④
歩き始めて三時間ほどで森を抜け、それから一行は駆け足で移動し始めた。六時間ほどがたったころ、キュイアはこの旅が非常に過酷なものだと気付いた。ルーメスたちは全く休む気配がないのだ。
狩人のキュイアは体力に自信があったが、ルーメスの駆け足はマナを使った走法並みに速い。二段階目の祝福を受けたキュイアにも、そろそろ限界が近付いていた。
「一つ目。このペースだと私はついていけない。そろそろ休憩させてくれ」
足を休める必要もあるが、大教会を出てから彼らは一度も食事をしていない。
ガラークもそうだったが、人間は祝福を受けてもひ弱なんだな。
足を止めてくれた一つ目がそう言った。悪気はないのだろうが、人間のキュイアにはもちろん共感できる発言ではない。
キュイアは少しむっとして、彼らが寝ている間に逃げ出そうかと考えた。だが彼らの眠りは三日に一度ほどで、一度の眠りは三時間ほどしか必要としない。そうそう機会は訪れないだろう。
それに彼らと併走して、彼らから逃げ出すことは難しそうだとキュイアには分かった。
一つ目、この子をおぶっていったらどうかな?
ヒーラリアがそう発言した。キュイアはヒーラリアの年齢は知らないが、そう歳が離れているようには見えない。この子と呼ばれたのは、彼らには人間の身長が子供のように見えるからだろう。
おぶられるというのには、キュイアはかなり抵抗があった。しかしキュイアに拒否権は与えられてなく、結局ヒーラリアの提案が試みられることになってしまった。
一つ目の裸の背中に乗ったキュイアは、自分の胸を押し当てることに羞恥心を持った。そして羞恥心を持ったことをすぐ滑稽に思った。一つ目は男ではあったが、人間ではなくルーメスなのだ。
キュイアはまた苦い笑いを口に浮かべた。
一つ目の背中の上は快適とは言えなかった。揺れもひどく、しがみつくのにもかなりの力が必要だった。しかし何度も身じろぎをしていると、一つ目が気をつかってくれて、かなり前傾姿勢で駆けてくれるようになった。
無理な姿勢で一つ目の方も辛いだろうが、彼は少しも弱音を吐かなかった。一つ目のこの体勢のおかげで、道行きはだいぶ楽になった。
食事の問題は残っていたが、ヒッリテシアで堅いパンと水の入った革袋をもらっていたので、しばらくはそれでもった。
ルーメス四名は地面の草をむしって食べていた。土の付く根をちぎり捨てただけで、そのまま草を口に入れていたのだ。
「あんたらってなんでも食べるんだね。おいしいの?」
食事のため立ち止まったときに、キュイアはそう一つ目に尋ねた。
一つ目はたぶんおいしくないというようなことを言ったが、ルーメスの言葉は人間より語彙が細かく、正確な内容は分からなかった。
それからキュイアはまた一つ目の背に乗って、走る彼の上で軽い睡眠を取った。
キュイアが一つ目の背に乗るようになると、移動速度は各段に上がった。
人間の足では普通、オラークを縦断するのにふた月はかかるのだが、ルーメスは人目に付かない険しい道を選びながら、四日でオラークの北部まで来てしまった。
もう一日もすればアルテスに着くという速さだったが、ここまで来て初めて問題が起こった。
今まで駆けてきたのは、整地されていない、背の高い草が茂る草原だった。道から少し外れればキュイアたちは身を隠せたが、そんな草原が突然終わり、見渡す限りに視界が開けたのだ。
「ちっ、畑か。信じらんないくらい広いね」
キュイアの言葉を一つ目が訳すと、耳無しが畑とは何か聞いた。口無しも不思議そうに首をひねっている。ルーメスの世界には畑がないのかと思ったが、それなら一つ目が訳すこともできないし、ヒーラリアが説明をし始めたので、たまたま二人が知らなかっただけなのだろう。後から一つ目に、二人が辺境生まれなのだと説明を受けた。
ここから先は人目に付かないことは難しい。広い畑には、農家の人がちらほらと見える。刈り取り機をひいた牛や、手伝い半分に遊びまわる子供の姿もあった。
山から出たことのないキュイアは初めて見たのだが、ここは間違いなく農村という集落だろう。ざっと見渡した限り、畑で働く人の数は、キュイアが生まれた集落の人口を大きく上回る。
あとどのくらいでアルテスに着くか分かるか?
一つ目に聞かれたキュイアは、正直に首を横に振る。ヨーテス山脈から出たことのないキュイアには、アルテスまでの距離などは分からなかった。しかしアルテスは砂漠の国だと聞いていたから、まだまだ先なのではないかと思えた。この豊かな農村が突然砂漠に変わるとは思えない。
とりあえず先に進むためには、ここを大きく迂回するか、何か身を隠しながら進む方法を考えなければならない。
迂回するのは、かなり時間が無駄になると思えた。左右どちらに回り込むにしても、先が見えないほど畑は続いているのだ。
キュイアたちは高い草の陰で相談を始めた。
万が一回り込んで、そちらに大きな街道などがあれば、結局人目に付かないことはできない。
耳無しは人間を殺しながら突き進めばいいと言ったが、キュイアだけでなく、一つ目とヒーラリアがそれに猛反対した。
「ヒッリ教のやつらから金は渡されてるんだ。オウの従者が着ていたような、全身を隠せるローブを買えばなんとかなる。私はそろそろ食料も買い足したいしな」
結局キュイアの意見が取り入れられて、キュイアが村で買い物をすることに決まった。
耳無しは逃げ出すのではないかと疑ってきたが、一つ目がそれを強く否定した。
挨拶もなしに立ち去るほど、浅い仲ではないと信じている。
一つ目がそんなふうに言うので、キュイアはまた苦く笑った。ルーメスに信頼される自分と、それを嬉しく思ったことが滑稽に思えたのだ。
顔が苦笑いの形に固定されそうな気がした。
農村にローブが売っているかは疑問だったが、なければないで他の方法を思いつくかもしれない。キュイアはそう期待しながら、畑仕事をしている中年の男に声をかけにいった。
「仕事中に悪いね。ここでローブを売ってくれる人はいないかな?」
ルーメスに協力しているという後ろめたさから、キュイアは声をかけるのが少し怖かった。もちろん一人でいるのだから、キュイアの事情などばれるはずがないのだが、声をかけるのには勇気がいった。
中年の農民は気安げに応じてくれた。
「お、アルテスに向かうのかね? 領主様んとこに行けば、大体どんなものでも売ってくれるよ」
鬼人という雰囲気でもなく、男は丁寧に領主の館がどれかまで教えてくれた。一際大きい三階建ての建物がそれらしい。
しばらく男と世間話をしたが、アルテスを旅するにはローブは必須なのだという。ここからほどなくしてアルテスとの国境があり、ここではローブを求める旅人は少なくないらしかった。
ルーメスのサイズに合うものがあるかは不安だったが、領主の館には様々なローブが用意されていた。
キュイアは食料とローブを買って、たったの一時間ほどで一つ目たちの元へ戻った。無駄な時間をかけず戻ってきたのは、キュイアが意地になっていたためだ。逃げると疑ってきた耳無しの、鼻をあかしてやりたいと思ったのだ。
一つ目はキュイアのその気持ちを見抜いたのか、苦笑いをしながら、気晴らしの時間くらいは構わなかったと言った。
キュイアも自嘲ぎみに笑ってそれに答えた。
「耳無しは私がいなくなると不安に思うようだからね。いい女なのも困りものだよ」
名前を呼ばれたと分かったのだろう。耳無しが首をかしげながら一つ目を見たが、一つ目は機嫌良く笑ってなんでもないと言い切った。
このときがただ一度だけ訪れた、キュイアがルーメスから逃れる最後のチャンスだった。キュイアはただの意地のため、それをふいにした。それを後に彼女はひどく後悔することになる。
ルーメスたちは背が高いので、ローブを着て肌や顔を隠してもまだ異様な一団だったが、人前に出られないというほどでもない。キュイアは人間の目から見ても一応問題なさそうだと、一つ目たちに伝えた。
「まあ、私があんたにおぶさらなければってことだけどね」
陽気な笑い声を上げる一つ目に、口無しが奇怪なものを見る目を向けていた。
実際にそれから農村を通り抜けたが、誰からもキュイアたちは疑われなかった。一度村人が「アルテスへ行くのかい?」と、気軽に尋ねてきたほどだ。
キュイアは人間の村の中へ四体ものルーメスを連れてきた自分に、また苦笑を抑えきれなかった。自分が人類の敵になったような気がした。




