③
オルタ山地南南東の平野部には、トーマ・オウマルス・オルタ街という鉱山都市がある。フィーン帝国特有の長い名前の街なので、街に暮らす人々はト・オ・オと頭文字だけを取ってツォーの街と呼んでいる。
ツォーの街は鉱山によって栄えた街で、当然ながら鉱夫が暮らす街だ。人口は十万人に満たず、都市としては少ない方だ。しかし街の外から旅人や商人が多く訪れる。それらを含めると十五万の人がいるといわれ、賑わいのある街だった。
旅人や商人が多く訪れるのは、この街に仕事が豊富にあるためだ。
マナに恵まれた山、鉱山には、奇形の動物が多く出没する。鉱夫にもアレーはいるため、ほとんどの奇形はそれほど被害を生まない。しかしたまに大型の奇形が現れた際には戦士の力が必要だった。旅人の半数はそうした奇形に付けられた懸賞金を狙う賞金稼ぎの戦士たちで、残りの半分は学者が多い。学者は奇形や鉱石を研究している者たちだ。そして商人はそうした客たちに商売をするためこの街に来る。
ルックたち一行は当面この街に滞在することにした。これは道中、大荷物を手分けして運んでいる中で決めたことだった。
「ありがたいことに、またクロックは全てを知る者の居場所なんて知らないそうよ」
イークたちと別れた後だ。アルテス最東のオアシスを出るとき、リリアンが言った。これはクロックの「すぐ全てを知る者が見つかるといいね」という発言を聞いたリリアンが、ルックに向かって言った言葉だ。重たい荷物を持って、決して上機嫌ではないときだった。
ただ今回は、クロックの旅の目的とは別に、全てを知る者にはどうしても会わなければならない。ルーンの調子は安定していたが、不安要素はできるだけ早く取り除くに限る。だからリリアンも本気でクロックに腹を立てていたわけではなかった。
「ちなみにクロック、全てを知る者が歪みに手を加えているのは間違いないよね?」
ルックが念のためと思って問いかけると、クロックは少し首をかしげた。
「さすがにあの場所で歪みに手を加えてるんだ。そうだと思うけど、どうしてだい?」
ルックはその言葉を聞いてリリアンと目を合わせた。視界の端でロロも目を丸くしているのが見える。しかしクロックはかなり確信を持っているのだろう。ルックたちの戸惑いに、逆に戸惑っているようだった。
「まあ、うん。そっか。それならいいんだ」
ため息混じりでそう言った。
仮に世界の歪みに手を加えているのが全てを知る者でなかったとしても、その人に会って教えてもらえばいいだけなのだ。
いったんこの話は保留になり、ルックたちは黙々と砂混じりの平野を歩いた。大量の荷物を運びながら気の重い話はしたくなかったのだ。荷物は大半をロロが持ってくれていたが、やはり荷車がないのは辛かった。そしてオアシスを出て三日歩いて、このツォーの街に着いた。
定宿を決めたルックとリリアンは、まず情報収集に向かった。ヒッリ教を警戒しなければならないため、二人まとまって行動した。
情報収集と言っても、定住者と思われる人に声をかけて回っただけだ。
井戸の広場で洗濯をしている女性たちや、街を走る乗り合い馬車を待つ人たち、石畳に敷物を広げてアクセサリーを売る老人。街の人はみな気前よく情報を提供してくれた。しかし誰も最後には口を揃えて、あれはただの民話だよと言った。
この街に来る旅人の多くは戦士と学者だが、全てを知る者を探そうとしている人も一定数いるらしい。しかし最近は全てを知る者に会ったという話は聞かないそうだし、彼がどこにいるか知っていると言う人もいなかった。
オルタ山地には大小合わせて千を超える山々がある。その内鉱山は百二十はあると言われていて、今現在、人が立ち入っている鉱山は十二。情報なしの自力で探すとしたら、鉱山だけに的を絞ったとしても百以上の山を探索しないとならない。鉱山に絞るのにしても、ただなんとなくマナが豊富なところにいそうだというイメージなだけだ。
「探索しながらテスのメスを迎えそうね。どうしてクロックはいつも大事なことを言わないのかしら」
街は地下水が豊かで、大きな道の交差点には泉が造られている。中央に幾何学的なオブジェクトを置く、レンガの囲いで覆われた泉だ。囲いは太ももの高さくらいで、厚みがあり、腰をかけるのにちょうど良かった。その囲いに腰をかけて、歩き疲れた足を休めながらリリアンが言った。
ルックはクロックをかばうことも、陰口を言うこともできず、ただ困ったように笑った。
「とりあえずこれ以上情報はなさそうね。これを食べたら宿に戻りましょう。考えてみたら、みんなにこの国の注意点を伝えていなかったわ」
ルックたちは露店でサラダを乗せたパンを買っていた。穀物の粉を練った薄い生地がパンとサラダを包む、手の込んだ料理だ。透けるほど薄い生地が色とりどりの野菜にベールを施している。目でも楽しめるし、ひと口かじるとサラダにかけられた酸味の香るソースが舌を楽しませる。それはアーティスでは見ない料理で、ルックは故郷と同じように石畳の敷かれるこの街が、確かに異国なのだと感じた。
異国には異国の風習や礼儀がある。ルックはカンのサニアサキヤ公爵領でそれを学んでいた。だからリリアンの伝えようとしていることを、全員が知っておくべきだと同意した。
「リリアンはフィーンにどのくらいいたことがあるの?」
「そうね。二度来たことがあるけど、合わせたら二年くらいかしら。でも私がいたのはもっと南の方よ」
聞けば、リリアンは以前この国で戦争に巻き込まれたことがあるらしい。ツォーの街は他領と離れているため平和だが、フィーンで戦争が起こるのは珍しいことではない。年に十は小規模な戦争が起こるというのだ。
パンを食べ終えたルックたちは宿に戻った。石造りの一階部分に、木造の二階が乗る宿だ。茜花のほころびという名前で、名前の通り赤い花をモチーフにした細工物がたくさん置かれている。二階の廊下に掛けられた大きな絵画も、赤い花を描いた抽象画だった。
宿を経営するのは宿泊業ギルドで、主人にあたる管理人が一人と、下働きの青年が二人働いていた。二階に三部屋だけの小さな宿だったので、働き手が二人でも不足はないようだ。
宿泊業ギルドというのもアーティスでは聞いたことがない組織だ。元々の経営者が亡くなるか売りに出した宿を買い集め、組合員に経営を任せるギルドなのだそうだ。
「フィーンでは、そうね。五つやらない方がいいことがあるわ」
宿に戻ったリリアンは全員を集めてそう切り出した。その話し方は穏やかだった。それほど重い禁則事項ではないのだろう。
「まず宗教や神の話をすることよ。闇や夢だけじゃなくて、シビリア教やヒッリ教もやめた方がいいわね。この国では『一つの神』という信仰が絶対なの。旅人にまで強制はしてこないけれど、異教徒だと認定されると一部の権利が失われるわ。まあ、めったにないことだけど。
二つ目は室外で大声を出さないこと。これはフィーンではかなり粗野な行いと見られて、最悪の場合は衛兵を呼ばれかねないわ。
三つ目は夜中に上半身がはだけてる人がいたら目を向けたらだめよ。この街にもいるかは知らないけれど、それは男娼や娼婦なの。見ただけでも金銭を要求されるわ」
「だんしょーとしょーふってあに?」
「ルーンは知らなくていいわ。ルックもよ。そういうものだと覚えておいて。それから次に街の人が道の脇によけて誰かを通そうとしていたら、私たちも道を譲るわ。これもこの街ではほとんどないでしょうけれど、高位の人物には道を譲らなければならないの。理不尽な風習だと思うでしょうけど、これは必ず守って。
それから最後に、この街では文字を使わない方がいいわ。この点だけは私はこの国をとても素晴らしく思うの」
最後の一つはただの冗談だろう。フィーンは文字を持たない国だと聞いていたが、それでも一部の貴族や他国と取引する商人などは文字を使う。
「ふーん。まあ最後のはロロとリリアンは気にしなくても大丈夫そうだね。ちなみに俺とロロは娼婦にお金を払ってもいいのかい?」
クロックは少しおちゃらけた様子でそう言った。いつもやりこめられるリリアンに、彼なりの反撃をしたのだろう。ルックは男娼というのは初めて聞いたが、娼婦は物語の本に書かれていたため知識としては知っている。しかしアーティスでは国法で禁止されていた職業なので、ルーンは全く知らないようだった。ルックとしても、ルーンは別に知る必要のないことだと思った。
「あら。クロックはずいぶんお金に余裕があるのね。ジェイヴァーへの船代を唯一稼がなかったこと、気付いていないのかしら」
リリアンが冷たい目線でそう言った。ふざけているのは間違いないが、ぴくりとも笑みを見せない。
クロックは南部猿の討伐にも参加していない。ボルトとの真剣勝負にも敗れ、フエタラの街では結局銅貨一枚も稼がなかった。クロックは実際今までそれを意識したことはなかったようで、はっとした顔で目を丸くしていた。
「どうしてクロックは口でリリアンに勝てるって思ったの?」
ルックはそんなクロックを笑った。
「クオック、お金貸おっか?」
「俺も、金使わない。クロック、貸すぞ」
ルーンもルックのからかいに便乗してクロックを憐れみ、それを真に受けたロロが心配そうにそう声をかけた。それにはリリアンが声を漏らして笑いだした。ロロの本気の憐憫に無表情を維持できなくなったのだろう。
「ロロだけは口でリリアンに勝てるようだね」
右肩をすくめてクロックが言い、ルックはそれがたまらなく可笑しくなって大笑いをした。
お久しぶりです。
随分と投稿しておらずすみません。。。
絶対にこの物語は未完にさせないので、何卒お待ちいただけたら幸いです!




