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青の物語 ~その大陸で最も平凡な伝説~  作者: 広越 遼
第五章 ~砂漠の旅人~
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 残酷な女性たちに不幸の呪いを掛けられたとは知らないクロックは、ルックにある相談を持ちかけていた。


「なあルック、大海蛇のあとに船の部屋で言った話、覚えてるよな? 頭のいい君に意見を聞きたいんだ。もしかしたら、俺はとんでもないミスをしでかしたかもしれない」

「どうしたの? あの革新的な技術のことだよね?」


 ルックは怯えたような様子のクロックに、慎重に言葉を選びながら答えた。丸馬車にはこの話を知らないイークも乗っているのだ。イークは向かいの席で、ロロにガルガという男がどういう人物だったのかを説明している。だがこちらの話を全く聞いていないということはないだろう。


「ああ。ちょっと説明が難しいから、イメージを見せる」


 クロックは言うと、隣でぶつぶつつぶやきながら目を閉じた。そのつぶやき声はどこか暗く、わずかに荘厳だった。ルックは知るはずのないことだが、これは闇への祝詞だ。神官の洗礼を受けたクロックの醸し出す印象は、確実に以前よりは濃い黒に染まっている。そしてだからこそ、今まで使えなかった闇の力を借りた魔法も使えるようになっていた。

 六千年以上の歴史を持つ邪教、闇。長い年月を生きる信者が開発した法や術は彼らの聖典となり、神官長が保管をしているという。そして蓄積された秘法や秘術の内、神官の中でも、影の魔法師にのみ扱える秘法がある。


「幻影」


 この魔法を生み出した闇の神官の死後、同じ名前の呪詛の魔法が開発された。同じ名前が付けられたのはただの偶然で、その原理はまるで違う。しかし二つの幻影の効果は良く似ていた。


 呪詛の幻影は光にマナを籠め、「存在しない物」を見せる魔法だ。水鏡や蜃の魔法が水のマナで光を操るのに対し、呪詛の幻影は光そのものの色を変える。


 そして影の幻影は、闇の世界の影形を操り、「存在しない状態」を見せる魔法だ。


 クロックの言葉を合図とし、ルックの目にはクロックのイメージした儀式の間の光景が広がった。確かに体では馬車の揺れを感じるし、耳には砂の降る絶え間ない音が聞こえている。鼻も乾いた砂埃の匂いを感じていた。しかしルックの視覚だけが、他の五感を裏切って暗い洞窟に描かれた魔法陣を見ていた。

 その魔法陣は、いつか見たリージアの幾何学的な模様のものとは違った。洞窟の床全体が、不規則な形の魔法陣そのものだったのだ。それを魔法陣だと判断できたのは、床全体が複雑で整然とした魔法文字の羅列で埋められていたからだ。


「成功したかい? 俺も初めてだから自信はないけど、危険な魔法じゃないから安心してくれていい。今は君に俺のイメージを見せている」


 どこにもいないクロックの声が聞こえた。しかしルックはすぐに、見ようと思えばクロックの姿も、丸馬車の中の様子も、流れる砂漠の夜景も見えることに気が付いた。そしてまた意識を切り替えると、暗い洞窟の中に青く浮かび上がる魔法陣が見えた。


「そっか。不思議な魔法だね」


 ルックはかすかな当惑だけでこの現象を受け入れた。自分の夢の力のことや、子供のままのリージアと成長を早める呪われた森、テツやユキの理の魔法、妖魔界との時間の流れの違い。……

 この旅で様々な常識の及ばないものを知り、体験してきたルックには、世界はそういうものだと割り切る心構えができていたのだ。考えてみれば、子供のときから慣れ親しんでいたアーティーズトンネルの暗闇や、滝に囲まれたティナ半島も、常識で推し量れるものではない。


 しかし、それからクロックのイメージした情報が伝わって来るにつれ、そんなルックにも受け入れがたい事実への戸惑いが生まれた。


 時を止める儀式のため、大陸中から進化を求める心が消える。良い進化でも、悲劇を生む進化でも、等しくこの大陸では制限されているのだ。

 何よりも受け入れがたかったのは、自分の心や思考を誰かにコントロールされていたということだ。自分が自分の物ではないような感覚は、ルックの心にこびり付くような不安を与えた。


 だがよくよく考えてみれば、アーティスの優秀な首相ビースが行う手練手管も、ある意味ではこれと変わらない。

 それに例えば、メスのメスに気分が落ち込むのも、確かにルックという自分の心なのだ。それが世界から強制的に与えられている影響によるものだったとしてもだ。

 この進化を止める儀式にしても、自分がそれを把握している限り、自分の存在や心を脅かすものではない。


「なかなか衝撃的だね。できればもう少し前置きをしてほしかったよ」


 クロックの魔法が終わり、全てを飲み込んだルックは、とりあえずクロックにそんな愚痴を言った。しかしクロックにそんな細かな気配りを望むのは無理なことだと思って、はっとした顔をするクロックを許した。


「それで、頭のいい僕にどんな意見を聞きたかったの?」


 ルックがふざけて言ったので、一瞬申し訳なさそうな顔をしていたクロックも、すぐに気を持ち直したようだ。


「ごめんよ。先に解説しておくと、クラムは世界を守りたいという善意からこれを行っているんだ。だからこれを破る存在は彼の敵なんだ」


 以前クロックが、革新的な技術を広めたら、闇の大神官に殺されるかもしれないと言ったのを思い出した。クラムという大神官の考えは理解できそうでもあり、理解できなさそうでもあった。しかし進化は戦争を生んで悲劇をもたらすという思想の持ち主なのは、確実に分かった。


「そっか」


 今度はルックもクロックに対してかなりの苛立ちを感じ、一言相づちを打つだけしかしなかった。今クロックがルックにこのイメージを伝えたのは、クラム大神官の怒りを買わないこととは言い切れないだろう。そんなものすごく危険なことに勝手に巻き込まれたのだ。クロックが考えなしなのもここまで来ると笑えない。


 しかし結局ルックは、ため息を一つして、またクロックを許した。彼は常識もなく、はっきり言って馬鹿なのだが、ルックはそれでも馬鹿なクロックのことが好きだったのだ。

 クロックはルックの苛立ちにも許しにも気付いていない様子で、相談事の本題を話し始めた。


「それでさ、俺がさっきみんなのいるところで、大勢のアレーが空間を歪める話をしただろ? あれってさ、もしかしてまずかったんじゃないかと思ったんだよ。

 俺が神官になった話はしたよな? つまり、俺はクラムに認められたってことなんだ。だから俺は今、たぶん儀式の影響がなくなっているんだと思う」


 ルックはクロックの話を聞きながら、自分が先ほど感じた違和感を思い出した。クロックは以前、多くのアレーが集まる場所にルーメスが現れやすいことを、イークたちには語らなかった。かなり詳しくルーメスの情報交換をしたのにだ。そしてルックもそのときは、それを疑問に思いはしなかった。それは時を止める儀式によって、自分たちの心が制御されたということなのかもしれない。ルックがルーメス出現に関する重大な情報をライトにすら教えなかったのも、それが原因なのではないだろうか。


「うーん、なるほどね。そしたらもしかしたら、大勢のアレーが空間を歪めるのって、森人の森かリージアだけしか知らない知識だったのかもだね」

「やっぱりそうか。俺はかなりまずいことをしたみたいだな。三十人以上の前であれを話したし、それが二千人のアレーに伝わったんだ。もう秘匿された知識じゃなくなったから、イークたちが大陸中に広めようとしてる。この考えであってるよな?」


 事実は分からないが、クロックの考えは筋道が立ったものに思えた。しかし辻褄が合わないこともあるのに気付いた。


「あってそうな気もするけど、どうかな? もしもそうなら、リージアも僕にそのことは話せなかったんじゃない?」


 ルックの言葉に、少しだけクロックの目に希望が宿った。


「あ、でも、僕を育ててくれたチームに一人、リージアから特別な技法を学んだって人がいるんだ。リージアは何か儀式に対抗するすべがあるのかも」


 クロックの目が曇る。


「それはどの時期の話だい?」

「時期?」

「ああ。実はあの戦争の始まる少し前から、一時期クラムが儀式をしていなかったんだ」

「あ、それならちょうどその時期だったね。そしたらリージアが儀式に対抗できるのかは分からないね」


 ルックがそう結論を出すと、再びクロックの目に希望が戻った。これ以上の話はただの憶測でしかなくなるため、なんの意味もない。しかしルックはクロックの表情の上がり下がりが面白くなって、さらに続けた。


「けどもしかしたら、大陸の南部では秘匿されてないってだけで、北では秘密だったかもね」

「あ、そうか。じゃあやっぱり、」

「いや、けどそれだと僕はライトにこの話を伝えていたはずだから、やっぱり違うかなあ。秘匿されてるなら、僕がクロックにこの話をできたのはおかしいし」

「おお、それなら、」

「でもこれがルーメスを討伐する人の間だけの秘密だって可能性もあるね。それならリージアが僕に伝えられたのも、僕がライトに伝えられなかったのも説明できる」

「ああ、ならやっぱり、」

「だけどそれはおかしいね。そしたら僕もクロックもイークたちには全部伝えられたはずだから。そもそも秘密でもなんでもなかったって方が納得できるよ」

「おお! そうだよな!」

「あ、けど南部のルーメスを討つ人しか知らないことなら、全部の辻褄が合うね」


 クロックはここでようやくはっと気付いた顔をした。


「もしかして君、面白がってないかい?」





 最終的に、やはり結論は出なかった。矛盾のなさそうな推論はいくつか考えられたが、どれが正しいかまでは分からない。ただどの推論も、クロックが迂闊だった可能性を否定はしなかった。

 しかしクロックは割り切ることにしたらしい。


「別に悪いことをしたわけじゃないしね」


 いつもの気取った口調に戻ったクロックは、最後にそう右肩をすくめた。


 クロックが言うには、クラムの行いは決して誤りとは言い切れないそうだ。史実に目を向けると、鉄人ミリストの呪詛はフィーン時代を終わらせ、開国の三勇士のマナを使った体術はキーン大帝国を滅亡させた。言葉で言えば血生臭さはない。しかし時代の転換期には戦争がつきものなのだ。それを実際に目の当たりにしたクラムは、人の進歩は滅びへ向かう歩みだと信じているのだという。

 ただ今回のように、ルーメスから世界を守るための進歩や進化も、クラムの魔法は止めている。


 クロックはそれを「時を止める儀式の弊害」と語った。

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