰にくくりつけた袋の中から青い染料に染められた一枚の皮紙を取り出した。厚みのある上等な皮紙だ。そこには何も書かれてはなく、ただアーティス国の紋章が象られていた。赤の書と対になる、青の書だ。
「これを届けるために来ました」
ルックは言って、トップにそれを手渡した。
「わざわざありがとう。これでいくら親族の反対にあっても押しきれるよ」
トップは笑顔で言う。そして懐から同じような赤い紙を取り出して、その二つを見比べる。
「間違いなく赤と青の書だ。祖国にとって重大なお勤め、ご苦労様」
トップは言うと、また大事そうにその二つの皮紙を懐にしまった。
ルックはそれを見届けると、どっと安堵と疲れが押し寄せてきた。思っていたよりもずっと困難で、責任のある任務だった。まさかシャルグが離脱せざるを得なくなるなど、考えてもいなかった。祖国にとってという部分は、ルックはまだ理解しきれていなかったが、チームの名を落とさずに済んだことは純粋に嬉しかった。
リリアンが言うには、青の書をトップの元に持っていくことに意味はないということだった。確かにこの彼なら、たとえ書がなかったとしても、兵を出すことをいとわなかっただろう。つまりトップは、ルックの行程が徒労ではないと、ルックに気づかいを見せたのだ。
ルックはトップに対して強い好感を抱いた。




