『青の書』①
第一章 ~伝説の始まり~
『青の書』
少し時をさかのぼる。
ルックたちがハシラクの盗賊退治に向かう前のことだ。シャルグは首相ビースから二つの依頼を受けていた。
一つはもちろんその盗賊退治についての依頼だ。しかしそちらはどちらかと言えばついでの依頼だった。
国がギルドを通さず頼みたい内容は、ルックが最初に違和感を持ったように、ただの盗賊退治だけではなかったのだ。
シャルグはアーティス国の王城の、あるひと部屋に招かれていた。
「ようこそおいでくださいました」
シャルグが部屋の戸をくぐると、執務机についていた茶色い髪の男が立ち上がった。
「どうぞ楽にしてください」
男はシャルグのそばまで歩み寄り、作りの確かな木の椅子を引く。シャルグは無言で指し示された椅子へ座った。
男は五十前後の歳だ。少し白髪の交じった髪が丁寧に櫛つけられている。穏やかな雰囲気を持ち、身に付ける高級な服からも、髪に付けられた香油の匂いからも、身分の高さを感じられた。しかし威圧的なところは少しもなくて、物腰は柔らかく、シャルグに対しても礼儀正しく接していた。
「本来ならばお国切っての戦士のあなたに、こんな小さな部屋にお越しいただくのは忍びないのですが、他国に決して知られたくない依頼であるためご容赦下さい」
こんな小さな部屋というのは、男の個人的な執務室だった。まさかシャルグを謁見の間に呼ぶはずもないので、これは単なる謙遜だ。腕利きの戦士とはいえ、シャルグはただの平民なのだ。
男はそんな前置きを入れたあと、無言でうなずくシャルグを確認してから本題を話し始めた。男もシャルグが無口なことには慣れていたのだ。
「青の書と赤の書というのはご存知ですか?」
シャルグの目をしっかりと見据え、真面目な声で言う。それにシャルグはぴくりと左の眉を動かした。
「ティナ街への出兵依頼書と認識している」
ここで初めて、シャルグは低く声を発した。意外にも、深みのある優しく響く声だった。
「左様です。ティナの豪族、もう少し正確に言えば、ティナ北部の名家、トップ家から五十のアレーを借り受けるための対の依頼書です」
戦争が起こる。恐らくは隣国のカン帝国が、近いうちにも攻め入ってくる気配を見せているのだ。元々国には不穏な噂がはびこっていた。そして、ついに宣戦布告の使者が来たのだろう。男が暗に言うことに気付かないほど、シャルグは無知ではなかった。
アレーが五十というのは非常に大きな戦力だ。七大国に数えられてはいるが、彼らの国アーティスは小さい。身にマナを宿す者で、戦士はせいぜい八百人というところだ。他国から千人近いアレーの軍が攻めてくるなら、国土の狭いアーティス国にはこの戦力は不可欠なのだ。
それに勇者アラレルを恐れるカン帝国ならば、守りを極限にまで薄くして、二千の軍を起こしたとしても不思議ではない。八百程度のアーティスとは絶望的な差がある。少しでも多くの援軍が必要だった。
「アラレルは?」
シャルグは短く問う。
それほど大事なものなら、アーティスにこの人ありとうたわれる、勇者アラレルが適任だろうということだ。
アラレルは、対峙したならアーティス屈指の戦士シャルグも、全く勝機が見い出せないほど、異常な強さを持った男だ。赤髪で魔法は一切使えないのに、マナを使った体術だけで実力者五人を片手であしらう。十年前の戦争でアーティスが勝利できたのも、彼がいたからだ。
さらにアーティス最強の勇者は、アーティス国への忠誠心もとても高い。どう考えても、この依頼にはアラレルが適任だった。シャルグの言葉はもっともで、男もそう来ることを予測していたようだ。シャルグの短い言葉に、軽く頷き口を開いた。
「それには少し複雑な事情がございます。話せば長くなるのですが」
男は探るようにシャルグの顔をうかがった。長い話でも依頼に関わることなら聞いておくべきだろう。シャルグは椅子の上で身をただし、男の言葉の先を待った。
男もシャルグが先を促しているのを理解したようで、執務机に両肘をついて話し始める。
「元々わが国は、ティナへ物資や食糧を輸出しておりました。しかしそれでいちいちティナまで商売をしに行くのは、アーティスにとって大きな負担でした。今でこそ人口も増えましたが、当時のわが国は田畑を耕す労力でいっぱいでしたし、この国の人たちは商売人には向いておりませんでしたので。
もちろんティナは土地柄、アーティスからの食糧を買わないわけには参りません。アーティスもティナの持つ宝飾品や優れた芸術品を他国へ売ることによって、多額の財源を得ていました。
開国当初は無理を押して輸出を続けていたそうです。
そこに目をつけたのがティナの商人初代トップです。彼はアーティスの輸入品を自分が全て買い取れば、アーティスの手間は相当省けると言ったのです。もちろんトップも莫大な利益を得られます。
そしてもし他国が攻めて来た場合は、トップが兵五十を貸し出すという条約を提案しました。アーティスにも彼にも、非常に喜ばしい提案だっただろうと思います。しかしその条約を締結させたトップ二世は、自分の兵を我らに貸すことをあまりおいしくないと考えたそうです。物資や食糧の取引先に自分を優先させることには大賛成だったのでしょうが、自分が雇った兵を他国の戦争に使われることを嫌がったのです」
何とも嘆かわしい話でございますねと、男は軽いため息交じりに首を振る。
「私の生まれる前の話で、どうやってそれをわが国に認めさせたのか、詳しい状況はわかりかねます。トップ二世はその条約にこのような項目を盛り込みました」
男は執務机の引き出しを開け、そこから一枚の古びた樹紙を取り出した。それをシャルグの方に向けてから、一つの箇所に指を置く。
「兵を貸し入れるための依頼書を、赤と青、二つの書に分け、その二つが揃わなければ依頼が成立しないこととしたのです。しかも、赤の書は赤髪の者が、青の書は青髪の者が届けなければいけないという条件まで付けております」
男は静かな口調で説明すると、樹紙を机の端によけて、また両肘をついた。
赤の書は赤髪の者が、青の書は青髪の者が。本当にどうしてそれを当時の国は認めたのか、酔狂としか思えないほど奇妙な項目は、トップ側には実に有利なものだった。
アーティスには赤髪や青髪の戦士は百数十人しかいない。しかもそこから危険な任務をこなす実力があり、信用できる者に的をしぼると十人も名は上がらない。他の大国ならまだしも、このアーティスにその条件は酷だった。切れ者だったトップ二世は当時の国を言いくるめ、無理難題と、そう言う他にはないこの項を条約に盛り込ませたのだ。
「どんなに理不尽な条約でしても、それが正式なものであるならばこちらから無効だと言うわけにはいきません。一国の体面にもかかわる問題ですし、おいそれと条約を破るようでは、他国の印象も悪くなります。
幸いわが国には、赤の書の運び手としてこの上もない人がおります。アラレルならば、その忠誠心から金でなびくことも、他国の刺客に命を脅かされる心配もございません。もちろん後者は絶対だとは言えませんが、あの子なら、シャルグ、あなたもそうだと思うでしょう?」
男に問われ、シャルグは眼の表情だけで肯定をした。
「青の書の運び手ですと、ヒルドウは実力的には申し分ございませんが」
「あいつは、断ったのか」
ここまで来ればシャルグも話を飲み込めた。シャルグの仲間に、彼はいるのだ。後に、「真実の青」とまで言われる青髪が。
シャルグがいれば大抵の刺客からなら彼を守れる。また、ルック自身もまだ十三歳の少年だったが、足手まといと言うほどには弱くない。何よりも、他国になびく心配は、彼らにとってはアラレル以上に無用だった。
「ほとんど報酬はお出しできないのですが、お願いできますか?」
「了解した」
不要な言葉をすべて省いてシャルグは言った。そっけないとも思えるが、その声音には相手に対する信頼がうかがえる。
シャルグが男を信頼しているその訳は、男が祖国を任せているに相応しい、立派な首相だからだった。
彼は国王不在のこの国を、穏やかな印象からは考えられない辣腕ぶりで切り盛りしていた。そして何より、アーティス国首相ビースは、勇者アラレルの血のつながった父親なのだ。信頼できる人物なのは間違いがない。
そして身分はかなり違うはずなのに、首相ビースもシャルグの事を信頼していた。シャルグは勇者アラレルの幼馴染みで、ほんの子供のときから、ビースもシャルグを知っていたのだ。
シャルグの承諾を見て取ると、ビースは依頼の詳細を話し始める。そして最後に付け加えるように、ハシラクの盗賊退治を切り出した。
「依頼の開始はもう少しあとでと考えております。開始のときはアラレルを使者に出しましょう。それともう一つ、先に片付けてしまいたい案件があるのですが、……」