②
ルックはそれを危険な技の予兆だと判断し、大きく後ろに跳んだ。しかしそれにタイミングを合わせ、ミクがルックに踏み込んでくる。
リリアンの体術を持つルックより、ミクはわずかに速かった。ルックは大剣から右手を離し、ミクに向ける。
「加重」
発動の直前にミクが左に素早く跳んだ。そのため理のマナを使った魔法は不発になった。位置を変えたミクはまた駆け寄ってくる。しかしひと呼吸の間は得られた。ルックは右手の前に大きな球をイメージしながらマナを集め、全身を覆えるほど巨大な水晶の盾を形成した。
水晶の向こうでミクが目を見開いた。これは戦闘には普段使われない希石という名の魔法で、特定の鉱物を生み出す魔法だ。今回は石英という透明な石を生み出した。特定の鉱物を作るのにはその分余計なマナを浪費する。しかしわざわざ透明な石で盾を作ったのは功を奏した。
ミクの魔剣はやすやすと石の盾を貫いた。ルックはミクの突きを正確に見切り、回避しながら身にひねりを加えて水晶の盾を蹴りつけた。
盾ごとミクを弾き飛ばした反動でルックは少しよろめき、そのよろめきのまま砂漠に手を突いた。そしてミクの足元に掘穴の魔法で大穴を作る。
砂漠での掘穴は穴ができた途端に周りから砂が流れ落ち始め、抜け出すのも容易ではない凶悪な魔法になる。
しかし砂漠での戦いに慣れた相手は冷静だった。掘穴の底で大きく跳んで、砂に足を取られる前に脱出したのだ。しかもこちらに向かって距離を詰めながらの跳躍だった。ルックが迎え撃つ体勢を整える前に攻撃しようというのだろう。実際ルックは手を地に突いたままで、充分な構えも取れない状態だった。
ルックは大剣を盾にして一度ミクの突きを受け止めようと考えた。ミクの突進力がどのくらいかは分からないが、完全に押し負けはしないと判断したのだ。
しかしミクの刺突はルックの大剣の前でぴたりと止まった。
「ここまでだな」
そして一言ミクがつぶやいて、試合は終わった。
「私の剣が君の大剣を貫けるかは分からないけど、試してみたくはないだろ?」
お互い剣を収めたあとにミクにそう言われ、ルックはなるほどと思った。ミクの剣は石英を容易に貫く。ルックの剣には硬化の魔法はかけられていないので、貫かれなかったとしてもかなりの損傷を負った可能性は高い。
「ミクたちは視力強化を知ってるんだよね? 動きも何か特殊な技法を使ってるみたいだし、さすがは北のアラレルと言われるだけはあるね」
ルックは少しからかい口調でそう言った。自分が視力強化の話をできた時点で、ミクたちが同じ技術を使っているのは間違いない。クロックの前では言えないことから、クロックはまた別の方法で動体視力や反射神経を引き伸ばしているのだろう。時を止める儀式の話を聞いたため、ルックには様々なことが新しく分かるようになった。
「ああ、やっぱりルックたちも目の技法を知っていたんだね。これは命の宗教に古くから伝わる技術なんだ。森人の森にも伝わってるって聞いていたけど、やっぱりそうだったのか?」
「うん、森人も目の技法って呼んでたね。僕はリリアンから教わったんだけどね」
「へえ、まあ単純な技術だし、独自で編み出している人もいかねないとは思ってたけど、さすがリリアンだな。
私とユキが使う体術の方はもっと複雑な技術だ。これは命の宗教でもトー族にしか伝わっていない秘伝だ」
「トー族?」
「ああ、命の宗教はもともとガル族っていうのが総本山だったんだ。それがはるか昔にカル族とトー族を併合して、二百五十年前にトー族が抜けて今の形になってる」
「族っていうのは?」
「ん? 民族とか部族とか、アーティスにはないんだったか?」
民族や部族という言葉はもちろん知っていたが、ルックにはそれに対して実感を伴う理解は持ってなかった。ルックがぴんと来ない表情でいると、ヒールがそれに詳しい解説をしてくれた。文官の家系の彼女は、アーティスの歴史についてもルックより詳しかった。
「アーティスには三つの民族が暮らしています。一つは森人の森の民族ですね。あとの二つはアーティーズ山岳民と元キーン大帝国民ですが、この二つはもう完全に同じになっているんじゃないかと思います。お互い婚姻にこだわりのない民族だったそうですし、初代のアル女王がそもそもキーン大帝国のキス公爵家から夫をもらったとのことですから。
部族は簡単に言うと民族の中の小さな括りです。ミクが言っている族っていうのは、ほとんどの場合部族のことだと思っていいですよ。それかもっと小さな括りの一族のことです」
ヒールの詳しい説明はルックにとってだけでなく、ミクにとってもありがたいものだったようだ。ミクはヒールの説明に肩をすくめて笑顔を見せた。詳しく物事を解説するというのは、それだけで疲れる行為なのだ。ミクの表情からは、ヒールのことを「便利」だとからかうような色合いが読み取れた。
「ま、そういうことで、私とユキの体術は、トー族の子孫である私たちにしか使えないってことだね。他には分からないことは? 今ならヒール先生が教えてくれるぞ」
「あはは。それは勉強になりそうだね。ミクとユキがトー族ってことは、本当の名前はミクトーとユキトーだったの?」
「いえ、それは違います。家の名前ならそうなりますが、ガル族のガルガのように、族の名前は頭に付くのが普通なんです。だからトーミクとトゥキってなってたはずです。けど、トー族はもう部族を名乗ってはいないので、ミクもユキも本当の名前ですよ。アーティスと同じでアルテスにも継ぐ名の風習はないですしね。
ちなみにアーティスの文官にも一人、トー族出身の方がいたはずです。そちらの方はまだトーの名前を残していたかと」
「あ、トーランのことかな? 僕その人に牢に入れられたことあるよ」
「なんだそれ、気になるな」
継ぐ名というのはルックも知っていて、フィーン特有の親から名を受け継ぐ風習のことだ。だからフィーン人は三つの名前を持つ人が多い。
ルックはそれから丸馬車の中に移り、ルックが牢に入ったことなど、四人で雑談をした。ミクが冗談でヒール先生と言ったが、ルックにとってヒールの話は本当に面白かった。歴史には興味のなかったルックだが、とくにヒールの話したルーメスを討つ一族の話は興味深かった。
「大陸の南には、森人の森の光の宗教、今のアーティス東部あたりのリナの一族、ヨーテス南部のメシャの一族、カン中央部あたりのカジャの一族なんていうのもいたらしいですね。北側ですと、オラークとヨーテスの境目くらいにあったルピア貴族家もそうですし、もともとは勇者っていうのも、フィーンでルーメスを狩る人たちの呼び名だったんですよ。あとはアルテスにはもう一つ、北東の山岳地帯にテスビヨ族という体の大きい民族がいて、その人たちもルーメスを狩る技術を伝承しているといいます。まあ、いずれもマナを使った体術の発見で役目を終えたらしいですけど」
「ユキが、それなら私たちも実は勇者だったんだってさ」
ルックは大陸にそういった一族がいたことを、全く知らなかった。ミクとユキもここまで詳しいことは知らなかったらしく、ユキがミクに耳打ちをし、姉を経由して冗談を言った。
「勇者ミクも勇者アラレルも、勇者ルックの武勇伝には全く歯が立たないけどだって」
「やめてよ。僕は普通でいたいんだ」
ユキのからかいに真面目に受け答えると、女性三人は声を立てて笑った。馬鹿にされているわけではないのに、どこか腑に落ちない思いをしながら、ルックも呆れて笑ってしまった。
何もない大砂漠の中での待ち時間だったが、ルックは暇を感じることなく、平和な一時だと思っていた。
しかしその考えは、突然の爆発音で吹き飛んだのだった。




