③
三日後には砂漠を抜けて、そこからさらに進むと山林地帯に入った。キュイアたちはそこでようやくひと息ついて、今後のことについて話し合うことになった。
まずだ。俺はもう戦いを望んではいない。俺たちはこれだけ食物の豊富な世界にいる。人間とも同族とも争う必要はない。
一つ目が最初にそう言うと、口無しとヒーラリアは反論をせずうなずいた。キュイアにもそれは望ましい話だったが、かと言って人間の方が自分たちを受け入れることはないだろうと思った。
キュイアにはこのときすでに、ルーメスと自分をひと括りにして「自分たち」と考えることに、なんの違和感も持っていなかった。
「だとすると人のいないところを探さないとだな」
しかし一つ目たちはそうではなかったようで、キュイアの言葉に気まずげな表情をした。
あなたは木も葉も食べられないよね。それでいいの? もう私たちと一緒にいる必要はないんだよ?
ヒーラリアはそう言ったが、その発言にはキュイアは反発した。
「私がいたら邪魔だってのか?」
そうじゃ、……
ヒーラリアは言いかけてから、眉をひそめて黙り込んだ。
しばらく誰も何も言わなかった。キュイアも自分の言っていることが正しくはないのだとは知っていた。ヒーラリアが自分を邪魔に思って言ったのではないのも分かっている。しかしそれを容認してしまえば、もうこの先キュイアは彼らに会うことはないだろう。それは認められなかった。ヒーラリアはキュイアのその気持ちにも気付いているのだろう。だから彼女は今何も言えなくなっているのだ。
沈黙を割ったのは無遠慮で無配慮な口無しの発言だった。
そもそも俺たちと人間は子を成せるのか?
キュイアは顔を赤らめ口無しを睨んだ。幼い少女のままごとではないのだ。そんなことを判断基準にしていたとあっては沽券に関わる。確かに自分は結婚をしてもおかしくはない年齢だが、今する話ではない。キュイアは冷たい口調で口無しに告げた。
「私はそんな話はしていないぞ。これからどう生きていくかを話し合ってるんだ」
口無しは納得していないようで、黙ったまま首を捻った。
キュイアも一つ目もヒーラリアも、口無しの考えがまとまるのを待った。
つい最近まで、口無しという男は自分の主張を持たないのだと思っていた。彼は無駄口を叩かず、何か意見を言うこともなく、ただ周りに従っているだけだった。だから何も考えていないのだと思っていた。しかし砂漠にいる間、口無しがたまにした発言は的確だった。口無しの場合はただ考えをまとめるのが遅いだけなのだ。本人に自覚はないようだが、彼の着眼点はとても優れている。
いや、俺もこれからどう生きていくかを話している。
口無しはからかうようでも、冷やかすようでもなく、真剣な目でキュイアを見た。キュイアはそれで、口無しの発言が決してままごとなのではないことに気付いた。口無しは最初から子孫繁栄について話していたのだ。それは正しくどう生きていくかということだった。
特に辺境生まれのルーメスにとって、死は珍しいものではない。体の弱い個体はすぐに死ぬし、強い個体も病気一つであっさりと死ぬ。だから彼らは命が失われてもいちいちそれを気にしない。仕方がないと割り切るのだ。
しかし種が絶えるのは違う。種が絶えるのを割り切ってしまえば、それは生きている意味を失うのと変わらない。だから彼らは群れを作り、子を育てる。いや、これは彼らだけでなく、多くの野生に生きる生物に共通のことと言えるだろう。野生に生きる生物は、できるだけ多くの子供を残し、種を絶やさないようにするのだ。
そして野生であり、知恵を持つ生物である彼らルーメスにとって、生きるというのは子を成す環境を整えるということなのだ。
口無しはそこまで理解して言ったのではないだろう。キュイアにもそれはなんとなくしか分からなかった。しかしキュイアも都市や街に暮らす人よりは野生に近い生き方をしてきた。だから口無しの言わんとしていることは感じ取ることができた。
「まあ、そうか。それは確かにそうかもしれないな。けどな、私は別に子供を産みたいなんて思ったことはないよ。そのことは抜きにして考えてくれていい」
この言葉は口無しには上手く伝わらず、一つ目が通訳をした。口無しは通訳をされても怪訝そうな顔をしていたが、キュイアはそれ以上鋭い口無しに何かを言わせたくなかった。結局のところキュイアはただ一つ目のそばにいたいだけなのだ。
「とりあえず話を先に進めるぞ。一つ目、目標は人の寄り付かない場所で暮らすってことでいいよな?」
一つ目はなぜかまた苦笑いを浮かべ、それでいいとうなずいた。一つ目の苦笑いは全てを見透かしているようで、キュイアは不機嫌な口調で話をまとめる。
「じゃあまずは情報だ。私はヨーテスのことしか知らないし、ヨーテスでは人が立ち寄らないところなんて聞いたことがない。だから私が町を探して情報を集める。人がいない場所を聞き込みできるのは私だけだ。あ、そうだ一つ目、ヒーラリアに、私は役に立つだろうと伝えてくれ」
キュイアが何をごまかしたのかは分かっていた。しかし一つ目はそれを指摘することはしなかった。一つ目にとってもキュイアのごまかしは都合が良かったのだ。
子を成すことについて、国生まれのルーメスは多分人間と近い価値観を持っている。もちろん同じ生き物として口無しの考えにも共感はできるのだが、子を成すということが生きることの全てではないと思っている。そして何より、子供はただ作ればいいとは思っていない。子を産ませる女は、特別な相手であった方がいい。魔法の研究に人生を捧げてきた一つ目だが、恋愛というものの存在は知っていた。子を作ったことは今までなかったが、胸を焦がす想いというのを経験したことがないわけではない。
ただ、その相手がキュイアであっては明らかに問題がある。自分はまだいいかもしれないが、キュイアにとっての相手が自分では良くないだろう。
一つ目は恋愛だけではなく、幸せという価値観も知っていた。子を成すことのできない生涯だったとしても、幸せであったのなら無意味ではない。そういう哲学も持っていた。
ルーメスの見た目は少年期を終えると変化がなくなる。そのため見た目では判断が付きにくいが、一つ目は若くはない。子爵クラスになったので少し寿命は延びたかもしれないが、それでももう残りの時間は人生の一割ほどだろう。
人間とは時間の基準が異なるため、キュイアの年齢は把握できていない。しかしまだ彼女は少女を脱したばかりだ。前に聞いた話では、成人してまだ数年だということだった。一年の長さは自分の国よりはかなり長いようだが、それでも彼女の人生はまだ始まったばかりなのだ。先の短い自分に付き合わせるわけにはいかない。
人とルーメスの寿命の違いを知らなかった一つ目は、そう思って苦笑いを浮かべていたのだ。そう思っているのに、キュイアを離したくない自分が滑稽に思えていたのだ。
実際には寿命を迎えるまでの時間は、キュイアより一つ目の方が少し長いだろう。だからその点では何も問題はなかったのだ。しかし一つ目はまだこのときはそれを知らなかった。
だからこの件についてはまだ保留にしておきたくて、急いで話を進めるキュイアに便乗をした。
まずは平和を確保して、それからのことはその後考えればいい。それにまだお互いに知らないことは多い。もう少しだけでも一緒にいれば、何か道が見えてくるかもしれない。
一つ目はそんな甘い決意で自分の気持ちをごまかした。




