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しばらくそうして歩いていると、何人かのすれ違う足音と話し声が聞こえた。その話が途切れ途切れで静かなものであるのに気付き、リリアンと尽きることない話をしていたルックは、改めて彼女が旅の供としては最高の話し相手なのだと気が付いた。
リリアンの生まれたヨーテスの風土や、各地の宗教の話。ルックからは自分の育ったシビリア教の孤児院の話や、かつて彼らのチームに舞い込んだとても困難だった依頼の話などをする。
リリアンの話で特にルックはこの世の宗教の話題に興味を持った。ルックの国にも宗教はあったが、リリアンが言うにはその宗教の全てに神はなく、それらが生まれた経緯には当時の政治が大きく関わっているというのだ。
フォルキスギルドの組合員は、そのほとんどがアーティーズ山の頂上に居を構えるというシビリア神の一族を信奉していた。
シビリア神とは、絶対なる何かがこの世を創造したときに、この世を見守り、教え導く定めを受けたと言われる神だ。その教義では常識に悖ることを悪だとし、事細やかにその常識を述べている。
リリアンからすれば、それも政治やその時々の諸事情が混ざり、いくつもいくつも改変が加えられ、元のものとは大きく異なるものになっているのだという。元々シビリア教はそれほど強い強制力はなく、神殿に仕える神官でもなければ、誰も真面目に信奉してはいなかった。だからルックは自分の宗教が否定されてもまるで気に止めなかった。
二人は歩いたままで食事をし、その食事に対し批評をしあった。食事をし終え、冷たい食事にひとしきり不満を並べ尽くしたところで、リリアンは再び今まで関わってきた宗教の話をし始めた。彼女は基本宗教というもの全てにあまりいい印象を持ってなかった。
「特に今まで一番ひどかったのは森人の宗教ね」
「森人って森人の森の?」
ルックらが今まで通ってきた森人の森にはいくつかの集落がある。集落と言っても最も多いところで千人以上の人口がある、村のようなものだ。森人の森ではその集落すべてを合わせると一万以上もの人々が生活していると言われている。一応そこはアーティス国の国土なのだが、森人というのはアーティス国とは不可侵条約を結んでいて、アーティス人でもその実態はあまり知らない。
「ええ、その森人よ。彼らは光の宗教とか言ってね、光の神だとかいうのを崇めているのよ。まあ、それ以外は森の民ってことで馬も合ったし、私はそこの集落のひとつで半年くらい暮らしていたの。
森人の集落は一つ一つは人口が少ないから、私のいた集落では一人もアレーがいなかったわ。最初はとても快く迎えられて、私も上手くやっていけるって思ったわ。
でも、たまたま私がそこに行った年に吉兆だとかいうものが現れたのよ。伝承みたいなものでね、森人の民の中で数十年に一回、闇の少女と光の少女とかいうのが産まれるそうなの。闇の少女が産まれた次の日に光の少女が産まれて、その二人は特別な力を持ったマナ使いになるんだっていうの。
そこまでは別に大したことない民話なのだけれど、闇の少女は光の少女がそばにいないとこの世に災いをもたらす者になるとか、馬鹿げた話でしょ? もし光の少女になにかあったら、闇の少女は殺されなければならないんですって。
とにかく私のいた集落で闇の少女は産まれたの。確かにその子は産まれたときからすでに髪が紫色に染まってて、優秀なアレーになるのは間違いなかったわ。産まれてすぐ髪の色が染まるほどのマナを持ってるなんて聞いたことないでしょ?
そして次の日、そこから遠く離れた集落で光の少女も産まれたそうよ。いえ、彼女は産まれようとしたのでしょうけど、死産だったの。珍しくもない話だわ。アーティーズみたいな大きな街に住んでいるとそれほど多くはないかもしれないけれど、きれいな水を用意するのも難しいし、人の少ない集落じゃよくあるの。
それだけならまだよかったんだけど、私のいた集落で闇の少女の処刑が決まったの。
まだ産まれたばかりの赤ん坊のよ?
母親はもちろん反対したんだけど、父親も含めた全員一致でそれが決まったの。むごかったわ。泣き叫ぶ母親の目の前で、父親が自分の子供の首を斬って、その首を掲げて雄叫びをあげたの。
あまりにおぞましくて私はすぐにそこを去ったわ。後でその母親の事は気になったけど、そのときはもう一刻だってそこにはいたくなかったの」
そのときにはまだリリアンはルックよりも幼い歳だったという。その場から逃げ出したとして、やむを得ないことだろう。
「運命だとかで諦めるなんてふざけてるでしょ?」
リリアンの話はそこで終わった。ルックは衝撃や恐ろしさより、リリアンの拒絶に驚いた。どこか飄々としたリリアンにはそれは似合わないように思えたのだ。しかしアルテス金貨百枚を約束されても、ルックたちを殺そうとしなかったリリアンだ。それを思えば赤子を手にかけるという事へのリリアンの拒否反応は当然とも言えた。
「リリアンは優しいんだね」
結論として、妙に悟ったような口調でルックは言った。それがあまりに大人びて聞こえ、リリアンは楽しげに笑った。
「まるでお年寄りのほめ言葉ね」
「あ、ひどいよ。本気でほめたんだよ?」
「あはは。ごめんごめん。嬉しいわ」
ルックの言葉にリリアンは軽い口調で謝った。依頼でティナへ行くのは珍しくない。その度にこのトンネルを通ったが、いつもは不安に駆られる暗闇がこんなに楽しかったことはない。ルックは、少し汗ばみ繋いでいるのが窮屈になってきた彼女の手を、それでも離したいとは思わなかった。
暗いトンネルの中では、相変わらずシュルシュルという滑車の回る音がしていた。
リリアンはそれからも色々な話を聞かせてくれた。「いい話相手ね」と言われて、同じ気持ちでいてくれたことに共感の喜びを知った。
ルックはリリアンの話にいちいち質問をした。そしてたびたび交えるルックの意見に、リリアンがはっとしている気配を感じた。そうした反応が楽しかった。
リリアンは旅人だ。様々な出会いを経験してきただろう。自分はその出会いの内の一つでしかないはずだ。
「ルックはずっとシャルグやライトたちとフォルキスギルドにいるつもりなのかしら?」
それなのに、まるで一緒に旅に出ようと誘うかのように、彼女はルックにそんな疑問を投げてきた。
ルックにとっては今はまだ考えたくはないことだったが、もうすぐ彼も成人だ。アーティスでは十五のときから一人前として扱われるのだ。
七年前、シュールやシャルグも十五のときにルックとライトを引き取った。それはビースからの要請だったらしいが、今の自分とたったの二つしか違わない歳で子供を育て始めたのだ。ルックも十三歳になったのだが、二年後の自分に同じことができるとはとても思えない。
だけど、自分も十五になったら、シュールたちの元から巣立たなくてはいけない。そのことだけは分かっていた。それがビースがシュールに課した依頼の期限だからだ。とにかくルックはもうすぐ彼らの元から離れるのだ。考えたくはなかったが、聞かれて答えない訳にもいかない。
「リリアンと同じ歳、十五になったらシュールたちとは別れるつもり。フォルキスギルドから離れるかどうかはまだ決めてないけど、アーティス以外の国も見てみたいとは思ってる」
ルックは正直に今の自分の気持ちを告げた。少し口調が暗くなったのは致し方ないことだろう。
「そうなの」
ルックがトーンを落としたせいか、リリアンはそれしか言わなかった。
ちなみにルーンはドーモンがどこかからか連れてきた子なので、少し事情が違う。彼女の場合は依頼ではなく、言わばルックたちという、ついでがあるから育てられていたような立場だ。
また少しして、ふたりは歩きながらの食事をした。微妙な時間に入ったために、前からも後ろからも人の気配は感じられない。ただロープウェイの向こう側ですれ違う人の声が時々聞こえた。どれくらい歩いたのかはわからなかったが、ルックは大分疲労してきていた。腹は満たされていても、眠気はしてきた。昨日リリアンはルックより先に睡眠をとったのだ。それもそれほど長い時間ではない。さすがのリリアンですら声に多少の疲労が見える。
しかしここで、ルックは多少驚いたのだが、前に光が見えてきた。このトンネルで光があるところは、入り口か出口しかない。時間の感覚がなかったのでよくはわからなかったが、思っていたより早く出口に着いたようだ。入ってきたときと同じ、朝の優しい光が彼らの事を出迎える。




