③
余裕があれば、殺した相手にでも礼を尽くすのが彼らの流儀だった。ルックは大地の魔法で墓穴を作り、男女二人の埋葬をした。アーティスには土葬の習慣はないが、こうすれば彼らはいずれマナへと還るのだ。
ルックたちは即席の墓穴の前で、胸に手を当てて簡単な祈りの言葉を捧げた。
普通の足取りで近付いてきていた足音は、前方の戦闘を敏感に感じ取ったようだ。遠回りをして過ぎて行く。
「こんな手ごわい相手が来るなんてびっくりしたよ。ほんと、ルーンは連れてこなくて正解だったね」
男女二人を埋葬し終え、ルックは言った。
彼らのような仕事では、命をやり取りするのは特に珍しいことではなかった。しかしライトだけは命を懸けた戦いはほとんど経験がない。フォルになっていなかったせいもあるし、彼は今までそういう危険な状況から遠ざけられて育ってきたのだ。
ルックが見ると、ライトの顔は明らかに青ざめていた。
「ライト、平気?」
「僕は平気だけど、ルックは怖くないの? 一歩間違えてれば、……」
ライトは震える声でそう言った。その先は想像するだけで恐ろしく、とても言葉にできないのだろう。
「前にも何度かこういうことはあったしね。正直今までで一番怖かったけど、何にもしないで怖がってるだけじゃ、それこそほら、そうなるわけだし」
うまい言葉が見つからず、ルックは首を掻きながら目を泳がせた。
ライトの言いたいことはルックにも分かっていた。
当然死にたくはないし、できれば殺したくもない。ルックの頭に羽根付き帽子の笛吹の顔が浮かんだ。誰も死なない世界なら、それが一番素晴らしい。
しかしそれは言っても仕方のないことだった。この仕事は途中で降りるわけにもいかず、国のために成し遂げなければならないものだ。相手にとっても同じ理由があるかもしれない。しかしこういう時世に生まれたからには、言い出したところで答えは出ない。今この大陸は、千年の平和を築いたフィーン時代ではないのだ。ライトも決して馬鹿ではない。言うまでもなく、おそらくそれは分かっている。
しかし分かっているというのは、飲み込めるということではない。
ルック自身、これを飲み込んでしまっていいものだとは全く思えないでいた。
だからこそなんと言ったらいいのかが、ルックには分からなかった。
「行くぞ」
そんな二人に、シャルグは優しく声を掛けた。シャルグは少し前に立っていて、二人のことを誘導するよう歩き出す。
一行は欝蒼とした森の中、ひたすら南へ歩き続けた。
刺客が近付く足音はなく、あたりには、鳥の鳴き声や彼らの足音だけが聞こえた。三人はしばらくは順調な足取りで歩を進めたが、だんだんと空に浮かんだ太陽が、その輝きを弱め始める。
「だいぶ暗くなってきちゃったね」
ライトがルックを振り返ってそう言った。
少し余談になるが、この世界の空には太陽と呼ばれる、まぶしい巨大なマナが浮いている。時間によってその位置を多少変えはするが、基本的に常にそれは北北西の空にある。そのマナがどうしてそこにあるのかや、いつからそこにあるのかは誰も解明できていない。ただそこには、大陸全土を育む、かけがえのないものがあるのだ。
空に輝くそのマナは、一定周期で明と暗とを行き来する性質がある。明るくなったり、暗くなったりを、等間隔で繰り返すのだ。朝昼夜、それらは全て太陽の光の強さによって入れ替わる。そんな周期を人々は一日と呼ぶ。
一日の終わり、夜になっても、雲が夜空をつつまない限り太陽はかすかな光を降らす。しかし、深い樹海に覆われたこんな森では、夜は非常に危険だった。欝蒼とした木々に阻まれ、わずかとなった陽光も隠されるのだ。現に今、ほんのわずかに太陽が暗くなっただけで、ここの視界は極端に悪くなる。
「そろそろ野営の準備をしなきゃね」
悪い視界に目を凝らしつつ、ルックは言った。
本当は少しでも早くティナへと着きたいところだが、真っ暗な森の中では、足場を確保することも危ういのだ。
「登れそうな木、ある?」
ライトが言った。
地面で寝ると樹海にひそむ獣の脅威にさらされることになる。滅多にはないことだが、木々の上ならより危険は遠ざかる。公道には道の途中に立派な宿がいくつかあるが、夜闇は彼らを狙う刺客から、彼らのことを守ってくれる。それならばわざわざ公道には戻らず、ここで一夜を過ごした方が賢明なのだ。
「とりあえず寝床を探す前にご飯にしない? おなかすいて倒れそうだよ」
ルックはそう提案した。ライトは割と食が細いが、それでもやはり成長期だった。お腹をさすって同意した。
「うん、賛成。僕もおなかすいたー」
言いながら足を止め、ライトは大きく伸びをした。
先ほどよりは幾分元気になったライトを見て、ルックとシャルグは瞳を合わせてお互いの安堵を確認し合った。
そうして彼らは、持ってきていた干し肉などの日持ちする食料を分け、冷たい食事を味わった。
前にティナへ行ったときは最も冷える時期だった。温かい料理を恋しく思ったことをルックは何となく思い出した。
腹を満たした三人は、寝床となる木を見つけ、明日に備えて少し早めに寝ることにした。
あたりはすでに鼻も見えない暗闇で、夜行性の野鳥の声が、ぼー、ぼー、と聞こえてきている。深く響き渡る野太い音がルックには気持ちよかった。心地よいとは言えない寝床で、その音だけはルックの心を満足させた。
枝に体をうまく乗せ、ルックはやがて穏やかに眠りに落ちる。
少し、マナについて説明しよう。
この世界にはマナがある。大陸の人は今、マナがあることが当然の暮らしをしている。しかしマナを正しく理解できている人はほとんどいない。シュールはマナ学も学んでいたが、それはマナの性質の一部に軽く触れる程度のものだった。
難しい話になるが、マナというのは全ての物が存在している基盤のような物だ。私はマナ学や魔法学にはかなり明るいが、マナを詳しく語ると、それだけで数編の学術書になるだろう。マナというのはそれくらい複雑な物だった。
マナは大賢者ルーカファスによって発見された。ルーカファスはマナを使い、光と火と水の魔法を編み出した。ルックの生きる時代から四千年以上前、大陸史の始まるフィーン時代よりも前のことだ。
ルーカファスが魔法を編み出して以来、様々な魔法師や研究者らが新たな魔法を作ろうと躍起になった。形を作るだけではなく、何かを操る魔法だとか、マナを使って理を変えるものなど、研究により魔法のバリエーションは豊富になった。そしてルーカファスの編み出した三つの魔法以外にも、数種の魔法が発見された。
火、水、地、木、鉄、光、影。
その七つの魔法と、マナを物質に籠める呪詛の魔法。そして、体内のマナを使って運動力を高める体術。
特にそのマナを使った体術は歴史を大きく揺るがした。大陸全土を支配したキーン大帝国も、それで滅びた。それほど大きな発見だった。マナを使える使えないでは、戦闘力に大きく差が出た。魔法具で身を固めた魔装兵たちは、マナ使いの前では裸も同然だった。
マナを使える者はそう多くない。この大陸中に五十万人もいないだろう。それでも何百万という数がいた魔装兵の時代は、マナ使いたちの時代に移っていった。
マナを宿した人は、よほど体が弱くなければその体術を使えるようになった。この頃から体術を使えなかった時代の者たちと区別し、今のマナ使いたちをアレーと言うようになった。
彼らにはマナを宿していない人たち、キーネとはひと目で違うと分かる特徴がある。普通人間の髪色は、少し濃淡に差がある程度で、みんな茶色なのだ。しかしアレーの中には誰一人茶髪の者はいない。マナを多く宿すものは髪の色が変色するのだ。それは全てで十二色あり、それぞれどのようなマナを使えるのかも大抵色によって見分けられる。
ルックの青髪は大地のマナを持つ証だ。
マナを持つということは、普通の人よりは相当強い。だが大陸に何万人といるアレーの戦士の中では、ルックは決して強くない。よく見積もって中程度というところだ。
私はルックが生まれたときから十三年彼を見続けているが、彼が伝説に残るような存在になるとはとても思えなかった。だから彼が私の希望を叶えるとは考えづらい。しかし時の中にいる私に焦りはなかった。そんな彼が伝説として名を残すようになる数々の事件をこの目で見たい。そんな好奇心で、いまだに私は彼を傍観し続けている。
いや、正直に言うとこれは好奇心だけではない。私にとって今まで見てきたどの人よりも、ルックの近くは居心地がいいのだ。
私のいる時という世界では、目を凝らすと見ている人の心を覗けることがある。時は心の中にも存在するのだ。だからルックの心は触れる機会が非常に多い。
私が前回その半生を見ていたザラックという男は、神官だったせいかとても頭が固かった。世界の壁を一枚挟んだところから見ている私には、どうにも共感しがたいことが度々あった。それに比べてルックは、正しくあろうと思いながら、自分の欲にも正直で、それに葛藤するようで、逃げるように飄々としている。
それは不思議な感覚だった。確かに私のものではないいくつもの心が、私の中に流れ込むのだ。そこで私の心と噛み合わないものがあると、なんとも言えない心労に苛まれる。けれどルックの心はとても明解だ。私と近い考え方では決してないというのに、嫌な思いをすることがない。生まれた時代はずいぶん違うが、もしも私が彼と知り合うことがあったら、きっと仲良くなれたのだろう。
そんな気がした。
その日私はルックの夢の中まで覗き見られた。




